井川自身が12日付のブログで明らかにしたもので、「
なんと、128チームが参加したトーナメントで、自分が優勝してエリアチャンピオンになってしまいました」とつづっている。
さすが井川と言うか、なんと言うべきか。
井川にはわが国の
東北楽天ゴールデンイーグルス、
オリックスバファローズがオファーを出しているが、本人は
アメリカでのプレーを希望。現在わが国で自主トレに励んでいるが、
16戦2勝4敗、防御率
6.66の左腕には、なかなか米球団から声がかからない。
そんな中、気分転換で行っているゲームセンターで新たなタイトルを獲得するとは。その泰然自若とした様には、舌を巻くばかりだ。
長いメジャーリーグの歴史を振り返れば、井川のような
破天荒な選手が少なからずいた。以前、当ブログで
ブルース・ナッシュ、
アラン・ズーロの共著「
アメリカ野球珍事件珍記録大全」(東京書籍)を紹介したが(http://blog.livedoor.jp/yuill/archives/51647390.html)、そこで取り上げられている選手はみな、どこかずれているが、なぜか憎めない。
特に、1925年に
8週間だけ
シカゴ・カブスの監督を勤め、自らの奇行でクビになった
ウォルター・マランヴィルには、親しみすら感じる。
今のメジャーリーグを見回して、ナッシュ、ズーロが言う「
不名誉の殿堂」入りを果たせる選手は、今年
オークランド・アスレチックスとマイナー契約を結んだ
マニー・ラミレスぐらいだろうか。
ラミレスも武勇伝が尽きない。試合中に電話をしたり、守備につきながら観客と一緒にウェーブに興じるなどと、その奇人っぷりから
ボストン・レッドソックス時代には「
Manny being Manny.(マニーはマニー)」と、ファンから愛されていた。
だが、2008年に
あからさまなチームへの反逆でレッドソックスを退団。
ロサンゼルス・ドジャースで迎えた2009年、
タンパベイ・レイズでの2011年にそれぞれ、
禁止薬物の使用に陽性反応を示した。ラミレス自身は今年、アスレチックス傘下のマイナー球団からメジャー復帰を目指しているが、笑顔での不名誉の殿堂入りは難しいだろう。
メジャーリーグに現在、ナッシュ、ズーロの両名が取り上げたくなるような将来の殿堂候補が少なくなったのは、1つには
選手年俸の高騰があるのではなかろうか。
メジャーリーグ選手会が2011年に発表した、開幕ベンチ入り選手
844人の平均年俸は
330万ドル。1951年は
1万3,000ドルだったから、いかにこの半世紀で選手年俸が高騰したかがわかる。
選手年俸が高騰すれば、ファンの目も厳しくなる。あんなに高い給料をもらっているのに、とばかりに多少のミスも、これまで許されていた言動にもブーイングする。球団も、決して安くは無い契約をしているのだから、性格に難がある選手の獲得には慎重になる。
だから、かつてのようなユニークな選手が減り、プロ野球選手のお手本のような選手が増えているのではなかろうか。
思えば、野球は牧歌的なスポーツだった。野球の最初の対外試合については諸説があるが、1846年6月19日に
ニュージャージー州ホーボーケンにある
エリージアン・フィールズで行われた
ニッカボッカーズ対
ニューヨークス戦も、候補の1つ。
ニッカボッカーズには、現代の野球のルールを確立したとされる
アレクサンダー・カートライトも所属していたのだが、そのニッカボッカーズは
23対1で、ニューヨークスに敗れている。
今なら草野球も真っ青なスコアだが、当時の野球は
21点目が勝負の目安で、選手も勝負とうよりも、レクリエーションや体力づくりの一環で参加していた。
きっとその頃には、ズーロ、ナッシュが言う不名誉の殿堂入り候補の宝庫だったに違いない。井川も、生まれてくるのが遅すぎたというのは、言いすぎだろうか。
バックスクリーンの下で 〜For All of Baseball Supporters〜
野球は目の前のグラウンドの上だけの戦いではない。今も昔も、グラウンド内外で繰り広げられてきた。そんな野球を、ひもとく