“堅守の日本”、その立役者でありながらも、パラグライ戦では、PKを外したことで一際クローズアップさせることになってしまった駒野が振り返るW杯とは――? 同放送内における駒野の言葉を箇条書きで以下に抜粋した。
「迷うことなく、自信を持って蹴ろうと思った。(PKは)中学生で外したくらいで、それからずっと決めていたので自信はありました」
「自分の出番がきて、(PKに)歩いていった時に自分の得意なコースに蹴ろうと思って歩いていました」
「あの瞬間はやってしまったなってことしか頭の中になかったです。(キーパーの動きが目に入った?)いや、ないです。蹴る時はキーパーの動きは見ないので。いつも通り蹴れたと思います」
「“終わりじゃない”と言われたし、“永嗣が止めてくれる”という声もかけてくれたんですけど、やっぱり、皆と目を合わすことができなかったです」
「本当に申し訳ないというか、本当に自分の責任だなって思いました。ずっと泣いていたんですけど、あまり周りの声というのは入ってこなくて、自分の世界というか、周りは気にできなかったですね。松井がずっと肩を組んでいてくれたのは分かったんですけど、色んな人に声をかけて貰って、ずっと下を向いていたので、そん時は誰がきてくれたのか分からなかったです」
「(ロッカールームでは)自分はずっと下向いていたんですけど、阿部ちゃんにずっと励まして貰って。闘莉王も“自分が蹴ったら外していた”とか。そういう言葉を貰った」
「このチームは、本当にチームワークがよくて、終わるのは本当に辛かった。次の日に日本に帰ることになったので、荷物をまとめてやるんですけど、やっぱり自分としては、部屋の外に出るのが嫌だったし、みんなと会うのも怖かったというか、自分の責任だったので、本当に申し訳ない気持ちで、あんまり部屋を出ることはできなかったですね」
「PKの失敗のことも頭から離れられなかったし、すれ違う人との目線というのも怖くて、合わすこともできなかったし、少しずつ映像を見るんですけど、あの時の悔しさがこみあげてきて、日が経つにつれ、少しずつ(テレビで)流れても見るようにして、自分から逃げ出さないようにはしようと思って見てました」
「全てを忘れてはいけないですけど、頭の中に刻み込んで、チームに合流しました。(次、PK蹴れと言われたら?)言われれば断ることなく蹴りたいと思います」