【ホンダのドライバー育成の課題とは】
ホンダが4輪のドライバー育成プログラムを本格的にスタートさせたのは1995年です。自社製のフォーミュラカーを使ってプロの4輪ドライバーを養成することを目指し、鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)が誕生しました。
しかしホンダが企業としてSRSの運営に直接関わっておらず、主体はあくまで鈴鹿サーキットでした。初代校長を務めていただいた日本人初のレギュラーF1ドライバーの中嶋悟さん、2019年から校長と副校長をそれぞれ務める佐藤琢磨さんと中野信治さんなどの協力を得ながら、運営も鈴鹿におまかせするという体制が長く続いていました。
転換点になったのは2022年です。ホンダ・レーシング(HRC)が2輪だけでなく4輪のレース活動も見るようになったことを契機に、ホンダ自らが責任を持ってスクールという育成プログラムをサポートする形にして、名称もホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿・フォーミュラ(HRS-Formula)に変更しました。
SRSを設立した際には「世界に通用するドライバーを育てる」という目標を掲げていましたが、ホンダがドライバー育成をストーリー立ててしっかりとできていたとは言えません。たとえば、毎年どれくらいの人数の受講生をSRSで育て、卒業したスクール生をどのカテゴリーで走らせ、どういうプランで世界最高峰のF1で活躍できるようなドライバーへと育てていくのか、という明確なプランはなかったと思います。
というのも、SRSを設立したあと、ホンダはつねにF1に参戦していたわけではありません。撤退と参戦を繰り返し、ホンダの育成プログラムのサポートを受けていたとしてもF1ドライバーには必ずしもなれないという時代もありました。さらに言えば、これまでホンダは自分たちのF1活動で結果を出すことに精一杯で、世界で活躍できるドライバー育成をしっかりと考えている余裕はありませんでした。
そういう状況のなかでも、2002年にはSRSの卒業生である佐藤琢磨選手がF1にデビューし、ジョーダン、BAR、スーパーアグリで活躍。2008年シーズンまでF1ドライバーとしてステアリングを握りました。
2016年にSRS-Fを卒業した角田裕毅選手は2018年にF3に参戦すると、翌年にはF2にステップアップ。デビューシーズンから好結果を残し、2021年にトロロッソ(現レーシングブルズ)でデビューを果たします。その後、5シーズンにわたってレギュラードライバーとして活躍することができました。
それでも前述したように、ホンダが計画的にドライバーを育成して佐藤選手や角田選手をF1に送り込んだというよりは、偶然の要素が強かったと私は感じています。ホンダがF1活動をしている時に育成ドライバーのふたりがいいタイミングで海外のレースで活躍し、ステップアップしていったことが大きかった。
世界で活躍するドライバーを育てるためには今のままではまずい。これからはHRCとしてきちんとした戦略を立てて育成プログラムを運営していくことを企業の責任としてやっていかなければならないと思っています。
【日本人ドライバー誕生に必要な"ビジネス"】
国内でモータースポーツを盛り上げるために日本人ドライバーの存在は必要です。そういう意味で角田選手の存在は絶大でした。日本人ドライバーがいるのといないのでは、注目度はまったく違います。
わかりやすく言うと、昨年のレッドブルのドライバーがF1で勝った時にNHKでニュースになるのかならないのか。マックス・フェルスタッペン選手が優勝してもNHKのニュースで触れられることはなかったでしょうが、角田選手が勝てばニュースで大きく取り上げてくれたと思います。日本での注目度は圧倒的に違いますね。
しかも、角田選手は海外でも人気者でした。ホンダとしても角田選手がシートを失ったのは痛いと思いますが、個人的にはとにかく彼にはF1という世界で生き残ってほしいという気持ちがあります。生き残ってさえいれば、いずれはホンダのパワーユニット(PU)が搭載されたマシンに乗れるチャンスはあるわけですよね。
生き残ることができないと、その可能性さえもなくなってしまう。そういう視点で言えば、角田選手がレッドブルとレーシングブルズのリザーブドライバーになれたというのは大きな意味があったと思っています。
ホンダのPUを使っているチームに対しては、ホンダが育成しているドライバーを「乗せてくれ」とリクエストする権限はあります。それはどのPUメーカーも一緒だと思いますが、F1では最終的にはビジネスの話になります。
F1の世界にお人好しはいません。取れるところからは取るというのがヨーロッパのビジネスです。逆にヨーロッパのF1という社会で生きていくためには、PUメーカーのホンダも取ろうとしないとダメなんですよね。
2021年シーズンにホンダがワークス活動を撤退したあと、ホンダはエンジンの名称を「RBPT(レッドブル・パワートレインズ)」にして、レッドブルからお金をもらってPUを供給していました。どうやってレッドブルからお金を取ろうと最初から狙っていたわけではありませんでしたが、ホンダが撤退してしまうと、レッドブルは使用するPUがなくなってしまう。
彼らとしては、勝てるPUを供給することができるホンダに引き続きF1に残ってもらうためには、技術支援の費用を支払うしかなかった。逆にホンダは、こういう生き残り方もあるんだとすごく勉強になったと思います。
後編<日本人ドライバーがF1頂点に立つ日は来るのか? 「ホンダとトヨタが協力し合うこともひとつの手」浅木泰昭が解説>につづく
<プロフィール>
浅木泰昭 あさき・やすあき/1958年、広島県生まれ。1981年に本田技術研究所に入社し、第2期ホンダF1、初代オデッセイ、アコード、N-BOXなどの開発に携わる。2017年から第4期ホンダF1に復帰し、2021年までパワーユニット開発の陣頭指揮を執る。第4期活動の最終年となった2021年シーズン、ホンダは30年ぶりのタイトルを獲得。2023年春、ホンダを定年退職。現在はF1コメンテーターとして活躍。初の著書『危機を乗り越える力 ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦』(集英社インターナショナル)が好評発売中。