サッカー界にとって今年はワールドカップの年だと思っていたら、こんな凄い世界大会が目の前にあった。
毎晩、テレビで見る選手の躍動感に心打たれていた。
そして年齢なのか「涙、涙」で、我ら日本代表の1シーン1シーンに、一人ひとりの表情に、感動した。
もちろん、そのレベルで人より高いポテンシャルを発揮した選手が「勝つ」のだろうが、冬季五輪は採点競技が多く、サッカーや野球、バスケット、バレーといった球技とは違い、柔道やレスリングといった格闘技とも違い、またタイムを争う陸上とも違う。
そこには美しさ、『美』も加味される。自分には分からない世界観と基準がある。さらに、皆が驚く「凄い技」は加点されるらしい。
しかし、僕はそれを知らないのに分かるのである…。
きっとサッカーもそうであろう。サッカーをやった事も体感した事もなくても、速くて、リズムがあって、テンポが良く、華麗な作りからゴールになると、サッカーをよく知らない人も凄いと思い、良いサッカーと分かるのと同じだ。
まさしく今回、目の前に映るシーンは「分からない」僕が「凄い」と思い、何故か涙が出てくるのだ。
どんな選手にも、背景に何かがあるかもしれない。
そのシーンを、飛んで着地したのを一瞬見ただけで、解説の説明は聞いていないのに、飛んだ瞬間の実況の言葉と飛んだ選手の空中に舞う姿、着地、着地後の腕を上げ歓喜する姿。それだけでジーンと涙が流れ感動しているのである。
彼女は金メダルを獲得した。スノーボード女子ビッグエアの村瀬心椛さん。21歳の彼女が猛スピードで助走路を降りて行き、空に舞い、着地して両手を上げ、フェンス際でしゃがみ込んで歓喜する。
そしてフィギュアスケートペアでは逆転の金メダル。技術的にも、どの技がどれほどの難度なのか全く分からなくても、フルで滑り切った2人がそれに値するかどうかは僕でも分かる。ミスをして涙。大きく泣き砕けた彼を支え、切り替えて臨んだ演技。
そして、やはり実況と解説の方が同時に話す言葉。これにも感動させられる。りくりゅう(三浦璃来さん、木原龍一くん)の2人だ。
メダルを取れた選手だけではない。ジャンプで最後、飛べなくて6位になった悔しさ。スキージャンプ男子スーパーチームの二階堂蓮くんと小林陵侑くん。
最後のスピードスケート1500mを、金を懸けて滑った高木美帆さんも6位で涙。
そして、怪我を押して骨折をしながら出場した平野歩夢くん。生死をかけたトライ、彼の後輩たちに対しての振る舞いにも感動した。
引退を決意した選手の演技となればテレビの前でそれだけで心が何とも言えない気持ちになる。見るのが怖くなる。幸いに眠くなる時間なので、寝て起きて結果を朝の情報番組で知れば良いと思う。
翌日、メダル獲得の知らせに「よっしゃ!」とベッドの中。
坂本花織さんの金メダルを懸けたフリーの演技は怖くて寝てしまった。翌朝、「よっしゃ!」ではなく、涙だったけど…。
女子シングルも男子シングルも、フィギュアは銀と銅が獲れて素晴らしい努力が実った。
僕は今まで生まれ変わったら何をやりたい? 何をやる? どうなってると思う? という質問には悩まず、また「サッカー」だな…と、60年間答えてきた。
そして、その考えは変わらないだろうと思い込んでいた。
しかし今回のミラノ・コルティナを見て、初めてその考えが揺らいだ。
それは競技が終わった後の日本選手団の振る舞いや、海外の人たちの態度、言動。認め合い、讃え合い、尊重・尊敬し合う瞬間。演技が終わった瞬間や、表彰式でメダルを受け取った瞬間。負けた選手も、本当に勝った選手の事を心から称え、その競技の誇りなんだと! 声は聞こえないが、そう聞こえてくるような雰囲気。