
銅メダル獲得後にパシャリ。彼らとは公私共にいまだに良い関係が続いています
そしてもう一つ、団体戦がある事の素晴らしさは、機会の創出だ。
私が忘れられないのが、ロンドン五輪の200mバタフライだ。金メダルを目指しながら、0.2秒届かなかった。あの瞬間、悔しさだけが残った。
だが、その後にリレーがあった。半ば強制的に気持ちを切り替えざるを得なかったが、戦う舞台が残っていたことに救われた。仲間とともに銀メダルを手にしたことで、ロンドン五輪は「悔しさだけの大会」ではなくなった。
今回でいえば、フィギュアスケートのアメリカ代表、イリア・マリニンの姿が象徴的だ。誰もが疑わない世界の頂点の実力を持ちながら、個人種目ではミスを重ねた。あの舞台の重圧がどれほどのものか、経験した私には分かる。もし個人戦だけの五輪だったなら、彼も失意だけが残っていたかもしれない。
しかし団体戦があり、仲間とともに戦う機会がある。リベンジできる可能性があること、チャンスが一度だけでないこと、それは、アスリートにもう一度立ち上がる理由を与えてくれる。
五輪種目の変化にはIOCの明確な意志が見える。IOCは近年、ジェンダー平等と持続可能性を掲げ、競技プログラムを見直してきた。男女出場比率の均衡を目指し、女性種目の拡充だけでなく男女混合種目も増やしている。男女が同じチームで戦う姿は、多様性の象徴であり、新しい物語を生み出す仕組みでもある。
そしてこの流れは、2028年の夏に開催されるロサンゼルス五輪でさらに進む。体操の男女混合団体、陸上の4×100m混合リレー、ゴルフや卓球の混合団体など、新たなチーム種目が加わる。
団体戦があることで、悔しさを取り返す機会が生まれる。個人戦があることで、自分自身と真正面から向き合える。挑戦の回数が増えることは、成長の可能性が増えることでもある。
ロサンゼルス五輪では、また新しい物語が生まれるだろう。そこにはきっと、誰かのリベンジも、誰かの成長もある。そして五輪から生まれるヒューマンドラマを、私はまた楽しみにしたい。
文/松田丈志 写真提供/Cloud9