◆Uターンの決意と帰郷
話を聞いた山下さん(仮名・34歳)は大阪の大学を卒業後、東京で社会人生活をスタートさせました。しかし、彼の東京勤務はわずか1年で終わり、北海道の旭川支店に転勤となったといいます。その後、旭川では2歳年下の女性と出会い、結婚。二人の子供に恵まれ、家庭を築いてきたそうです。
「最初は正直、東京でキャリアを積みたいと思っていました。でも旭川で生活してみると、自然が多くて子育てにはいい環境だなと感じましたね」と山下さんは当時を振り返ります。
山下さんの実家は精密機械の金型を製造する老舗企業です。幼い頃から、油まみれで働く父親の背中を見て育ったといいます。「父の姿を見て育ったから、どうしても自分はもっとクリーンな環境で働きたいと思ったんです」と語る山下さん。しかし、昨今のAIの進化による合理化で、勤務先の会社でも早期退職者の募集が行われることに。家庭や将来を考えた末、山下さんは実家を継ぐ決心をしたといいます。
「迷いはありました。でも、子供たちにも地元の環境でのびのび育ってほしい。父の背中を見て学んだ技術や仕事のやり方を自分も継承したいと思ったんです」と、山下さんは穏やかに話します。そして、10年ぶりに故郷の大阪へUターンすることになったのでした。
◆見覚えのある女性がテレビに
山下さんが地元に戻ったのは、春の終わりごろ。久しぶりに自宅で過ごす日曜日の夕方、ふとつけた地方ローカルのバラエティー番組で、不意に見覚えのある女性が目に入ったといいます。
「画面に映った瞬間、なぜか懐かしい気持ちになったんです。『あれ、誰だっけ?』って。髪型や笑顔、話し方が妙に馴染み深くて……」と山下さん。
番組では料理コーナーが紹介されており、彼女は手際よく食材を扱いながらレシピを披露していました。その姿はプロフェッショナルそのもので、単なる地方タレントではないオーラを放っていたそうです。
しかし、当日はそのまま番組が終了。結局、誰だったのか確信は持てず、翌朝、仕事に向かう道中でようやく思い当たったといいます。
◆その女性は元カノだった
翌日、山下さんは父親の会社へ出勤しました。社内はいつも通り忙しそうに従業員が動き回っていますが、しかし、昨日のことがどうしても頭から離れず、思い切って父親に話してみたといいます。
「そうだ、聞いてみようと思って、『昨日テレビに出てた女性、なんか見覚えあるんだよね』って話したんです。そしたら父がニヤッとして、『あー、美幸ちゃんか、高校時代の彼女だったよな。あの子な、今では関西で有名人だよ。SNSで料理レシピを紹介していて、それがバズって、今ではテレビの番組枠を持ってるようだね』って」
山下さんはその言葉を聞いて、目を見開いたといいます。「え、まさか……」と声にならない驚きが込み上げ、思わず笑ってしまったそうです。
さらに父親によると、古参の従業員たちも美幸さんの活躍をよく知っており、「近所でもちょっとした話題になっている」とのこと。山下さん自身も、妻に言えるような内容ではないため、ひそかに興味津々でテレビをチェックしていると話してくれました。
◆地元に戻って良かったと思える日々
山下さんは、元カノが地元でバズっていることに衝撃を受けつつも、どこか誇らしさや懐かしさも感じているようです。「高校時代の思い出がふと蘇ります。彼女と一緒に過ごした時間は短かったけど、あの頃の笑顔や仕草が今も鮮明に思い出せるんです」と山下さん。
ただ、日常生活に戻ると、元カノの話題はあくまで小さな驚きとして心の片隅にあるだけ。仕事は父親の会社で真剣に取り組み、家庭では妻と子供たちとの時間を大切にしているといいます。
「正直、テレビで見かけても『すごいな』と思うくらいです。昔の面影があるから余計に親近感もありますね。自分の生活は変わらないけど、こうして地元に戻ると、新しい発見があるんだなと感じます」と山下さんは笑顔で語ります。
10年ぶりの地元での再会は、偶然というよりも、時の流れがもたらす小さな驚きでした。彼は元カノの成功を心から応援しつつ、自分自身の新しい日常にしっかり向き合っているようです。
<TEXT/八木正規>
【八木正規】
愛犬と暮らすアラサー派遣社員兼業ライターです。趣味は絵を描くことと、愛犬と行く温泉旅行。将来の夢はペットホテル経営