そんなタイで働く日本人に人気の居酒屋がある。鶏肉料理を中心にした『鳥屋 花』だ。もともとは日本から進出してきた店だが、今は伊藤タケシさん(42歳)が現地オーナーとなって切り盛りする。この伊藤さん、居酒屋の店主であり、ときにはミュージシャンになる。が、そもそもはバックパッカーとしてタイに来て、そのままタイに居残っている口だ。ある意味、今も旅人なのである。
◆28歳で出発した遅咲きバックパッカー
そもそも伊藤さんがタイに来たのはバックパッカーとの出会いがきっかけだった。20代前半に工場で働く日々を過ごしていたころのこと。
「1年くらい、中国からはじまってタイなど東南アジアをぐるぐる写真を撮りながらバックパッカーをしていた人と出会いました。その人の話を聞いたのがきっかけで海外に興味を持ったんです」
伊藤さんは東京都下の工場で、3日間毎日12時間働いて3日休みというシフトで働いていた。2000年代初頭のバックパッカーは金が尽きるまで旅をして、なくなったら工場などで集中的に働く。伊藤さんはそういった人物に出会ってしまったわけだ。
「その人から海外の話をたくさん聞いて、自分も行ってみようと。出会ったのは21歳ですが、タイに来たのは28歳なんです」
車のローン、ギターの借金など返済地獄にはまっていた。「お金に余裕が本当になくて。そんなこんなで借金がなくなるタイミングが27、8のとき」。そこでやっとタイに向けて出発する。
その際に持っていったものは楽器だ。中3のころに「ゆず」に出会い、ギターを弾きたい衝動に駆られたのが、伊藤さんの音楽のはじまりでもあった。ただ……。
「バックパックと一緒に担いでいったのは沖縄三線です」
伊藤さんは「オリジナリティーを出さないと生き残っていけない」という謎のバックパッカー論を持ち、ギターより沖縄三線ならタイで弾いてる人はいないだろうと考える。そして、弾けもしない沖縄三線はわざわざタイに来る直前に通販で購入した。
28歳でバックパッカー・デビューし、その最初の出発から現在に至るまで、帰省などの一時帰国は別として、結局ずっとタイにいる状態だ。
「ある意味、28のときから今もずっと旅に出ている状態です」
◆流れに身を任せて今の店で働きはじめる
28歳で初めてパスポートを取って、飛行機に乗るのも初めて。まさかそのときはタイで暮らすことになるとは思ってもいない。
「最初は長くても1年と思っていたのですが、いつの間にかっていう……」
そもそも2011年12月にタイに来て、この『鳥屋 花 バンコク店』で働くことになったのが翌年3月。結局、ぶらぶらしていたのは3、4か月程度だ。
「最初は中華街近くの宿にいました。バックパックの話をしてくれた人から、とりあえずなにも調べないでタイに行っても死にはしないから、そのくらいがおもしろいでしょ、と。それで本当になにも調べずにタイに来ました」
その宿から日本人居住者の多いトンロー通りの辺りまで歩く日もあった。直線距離で8キロ弱、道のりでは10キロを超える。在住者でその距離を歩く人はよほどのウォーキング好きくらいだ。
その後、安宿を1か月くらい点々とし、トンローで月3000バーツちょっとのアパートをみつけた。日割りで100バーツとすると当時300円とか400円。安宿よりもずっと安い。伊藤さんが持ってきた費用は50万円ほど。そのまま1年いるとしたら月4万円、当時1万バーツ前後といったところが生活費。その予算だと月3000バーツはちょうどいいラインだ。たった1か月で立派な沈没組になった。沈没とはバックパッカー用語のひとつで、旅をしてまわらず1か所に居続けてしまうことをいう。