衝撃的な結末でした。フィギュアスケート男子シングル、あえて言うならば「イリア・マリニンさんまさかの8位」というこの結果。誰が金を獲ったか以上に誰がメダルを逃したかが語られることはそう多くはないのですが、この種目に関してはそうなるのも仕方ないことでしょう。それだけの力量と前評判があったわけですから。
試合についてはすでに十分に振り返られたあとでしょうから、各位で反芻していただければと思いますが、フリープログラムでは全体的に苦しむ選手の多い大会だったなと思います。特に最終グループは「生涯最高」はもとより自分の標準的な出来栄えにも届かない苦しい演技がつづきました。
現地の雰囲気なのか。リンクの状態なのか。団体戦も絡んだ日程問題なのか。あるいはほかの何かなのか。理由は定かではありませんが、日頃の試合とはまったく違うことが起き、だからこそ、そうした状況のなかでも自分のベストに近いパフォーマンスを出せた選手が大きな結果につながったのかなと思います。
カザフスタンのミハイル・シャイドロフさんは、この大本番に向けて4回転フリップやトリプルアクセルから4回転サルコウにつなぐ3連続ジャンプなど、自分にできるすべてを注ぎ込む演技。この1回、この日この時この瞬間に自分をどこまで高めることができるかの挑戦に勝った。そんな演技でした。
そして、日本の佐藤駿さんの演技も素晴らしかった。最後まで4回転フリップを追加するか構成で思案していたようですが、自分をオリンピック団体戦の表彰台まで羽ばたかせた「火の鳥」を貫きました。メダルを欲しがる以上に、最高の自分を五輪に遺すことに徹した、そんな選択だったと思います。この日この時この瞬間に向けて積み上げてきた長い長い準備の軌道の先に今があり、その軌道から正しく美しく跳んだ、そんな演技だったと思います。
過去の記録だけを踏まえるなら、演技を終えた時点の佐藤さんは自身のメダルはないものと思っていたでしょう。ただ、それは過去がそのまま再現されたら、の話。五輪に「たられば」はありません。過去がそのまま再現されるなら改めて五輪をやる意味はないのです。競技終盤の演技は…あえてひとつひとつ痛みをあげつらうのも無粋なので割愛しますが、あれが五輪ということだと思います。だから五輪は難しいし、だから五輪で勝つことは尊いのだ、そんな出来事だったと思います。
↓五輪の舞台で生涯最高を出せたシャイドロフさんが金!日本勢も銀銅!
真っ暗だった鍵山さんの表情が、佐藤さんのメダル確定で満面の笑顔に変わった!
日本はずっと「団体戦」で戦っているようでした!
表彰台に飛び乗る夢を叶えた皆さん、おめでとうございます!
五輪には魔物がいると言われます。もちろん、そんなファンタジーはありません。突き詰めれば、それは「弱かった」に尽きます。慰めの言葉や、勝ち負けがすべてではないという別の価値観の提示や、さまざまな不運・不利がなければというタラレバ繰り言、採点や判定に対する疑義など、過去(あるいは予測)との不一致を補うような言葉はいくつも用意があるのですが、勝利とメダルを求めた選手にあえて端的に言うならば「弱かったから」になってしまうのです。
五輪は過去を競う場所ではありません。過去の実績で五輪の結果が決まるなら、五輪をやる意味はないのです。五輪は日常的な範囲で出せる、平均的なチカラを競うための舞台ではありません。100回やってどちらが強いか、という話であれば、それは体力・技術だけでなく、抑えた出力でどの程度のチカラが出るかといった効率や、資金や環境がどれだけ整っているかという持続可能性など、さまざまな要因も含めての勝負になります。日常とは言うなればリーグ戦のようなものですが、五輪という非日常はそういう性質のものではないのです。
2019年6月24日にミラノ・コルティナ五輪の開催が決まったときから、この日この時この瞬間に向けて人生を捧げ、ここで自分の生涯最高のチカラを出すための長い長い一発勝負は始まっていたのです。途中経過は参考資料でしかなく、すべては初めからこの日この時この瞬間の1回だけの勝負だったのです。その1回きりだから、何年もの準備があるから、初めて出せる生涯最高最大最強のチカラがある。そのチカラは誰が一番大きいのか、その答えが初めて出るのが五輪なのです。「8年とか4年かけて人生すべてを注いだ準備をしたらどっちが強いかな?」の答えは誰も持っていないから、それを五輪で確かめるのです。それが「実力」なのです。だから難しいのです。だから尊いのです。
たくさんの人生がすべてを犠牲にして、たくさんの人を巻き込みながら、この日この時この瞬間に向かってきました。怪我をするかもしれない。病気になるかもしれない。不慮の事故に遭うかもしれない。道具が壊れるかもしれない。用具を盗まれるかもしれない。交通事故で会場入りが遅れるかもしれない。急に音楽が止まるかもしれない。楽曲が使えなくなるかもしれない。世界的なパンデミックで大会が中止になるかもしれない。母国が急に戦争を始めるかもしれない。特定の選手にだけ有利(不利)な判定をする審判が紛れ込んでいるかもしれない。隕石が落ちてくるかもしれない。そんなすべての危機を回避するのは本人の体力・技術だけでは到底足りません。自分以外のチカラや幸運も総動員して、すべてに備えるのです。
今回も団体戦の表彰台に乗ったときにブレードのエッジが刃こぼれしたという話がありました。そんな事故・不運があったとしても、刃こぼれしたエッジで転倒すれば、それは「8年とか4年かけて人生すべてを注いだ準備」に不足があったということ。靴が壊れてもいいように同じくらい使い慣れたスペアを用意する、であるとか。何を踏むときにも本当に踏んでいいのか確認する、であるとか。あるいは刃こぼれしても直せるような体制を組む、であるとか。それもこの長い長い一発勝負の一部であり、ほんの入り口でしかありません。「道具が壊れる」なんてのは、さっきありそうな危機を適当に列記したときにごく自然に入ってきていますよね。冷たい言い方ですが、当然備えるべき範囲のことなのです。
日本はその点で本当に幸運だったというか、素晴らしい備えができていたというか、佐藤駿さんを指導する日下匡力コーチが過去の苦い経験からブレードを研磨する技能を習得しており、今大会でもその技能によって各選手が問題なく滑れるように応急処置ができたといいます。本当ならば「もし靴が壊れたらどうしよう?」の答えを個々に持っておくべきでしたが、「研磨する」の選択肢を行使できたのは、まさに「支える人たちのおかげ」であり「幸運(=過去の不運とも言える)」であると思います。ひとりで戦っているわけじゃない、ありがたいことです。そんなことに思い致していれば、普段から支える人たちへの感謝の念が自然とこぼれると思うのです。自分では到底やり切れない準備を、その人たちが担ってくれているのですから。ほかの人の人生を使わせてもらっているのですから。支える人に感謝の念がこぼれない選手は、備えが足りない、僕はそう思います。あなたはまだ自分ひとりで戦って勝てる、そう思っている段階なんでしょうね、と。
五輪の魔物とは、そういうすべてのことなのです。
そこで起きるすべてが魔物のようになり、自分が今まで気づいていなかったこと、備えが足りなかったことを突きつけてくるのが五輪であり、そのなかでも特に気づいていなかったことや備えが足りなかったことを、人は未知であるがゆえに「魔物」と呼ぶのです。
日常のなかでは些細な、取るに足らないことが、「8年とか4年かけて人生すべてを注いだ準備をしたらどっちが強いかな?」という極限の戦いにおいては日常の千倍・万倍の強さで効いてきます。自分が重圧にどれだけ強いのか、重圧のなかで使える体力はどれだけあるのか、ほんの少しだけ配慮を欠いた言葉がどれほどの悪意の広がりを生むのか、今まで自分を知りもしなかった人たちが急に猛然と悪意や好意を向けてきたときどんな影響を受けるのか、自分がどんな責任や義務を負うことになるのか、すべては五輪でしかわからないことです。五輪に匹敵する舞台は五輪しかないのですから、五輪を知らない選手がいるのは無理からぬことです。が、それも備えのひとつ。「期待の若者にあえて早く一度経験をさせる」とか「弱いことを前提に徹底して守る」とか、できること・してあげられることはあるはず。できなかったのは足りなかったということ。備えが足りなかった結果として起きたことは、甘んじて受け入れるしかありません。そして、その不足が何で、どうすれば解消できたのかを確かめる機会もまた、五輪にしか存在しないのです。今度はすべてに備えられたのだろうか、自分は本当に強くなったのだろうかと自問自答しながら4年後に向かう、それしかないのです。
そんな難しい戦いだから、五輪の勝者は尊いのだと僕は思います。
まして、五輪を何度も勝つというのは、途方もない尊さなのだと思います。
五輪は出てみないとわからないように、五輪に勝つとどうなるかというのは勝ってみないとわかりません。期待も重圧もさらにいや増すでしょう。好意も悪意もさらにいや増すでしょう。責任も義務もさらにいや増すでしょう。そのとき自分がどうなってしまうのかは、その立場になってみないとわからないこと。それはきっと「8年とか4年かけて人生すべてを注いだ準備をした一発勝負(自分だけ常時魔物遭遇モード)」なのだろうと思います。想像もつかない世界の話ですが、そういう世界を見させてもらうことに、素晴らしい喜びがあり、尽きない感謝があります。願わくば今大会も、そんな途方もない勝利が見られるといいなと思います。すでに日本勢による同種目連覇の可能性は潰えましたが、種目問わずであればまだまだチャンスはありますのでね!
「既知の課題」と認識できていれば、人はそれを「魔物」とは呼ばない!
スポーツ見るもの語る者〜フモフモコラム
フモフモ編集長
さまざまなジャンルのスポーツを"お茶の間"目線で語る人気のコラム