ベネズエラの失脚した大統領ニコラス・マドゥロ氏がナイキ(Nike)のトラックスーツを着用した姿が、非公式ながらもバイラルな瞬間へと変わったことについては、すでに多くが語られてきた。
一方で、ナイキ自身が示した目立つほどの「無反応」については、ほとんど注目されていない。
かつて、ブランドというものは、この種のアクシデント的な盛り上がりを好機と捉えたものだった。事情を分かっている風な投稿や、ネットへの目配せ、あるいはその冗談をもう一周長引かせるための仕掛けを施したはずだ。
しかし、今回は何もなかった。
「Just Do It」という勧告によって帝国を築き上げたブランドからの沈黙。そして今回の場合、それは非常に意図的に「何もしなかった(didn’t)」のである。
ナイキが「反応しなかった」こと自体が注目すべき文化的選択
「ナイキは文化的瞬間を自らのものにすることで名声を築いてきたが、今回はその対象ではなかった」と語るのは、エムケーティージー・スポーツ+エンターテイメント(MKTG Sports+Entertainment)のシニアバイスプレジデント、アマール・シン氏である。
「この画像は政治的に強い意味を帯びており、スポーツの枠をはるかに超えるグローバルな影響を伴っていた。反応しないという選択をしたことで、ナイキは『いつ引くべきかを知ること』もまた、現代の文化リテラシーに含まれると示したのである」。
この抑制的な姿勢は、どんなミームよりも、現在のブランドとインターネットの関係性を雄弁に物語っている。
理由1:文化のスピードに企業が追いつけない構造
第一の理由は構造的なものだ。
インターネット文化の動きは、企業のシステムが反応できる速度を超えており、TikTokのトレンドは数日で燃え上がり、消えていく。ミームは数時間で変異する。
一方で、大企業はいまだに幾重にも重なる承認プロセス、法務チェック、そしてブランドの安全性を守るガバナンス(統治)を通じて動いており、単なるリアクション投稿でさえ数日がかりのプロセスになりかねない。
投稿の許可が下りる頃には、その瞬間はすでに過ぎ去っているか、最悪の場合、状況が反転してしまっている。
理由2:インターネットはもはや「安全な遊び場」ではない
第二の理由はレピュテーションの問題である。もはやインターネットは中立的な遊び場ではない。
それは政治的、社会的、経済的な圧力装置であり、読み違いは即座に、そして公然と罰せられる。軽い冗談のつもりの反応が、数時間のうちに価値観をめぐる論争やブランドセーフティ上の事故、さらにはボイコット要求へと転じることもある。
プラットフォームは、ユーモアと同じ速度で怒りを増幅させる。許容されるミスの余地は、ほぼ消滅している。
理由3:拡散しても積み上がらない注目への懐疑
第三の理由は戦略的なものだ。マーケターは「積み上がらない注目」に対して、より懐疑的になっている。
拡散された返信はインプレッションを生むかもしれないが、ブランドエクイティや購買意向、ロイヤルティを築くことはほとんどない。
広告費がますます測定可能な成果に結びつけられるパフォーマンス主導のマーケティング環境において、場当たり的な拡散性は戦略というよりもノイズのように見えてしまう。
ブランドは「追いかける存在」から「住み着く存在」へと変化している
それに代わって現れたのが、より静かで、管理されたカルチャー参加の形である。
ブランドは現在、クリエイターとのパートナーシップ、自社コミュニティ、長期的なプラットフォーム戦略、そして文脈(コンテキスト)や許可を得ているニッチなサブカルチャーへの投資を行っている。
目標はインターネットを追いかけることではなく、特定の領域に一貫性をもって「住み着く」ことだ。カルチャー的な関連性は、一過性の取引的瞬間から、持続的な存在感へと移行している。
「スポーツとカルチャーの領域では、読み違いはスクリーンショットされ、拡散され、そして牙をむいて使われる」とシン氏は言う。
ナイキはいま、文化的な余裕を失った再構築フェーズにある
こうしたリスクは、ナイキが現在、文化的にも商業的にも余裕のある立場にないことによって、さらに増幅されている。
同社は、長らく公言していた長期的なリセットの真っ只中にある。
コスト削減、流通の見直し、プロダクトパイプラインの再構築、そして数年間にわたる不安定な成長とブランド価値の低下を経て、再び関連性を取り戻そうとしている最中だ。そうした状況では、あらゆる対外的な瞬間が重みを帯びる。
そのような局面において、ナイキのマーケティングの仕事は、ブランドをオンラインで「どこにでも存在するもの(偏在的)」にすることではない。
投資家、卸売パートナー、そして消費者に対して、規律があり、一貫性があり、方向性の安定したブランドとして映るようにすることである。
データが示したのは「政治炎上」ではなく一過性の中立的消費反応
それでも、「ナイキがこれを利用して何ができたか見てみたい」と思わせるような奇妙で束の間の余地はたしかに存在した。
初期の反応は、道徳的な立場表明というより、集団的な困惑に近く、政治的声明というより「コーデチェック」に近いものだった。ソーシャルインテリジェンスのスタートアップであるディグ(Dig)のデータは、その点を鮮明に示している。
同社は、1月3日から1月12日にかけて、マドゥロ氏の画像とナイキ・テック・フリースを明確に結びつけたソーシャル動画投稿937件(再生数3億1770万回)を分析した。
その期間中、感情(センチメント)は圧倒的に中立(89%)であり、ポジティブな感情(9%)は需要や希少性の枠組みに集中した。ネガティブな反応(2%)は最初の24時間に集中したものの、その後は急速に消失したという。
会話の推移は、典型的なソーシャル動画の軌跡をたどった。初期の驚き、ミームとしての再編集、「売り切れ」を示す証拠、そして減衰である。
ディグは、ナイキや提携クリエイターの関与を示す証拠を見つけられなかった。論調は「これはリスクがあるか?」から「これは需要を喚起しているか?」へと移り変わった。
教訓は「参加すべきか」ではなく「文化の動き方を理解しているか」
「規模の大部分は、中立的で改変可能なフォーマットから生まれた。リアクション動画、ミーム、そして『彼のルックを盗め(steal his look)』といった投稿だ。ネガティブな感情は早い段階で現れたが、広がることはなかった。改変の余地がなく、すぐに消えていった」と、ディグのCEO兼共同創設者であるオフェル・ファミリエ氏はメールでの声明で述べた。
「教訓は、ブランドが飛び込むべきだということではない。リスクを理解したいなら、文化が動画のなかで実際にどう動くのかを理解しなければならない、ということだ」。
なお、ナイキはこの件についてのコメントを控えた。
[原文:
‘Amplified, and used against you’: Nike sat out the viral Maduro moment. That’s the point]
Seb Joseph(翻訳、編集:藏西隆介)