18日の大相撲が6年ぶりの天覧相撲であったことに「初日じゃなくて中日に行くべきだったか」「来るなら来ると先に言ってくれればいいのに(※警備の観点を持たない迷惑客)「愛子様ー!(※卑弥呼様ーのトーンで)」と思っている好角家の皆さま、こんにちは。個人的にも以前天覧相撲に立ち会った機会があり、その際は北の湖理事長(当時)が寝てるんじゃないかとヒヤヒヤしながら見守った記憶を懐かしく思い出しました。またこうして陛下のご臨席を仰ぐ機会があるよう、楽しみにしていければと思います。
さて、そんななか、今場所は判定に物議を醸すような機会が多いのが印象的です。二日目の義ノ富士と安青錦の取組、三日目の宇良と大の里の取組、そして七日目の豊昇龍と伯乃富士の取組、いずれもどちらが先に地面についたか観点では非常に微妙な取組で、物議を醸すのもさもありなんというものでした。このように微妙な判定の際は、審判の判定をビリーブすることを是としているのですが、心の底から納得できるものかどうか、改めて自分なりにも整理しておければと思います。
↓ということで、揉めそうな案件を3つつづけて見ていきます!まずは義ノ富士と安青錦!
↓そして3つのなかでも一番揉めそうな宇良と大の里!
↓揉める揉めないはさておき一番痛そうな豊昇龍と伯乃富士!
ご存知の通り、相撲の勝ち負けは土俵内で足の裏以外が地面(砂)につくか、身体の一部でも土俵の外についたら負けというものになります。これ自体は非常に単純明快なのですが、そのなかでも微妙な状況はいくつか存在しており、とりわけ土俵際でもつれてどちらが先に地面についたかという場面でしばしば揉めることとなります。
そうした判定の際に出てくる概念として、まず「体」があります。これは先に「死に体」を理解するのがよいのですが、「死に体」とは「重心を失ったり復元力がなくなったりして、それ以上は相撲を取り続けることが不可能な体勢になること」です。かかと立ち後傾で尻もちをつきそうになっていたり、投げられているときなどに身体が浮いて裏返ってしまったりして、「その状態からはもう元に戻って相撲できないですよね」という状況になると「死に体」「体がない」とみなされます。
揉める相撲ではしばしばこの「体」のありなしが問題となるわけですが、揉める理由は多分に、一般に思っている相撲の決着タイミングと、実際に判定しているタイミングが異なるからです。イメージとしては「全部が決着してから、遡ってどちらが先に死んだかを見極めている」くらいに思うほうがわかりやすいのかなと思います(※サッカーのオフサイドディレイのような)。たとえば、最初の義ノ富士と安青錦の取組ですが、どちらが先に地面についたか議論で言えば安青錦の手が先についたかもしれません。しかし、安青錦の手がつく前の時点で首投げを喰らった義ノ富士の身体は宙に飛んで裏返っており、その時点で「死に体」「体はない」とみなされます。
もし義ノ富士が「私は強烈な放屁の噴射でこの状態からでも立ち直ることができるのであります」などという超技能を備えていて実際に立ち直って見せれば「なるほど死に体ではなかったのか」となりますが、結果としてそのまま地面に着いておりますので、義ノ富士の勝ち負け判定にあたっては「死に体」になったタイミングを見ることになります。足で踏ん張ったまま落ちていく安青錦は「手をついたとき」を見て、義ノ富士は死に体となった「足が離れて空中で裏返ったとき」を見る、この判定タイミングに沿って見れば、この取組は安青錦の勝ちで相違ないと思います。
審判長の説明では「行司軍配は安青錦を有利と見てあげましたが、安青錦の手のつくのと義ノ富士の体の落ちるのは同時ではないかと物言いがつき、協議した結果、義ノ富士の体がなく、軍配通り安青錦の勝ちといたします」と言っていますが、これは「安青錦の手が地面につくのと義ノ富士の身体が地面につくのが同時じゃないかという物言いでビデオを見て確認したら、その前の段階でもう義ノ富士の体がなかったので先に負けてましたわ」という説明です。審判が本当に見ていたのは、地面についたところではなく、その前に義ノ富士が「死に体」になったタイミングということです。
↓なので相撲メディアの出す写真も「ここで義ノ富士の体がもうないですね」という瞬間になります!
この時点で義ノ富士は死に体!
安青錦の体はまだ死んでいないので安青錦の勝ち!
このように決着タイミングと判定タイミングの認識のズレがあるという認識で見ますと、3つめの豊昇龍と伯乃富士も腹落ちしやすくなると思います。この取組では両者が投げを打ち合って倒れるわけですが、最後まで左足で踏ん張っていた豊昇龍については「手をついたとき」を見て、伯乃富士については投げを喰らって空中で身体が裏返って「死に体」となったところを見る、そのように意識して見返すとどうでしょうか。
審判長の説明の「行司軍配は豊昇龍を有利と見てあげましたが、両者の体が落ちるのが同時ではないかと物言いがつき、協議した結果、同体と見て取り直しといたします」は、「両方とも同じタイミングで地面に落ちたんじゃないかと物言いがついてビデオを見返したら、豊昇龍が手をつくのと伯乃富士が死に体になるのが同時だったので、取り直しにします」ということです。同時に落ちたので取り直し、ではなく、両方同じタイミングで死んでたので取り直し、という微妙なニュアンスの差があるのです。
↓なので相撲メディアの出す写真も「手もついてるし、体も死んでるし、同時ですね」という瞬間になります!
「かばい手」と呼ばれるものも、「相手がもう死に体の状態で浮いている間に、先に手をついた」ケースのひとつなんですね!
落ちたかどうかよりも、体が死んだかどうかを見ると腹落ちしやすいと思います!
これを踏まえて一番揉めた宇良と大の里の取組を見ます。地面についたかどうか議論で言えば、大の里のほうが先に手をついているようです。しかし、実際に判定で見るタイミングは微妙かなと思います。大の里については手をついたときかなと思いますが、宇良についてはあれは技の途中として「尻もちをついたとき」を見るべきかもしれませんし、「もう後ろに体重が掛かって尻もちをつきそうになっているし、大の里にしがみついているから落ちないだけなので、その時点ですでに死に体」とみなせるかもしれません。大の里の勝ちはないかなと思いますが、「同体」は十分にあり得る範囲の判断と思います。
うっちゃりなどでも得てしてこういう状況(片方がスープレックス的なムーブを見せる)ことがありますが、その場合かなりしっかりブリッジになっていても「死に体」とみなされるケースはしばしばあります。かばい手論争の伝説的な一番に挙げられる昭和47年初場所八日目の北の富士と貴ノ花の取組も、スープレックス的な見地から言えば完全に貴ノ花が北の富士を投げ切っていますが、最終的には北の富士の勝ちとされました。北の富士は自分の負けと感じていたようですが、本人たちの思う勝った負けたではなく、相撲としてどう裁くかで言えば北の富士の勝ちとなる、そういう一番だったのだろうと思います。
この観点ではむしろ「平成16年名古屋場所の朝青龍と琴ノ若の取組が、朝青龍のブリッジ粘りで取り直しになったのは誤審で、琴ノ若のかばい手ですよね」というテーマのほうが揉め甲斐があるのかなと思います。映像などは各位ご覧いただければと思いますが、「朝青龍ならあそこからでもよじのぼってきそう」という主張には一定の説得力があると思いますので、「死に体とは」を考えるいい材料になるのではないかと思います。死んだか死んでないか、体があるかないか、これは永遠に揉められるテーマなのかもしれませんね。
↓そもそも先に地面に着いたかどうかの話ではない、という話!
↓これぐらいキレイに投げても負けになるのが相撲!
↓「死に体とは…?」となる朝青龍のゾンビ的な粘りの連続写真!
これが朝青龍の勝ちに見えるか、琴ノ若の勝ちに見えるか、どっちですかね!
「琴ノ若がエルボーで潰せば確実に勝ってた」の主張は、相撲なのでナシでお願いします!
大衆性・分かりやすさという意味では「とにかく地面に先についたほうが負けなんだよ」とすればいいのかもしれませんが、それでも「吊り出しの途中で、持ち上げているほうが相手を下に落とす前に先に土俵から踏み出しちゃった問題(※送り足として、先に踏み出しても負けにならない)」とか、「土俵際で思いっ切りジャンプして滞空時間勝負に持ち込んだ問題(※土俵の外に飛んだ時点で死に体/戻って来られればセーフ)」もありますので、杓子定規に「先に地面についたら負け」とするのも難しいところ。
まぁ、客視点では「揉めたら取り直せばいい」「むしろ微妙なヤツは全部取り直しで」「取り直し!取り直し!」という損得勘定もありますので、この問題については現状維持としていただきつつ、判定タイミングのズレについてもう少し説明をしていただくのがいいのではないかと思います。オフサイドディレイと同じで、旗をあげたタイミングが問題なのではなく、その前に判定のタイミングがあったんですよ、という説明を。そんなことで自分のなかでは腹落ちできたので、参考意見として見ていただければ幸いです!
ルールでハッキリさせたい人は相撲にはあんまり向いてないかもですね!
スポーツ見るもの語る者〜フモフモコラム
フモフモ編集長
さまざまなジャンルのスポーツを"お茶の間"目線で語る人気のコラム