――デビューシングルのリリース、おめでとうございます。アルバイト中の事故で、19歳のときに左目の
視力がほぼなくなってしまったと伺いました。
かたのめい:ありがとうございます。そうなんです、当時、語学の専門学校に通いながら
居酒屋でアルバイトをしていました。まだ始めて3日ほどだったのですが、掘りごたつに足をとられて転倒し、割れたグラスが左目に突き刺さってしまったのです。
――かなり凄惨な現場ですね。
かたのめい:傷口からぬるい血がつたう感覚はありました。ただ、事故の瞬間にはほぼ失明に至るとは思っていませんでした。病院へ搬送され、医師から「あなたの左目は見えるようになりません」と言われて初めて、現実を知った感じです。
◆左目の
視力を失ったあと、海外に
――ショックだったと思います。
かたのめい:私はそれまで、どちらかといえば明るくて人を笑わせるのが好きな子どもでした。ちょっと矛盾するんですが、恥ずかしがり屋なのに人には笑ってほしくて、小学校のときにはクラスで出し物をすることになり、友人とお笑いコンビを組んだりもしました。
一方でスポーツも好きで、中学時代はソフト
テニス部で副部長を、高校時代はダンス部で部長を経験しました。エレクトーンも習っていたり、とにかくいろんなことに興味があったんです。
けれども事故によって
視力を失ってしまい、痛々しい
見た目になったことで、深く落ち込みました。いろんな友人がお見舞いにきてくれましたが、明るく振る舞う一方で落ち込みやすい
性格を知っているので、みんな心配してくれましたね。
――そのあと、海外でボランティアを経験されるそうですね。どういった心境の変化ですか。
かたのめい:もともと、海外へのあこがれは強かったんです。親戚に
アメリカやオーストラリア在住の人がいて、「いつか自分も海外に」とは思っていました。ただ、事故直後は精神的に参ってしまって、それどころではありませんでした。
本当に不思議なのですが、悩んでいるさなかに、頭のなかに映像が浮かんだんです。それは、飢餓で苦しむ海外の子どもたちでした。そのときに「自分だけがつらいと思ってはいけないな」と前を向けたんです。20歳のとき、単身で数カ国に足を運びました。
◆「ひとりで行くような場所ではない」と釘を刺された
――若い女性が身一つで海外へ行くというのは、周囲も心配しませんでしたか。
かたのめい:当然ですが、親は非常に心配してくれて。でも最終的には私の意志を尊重して、納得してくれました。アイスランド、インドネシア、タイ、ラオス、ベトナム、カンボジア、オーストラリアのうち、3箇所分はアルバイトを掛け持ちして資金を貯めたのですが、足りない分は親が貸してくれました。
また、大使館の人も「若い娘がひとりで行くような場所じゃないから、やめといたほうがいいのではないか」と言っていました。でも、私の意志は固かったんですよね。
――現地ではどんなボランティアをしていたのでしょうか。
かたのめい:一例ですが、インドネシアでは路上生活の子どもたちに日本語を教えたり、カンボジアでは学校を建設する手伝いをしたりしましたね。
◆「身体障害者の定義」に当てはまらない
――話は変わりますが、片目失明という状態は、日本の制度上、保護されていない部分も多いそうですね。