岡山県立玉野光南高校で陸上部に入ると、3000メートル障害でインターハイ準優勝し、世代トップランナーの一人に名乗りを上げました(【画像②】は高校時代の黒田朝日選手)。
そして大学は、青学に進学し陸上競技部に入部。1年時には三大駅伝での出走はありませんでしたが、2年生になるとその存在感は増していきます。
出雲駅伝2区で区間賞、全日本大学駅伝で区間2位といきなり存在感を示すと、箱根駅伝の花の2区では驚異の7人抜きを見せます。
鮮烈な箱根・区間賞でのデビュー。青学の優勝に貢献し、大きな話題になりました。(【画像③】は2年時、箱根を快走する黒田朝日選手)。
2年前に岡山で取材 当時のサインは「驚きの...」【画像あり】
今から2年前の2024年1月。初めての箱根を終えた黒田朝日選手(当時2年生)が地元・岡山市に帰郷した際に、RSK山陽放送では初めて取材させてもらうことになりました。
母校・玉野光南高校の陸上部の恩師に挨拶をするということで、練習場所の岡山県総合グラウンドで待ち合わせをしていると…人だかりができているのが見えました【画像④】。
なんと、地元の中学校の陸上部員らが列を作り、黒田選手にサインを求めていたのです。求められるがまま、シューズ袋などに笑顔でサインを書く黒田選手。
しかし手元を見てみると書かれていたのは楷書で「黒田朝日」。さながら持ち物への“名前書き”のようでした【画像⑤】。
(黒田選手)
「こんな行列になるとは思っていなかったです。」
ーサインが楷書ですが…
(黒田選手)
「作ってないんですよ。サインなんて書くことないから(笑)」
箱根駅伝・花の2区で区間賞、さらには強豪・青学エースへの取材ということで、筆者自身は数日前からものすごく緊張していましたが、ほんわかとしたムードに包まれ、とても安心したのを覚えています。
2年時・初の箱根駅伝で区間賞「え、区間賞だったの?」レース後に驚き
そして、初めてのインタビュー。箱根2区の走りを振り返ってもらいました。
(黒田選手)
「どれだけ振り絞って前と差を詰めて、3区に渡せるかを考えて走りました」
ー走り終わった後の記録を見て、どう思いましたか?
(黒田選手)【画像⑦】
「もうびっくりしましたね、本当に。『え、区間賞だったの?』みたいな」
「前半余裕を持って入って、後半上げるというレースプランを立ててはいたんですけど、前半はむしろ全然ペースが上がっていなくて『これちょっと終わったかな』っていうくらいの気持ちだったので(笑)」
「本当に、終わって記録を聞いた時には驚きでしたね」
レース中にはちょっとした動揺もあったといいます。さらに、そもそも「区間賞やタイムの目標は立てていなかった」とも話してくれました。。今の黒田選手の姿からは想像もつきませんが、「後半の走り」には手ごたえを感じたといいます。
(黒田選手)
「権太坂に入って動きが良くなったのかな?というのがあって…もしかしたら『これは結構いけているのかな』ともちょっと思いつつ」
「最後の『戸塚の壁』は本当にキツくて、全然覚えていないですね(笑)」
黒田選手のレースについての記憶がやや曖昧に聞こえるのは、独特すぎるスタイルにあります。今でこそ陸上ファンの間では知られた事実ですが、当時は大きなインパクトがありました。
「レース時に時計はつけない」独特過ぎるレーススタイル
(黒田選手)【画像⑧】
「レースの時に僕は腕時計をつけて走らないです」
ーなぜですか?
(黒田選手)
「ラップタイムとか気にして走っていたら、速くても遅くてもそんなにいい方向には働かない」
「(時計を)つけていなくても、きついかきつくないかギリギリのラインで走っていれば割といい走りはできるので…タイムとかには囚われない」
順位はもちろんですが、「タイムの速さ」を競うのが陸上におけるレースの目的であるはず。そのタイムに「囚われない」という言葉に、記者自身はとても驚きました。
(黒田朝日選手)
「その時に、自分ができる一番いい走りができればいいのかなと思います」
ー感覚ということですか?
(黒田朝日選手)
「感覚ですね」
「箱根ではやっぱり『自分が思い描いた通りの走りができたのが一番かな』と思っていて」
「最初のほうは『大集団の中でというレース運び』だったんですけど、他の人のペースだったりというのに惑わされずに、本当に自分の一番走りやすいペースでレース運びができたというのが、自分の力を最大限引き出せた要因だったのかな」
普段から「感覚」を研ぎ澄まし、コツコツと練習はするが、無理はしない。だからケガもほとんどせず、練習もずっと積むことができる。そしてその「感覚」で、レース本番に向けて「合わせる」ピーキング能力も高い。
「天才肌」と称されることもありますが、本人は「練習が積めているからこそのピーキングであり感覚」だと、「才能ではない」と語ります。
「普段はとてもマイペース」弟と妹が語る普段の黒田選手
黒田選手は、4人きょうだいの長男【画像⑨】。この時(2024年1月)、黒田選手の弟・然選手は玉野光南高校の3年生でした。全国高校総体の3000メートル障害で、兄と同じ準優勝を果たした選手です。
また妹の六花選手(現・仙台育英高2年)は、1500メートルで全国を制した岡山市立京山中学の3年生。末っ子の詩歌ちゃんも、かけっこがとても速いという。黒田選手の普段の様子を聞いてみると…
(妹・六花選手)【画像⑩】
「普段はマイペースで、自分のやりたいことに集中している感じ」
(弟・然選手)
「僕が高校1年生の時に(朝日選手は)高校3年生で、毎日朝は同じ電車に乗っていくんですけど」
「僕は結構時間をきっちりしたいタイプで、電車ギリギリとかは嫌なんです。最初は一緒に駅に行っていたんですけど、朝日は電車が来ると同時にホームに上がるぐらいで」
(黒田朝日選手)「(笑)」
(然選手)
「僕はギリギリが嫌なんで、たまに置いて行ったりしていました」
(黒田朝日選手)
「僕の準備が遅くて…」
(【画像⑪】は高校時代の朝日・然兄弟の制服姿)
普段はマイペース。しかし走ると「まるで別人」なのだといいます。
そのギャップも含め、「凄いランナーだな…」素人ながら感銘を受けた筆者は最後、黒田選手に「将来の夢」を問うと、意外な答えが返ってきました。
「具体的な自分の将来像は考えていない」では、目指すのは?
黒田朝日選手からは「五輪など世界の舞台を目標にしている」という答えを予想していましたが、その予想は大きく外れました。
(黒田選手)
「具体的な自分の将来像は考えていないので…。『五輪や世界で』という気持ちは全然ないんですけど」
「普通に大学生の間は本当に、『今年以上の走り』というのを来年・再来年と、していければいいのかなと思います」
「その先も『実業団に入って競技を続けたいな』と思ってはいるので、次のステージで、自分が最高のパフォーマンスができる状態にあればいいのかなと思います」
世界の舞台には興味がない、あくまでも「自分のパフォーマンスの向上」をいかに続けるのかを考えていきたいのだと語ってくれました。
(黒田選手)【画像⑬】
「『人の記憶に残るような走り』ができる選手に、なりたいとは思いますね」
この時には、「マラソン出場も全く考えていない」と話していた黒田選手。まさかこの1年後、初マラソンで日本学生記録を樹立することになるなんて、夢にも思っていませんでした。
【第2話】原 晋監督「将来、日本記録を出すんじゃないかな」
【第3話】走るのは2区か、5区か「当分破られないぐらいのタイムを」亡きチームメートの思いも汲んで
に続く