11月中旬、両陛下がご臨席され、日本の海外協力隊発足60周年の記念式典が開かれた。1965年から現在までに延べ5万8000人、99の途上国などで経済・社会の発展に貢献してきた海外協力隊。初の派遣先となった東
南アジアのラオスには、当時5人の隊員が抜擢された。
その一人、稲作を指導した大西規夫さん(84)が、今秋、58年ぶりに現地を訪問。
数々の困難を乗り越え、“日本の田植え方式”をラオスで広めた大西さんが起こした“奇跡の米”の秘話に迫る。
さらに、先人たちの思いを引き継ぎ、現地で活動する現役協力隊員たちの奮闘を追った。
【動画】シニア海外協力隊が「第二の人生」を懸ける途上国支援のリアル「お金じゃない」もう一つの選択

自然豊かな長野・駒ヶ根市にある、JICA=国際協力機構の訓練施設。
今回合宿している2025年度 第2次隊の訓練生は115人。6割以上が女性で、中にはシニアの姿も。
一限目は語学で、2人の訓練生が習うのはシンハラ語。スリランカの公用語だ。渡邊 揚さんは障害児・者支援のため、スリランカに赴任する。
スペイン語の教室で学んでいた天本 保さん(62)は、50年以上続けている
剣道を教えにアルゼンチンへ。
剣道人口が500人ほどと言われるアルゼンチンで、さらに
剣道を広めることが目的だ。
竹内紀彦さん(55)は、外資系
投資会社を退職して応募。派遣先はキルギスで、外国からの
投資をキルギスに呼び込む専門的な実務経験が求められている。
「ある程度儲けてしまったら、それ以上の幸せは得られない。幸せが何かを自分の
人生の中で考えていきたい」(竹内さん)。

海外協力隊には農林水産・保健医療など9分野177の職種があり、募集は春と秋の年2回。面接試験などを通った候補生が、最終合宿に参加できる。
73日間にわたる泊まり込みの合宿を終え、修了試験に合格すると、彼らはそれぞれ途上国支援に派遣される。
かつては青年海外協力隊と呼ばれていたが、2018年、“青年”の文字が無くなった。
今回も15人のシニアが参加。派遣期間は原則2年だが、1カ月からの短期派遣もあり、
現在74カ国で1635人が活動中だ(2025年10月31日現在)。

11月19日、2025年度 第2次隊訓練生たちの修了式が行われた。115人全員が修了試験に合格。これから、彼らを必要とする国へ飛び立っていく。
ラオスの稲作を変えた若き隊員の情熱

大河・メコン。源流はチベット高原で、6カ国を流れる東
南アジア最大の川だ。
そのメコン川が縦断するように流れるのが、ラオス。首都はビエンチャンで人口は約758万人。国民の6割以上が
仏教を信仰する国だ。
60年前、初の海外協力隊員が降り立ったのがラオス。5人の隊員のうち、稲作を指導したのが最年少の大西規夫さんで、当時24歳だった。大西さんの実家は北海道の米農家で、
アメリカでも農業を学んだ。

10月14日、日本の支援で整備された首都ビエンチャンの国際空港に、隊員第1号の大西さん(84歳)の姿が。任期を終えて帰国以来58年ぶりの訪問で、街の変わりように驚きを隠せない。初の海外協力隊員…その苦労は想像に難くない。
「当時はベトナム戦争が激しくて、爆弾の破片が私の住んでいる
部屋の屋根を突き破って、ベッドの一部が黒焦げになっていた」(大西さん)。
当時、隣国のベトナムは戦争の真っ只中で、ラオスにも爆弾が落とされた。北ベトナムの補給路がつくられていたため、戦火に巻き込まれたのだ。

ラオス訪問2日目。大西さんが向かったのは、ビエンチャン郊外にある政府の農業施設「植物防疫センター」。大西さんが米作りの指導のために派遣された場所だ。
稲穂を触った大西さんは、「とても素晴らしい。1本の穂先にこれだけのもみが付いている。施肥、水の管理、除草、全ての作業が順調に行われているため」と驚く。
大西さんが派遣された頃のラオスでは、田んぼに直接種もみをまく直播きだった。
収穫量も少なく、雨季に大雨が降ると種もみが流され、思うように収穫できない年も。
そこで大西さんは、苗を育ててから植える「田植え方式」を導入した。
「自ら素足で田に入り、苗を1本1本植えた。稲作試験場のスタッフが5人いたが、『とても私にはできません』という態度だった。それが実りの秋を迎えて、脱穀機でもみがどんどんたまっていく光景を見て、職員が喜び始めた。国際協力の原点はこれだと」(大西さん)。
大西さんが伝えた田植え方式はラオス全土に広がり、収穫量は劇的に増加。現在ラオスでは、コメが当時の10倍以上とれるという。
「植物防疫センター」の所長は、「大西さんに教えてもらった技術で、このセンターは有名になった。多くの農民たちは、ここのもみを使っている」と感謝を伝えた。
揺れる国際貢献とODA
日本の国際貢献は、JICAが主に担う「ODA=政府開発援助」が根幹をなす。その7割が有償資金協力。つまり、利子を取る貸付けで当該国の返済が進んでいる。
一方、無償資金協力などの国の一般会計予算は1997年にピークを迎え、約1.1兆円に。その後は減少し、現在は半分ほど。その無償資金協力の中に海外協力隊が含まれている。

なぜ外国にお金を使うのか…常に国民の目にさらされるODA。海外協力隊が奮闘を続ける中、10月26日、東京・永田町の自民党本部の前ではこんなデモが起きていた。
デモ参加者「JICAが勝手に決めて、木更津にナイジェリアの『ホームタウン』をつくる。誰がそんなの承認したのか」。
JICAは、全国4つの市をアフリカ諸国のホームタウンに認定。姉妹都市のような構想だったが、「移民を受け入れる制度だ」と誤った情報が拡散されてしまい、批判の的に。
揺れ動く国際貢献の形。ニッポンにできる事とは⋯ 。
海外協力隊60周年を迎え、政府はその意義を強調。
茂木敏充外務大臣は「海外協力を通じて国際社会の
平和と繁栄に貢献することは、我が国の
平和や安定、さらなる発展といった国益につながるもの」と述べた。
「第二の人生」を懸ける定年シニア

長年化学メーカーに勤め、工場排水の水質管理を指揮してきた川口泰広さん(63)もまた、海外協力隊の一人。
「定年までずっと利益のために、会社に対して身を粉にしながら働いてきた。定年を境に、
人生の最後ぐらい純粋に困っている人に対して、私の持っている技術で貢献できたら」。
川口さんは第二の
人生を、ラオスでの水道事業に懸けていた。

この日、川口さんは飲み水を調査するため、ラオス南部にあるロムサックタイ村(人口約2500人)へ。ラオスの典型的な
田舎の村で、農村部の平均月収は約1〜2万円。伝統的な高床式住居に大家族で暮らしている。

村にある立派な井戸は日本のODA。25年以上前、無償資金協力でつくられた。
地下50mからくみ上げた水は非常にきれいだが、この大きさの井戸は村に2つしかない。
しかも、ラオスの水道普及率は約25%(日本約98%)で、4人に1人しか使えないという。
川口さんが村の人たちに話を聞くと、「水道を使いたいけどお金がない」「家の場所によっては、遠くまで水をくみに行かなければならない」など、問題が浮き彫りに。

メコン川に架かるパクセー橋(ラオス・日本大橋)も、日本の無償資金協力でつくったもの。川沿いに広がるのが、ラオス第3の街・パクセー市(人口約10万人)で、この街の水道を担う「パクセー浄水場」が川口さんの派遣先だ。
1973年にフランスの援助で建設され、2003年からは日本が技術支援。ここでは、メコン川の水をくみ上げて浄水している。

川口さんの日課の一つが水のサンプリング。川の状態は日々違い、この日の水は、赤土と生活汚水が混ざっていた。

市内では、水道の普及が進む一方で施設の老朽化もあり、水の汚れがなかなか取れない。
「最終工程なので、(この濾過池には)きれいな水が収まっていないといけない。この状態が非常に大きな課題」(川口さん)。

そこで、水の汚れを取る薬剤をどの程度投入するか…日々の細かい調整が必要となるが、実際に作業するのはラオス人の職員。スポイトで薬剤の量を測るが、川口さんが繰り返し教えても、同じような失敗をする職員が多い。
「自分がやってしまうと意味がない。それが一番苦しい。何とかしたい」。
教育水準一つ取っても大きく違う海外。川口さんは、
人材育成の大変さをかみ締めていた。
そんな川口さんに、大切なものを残してくれた一人の女性がいた。果たして、彼女が残したものとは――。
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