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「高市だけは許さん!」追い詰められた習近平が日本叩きに走る本当の…
集英社オンライン
皮肉なことに、中国共産党内部からも、この破滅的な路線に対する突き上げが起きているようだ。2024年秋に開催された「四中全会」において、習近平路線は事実上の修正を余儀なくされた。
発表されたコミュニケ(公式文書)からは、それまで習近平が声高に叫んでいた「安全保障」のトーンが弱まり、代わりに「実体経済」や「消費」を重視する文言が盛り込まれたのだ。
これは、経済の実務を知るテクノクラートたちが、イデオロギー優先の暴走に対し、崖っぷちでブレーキをかけた証左といえるだろう。習近平の掲げた「強国への夢」は、冷厳な経済の現実の前に、脆くも敗北したのである。
『外交』Vol.94における鈴木隆・大東文化大学教授と川島真・東京大学教授の対談記事「習近平体制 個人独裁への政治力学」は、極めて示唆に富む分析を提示している。
「(習近平は)『辞めるに辞められない』のが実情でしょう。党であれ軍であれ、習氏に権限が集中しすぎて、彼自身が権力のクモの糸にからめとられているような状況に見えます。
彼の権力を引き継げるほど信頼できる人物が簡単に現れるとも思えず、権力者としての長期政権への野心は別にして、自身の出処進退も含めて権力の慣性または惰性の結果、4期目に向かう流れが構造的にできつつあると思います」
自ら張り巡らせた「権力のクモの糸」に、捕食者であるはずの習近平自身が絡め取られているという構図は、滑稽でありながらも戦慄を覚える。彼は止まることの許されない自転車を漕ぎ続けるしかないのだ。
止まれば倒れる。倒れれば食われる。たとえ経済がボロボロになり、国民が塗炭の苦しみを味わおうとも、権力という自転車を漕ぎ続けるためには、求心力を維持する「燃料」が必要になる。
その燃料こそが、「外敵」の創出だ。国内に渦巻く不満を、国外への憎悪という形に変えて排出する。これは古今東西、行き詰まった独裁者が最後にすがりつく常套手段である。そして今、その格好の標的として選ばれたのが、毅然とした態度を崩さない日本の高市政権だ。
高市首相が台湾有事に対して「日本の存立危機事態になり得る」と述べたことに対し、中国側は常軌を逸した反応を見せた。日本産水産物の輸入停止を再開し、国連の場であらぬ誹謗中傷を繰り返す。
これらは、食の安全や外交的な懸念などという高尚な理由からではない。単なる国内向けの「ガス抜き」だ。経済失政で鬱屈した国民の怒りを、「悪い日本」に向けることで、自らへの批判をかわそうとする浅ましい政治ショーに過ぎない。
日本産水産物を禁輸すれば、中国国内の日本料理店や加工業者が倒産し、自国民の首を絞めることになる。日本への渡航を制限すれば、中国の航空会社や旅行代理店が悲鳴をあげる。
それでも習近平は止まれない。経済合理性よりも、自らのメンツと保身が優先されるからだ。なんと哀れで、惨めなリーダーだろうか。自らの延命のために、自国民の生活を犠牲にし、隣国に唾を吐きかける。
その姿には、大国の指導者としての威厳など微塵もない。ただ、追い詰められた獣の凶暴さがあるだけだ。
私たちに必要なのは、冷徹なリアリズムと、強靭な足腰だ。中国という巨大市場がかつての輝きを失い、リスクの塊と化した今、日本企業は粛々と「脱中国」を進めるべきである。
サプライチェーンを再構築し、過度な依存から脱却することこそが、最高のリスク管理となる。相手の顔色を伺うのではなく、相手がいなくとも生きていける体制を作ることだ。
そして何より重要なのは、日本自身が経済的に強くあることだ。増税や規制で自国の活力を殺ぐような真似をしてはならない。
今こそ、減税、とりわけ消費税や間接税の大胆な減税を断行し、民間の活力を最大限に引き出すべきである。企業が自由に活動し、個人が豊かさを実感できる社会こそが、全体主義の毒に対する最強の免疫となる。
逆に、バラマキや、複雑怪奇な給付金制度などは、国民を国家に依存させるだけであり、それは奇しくも中国が失敗した「ソ連化」の二の舞になりかねない。
国家が肥大化し、経済の隅々まで管理しようとすれば、活力は失われ、やがて中国と同じような停滞と腐敗を招くことになるだろう。
習近平という独裁者が、自らの蒔いた種によって自滅していく様を、我々は対岸の火事としてただ眺めているわけにはいかない。その火の粉は、確実にこちらへ降りかかってくる。
だが、恐れることはない。虚飾にまみれた独裁国家よりも、自由と市場を信じる国家の方が、はるかにしぶとく、強いのだということを、歴史が証明するだろう。日本はただ、是々非々を貫き、自らの繁栄を追求すればよい。ボロボロの巨龍に付き合う義理など、これっぽっちもない。
文/小倉健一 写真/shutterstock