◆本気でプロ野球選手を目指すも、身長が伸びず挫折
シングルマザーだった母だけでなく、祖母、姉と女性に囲まれて育った成さんは「家の中にいてもつまらないから」と、物心ついた頃から外で活発に遊ぶ子どもだった。どのスポーツもまんべんなく得意だったが、特にのめり込んだのが野球だ。
「公立ながらプロスポーツ選手を多く輩出している高校に、野球推薦で入学しました。部活は週6日あって、月曜日だけ自主練で自由参加だったのですが、自分はその日も休まず練習していました。1年間、ずっと野球漬けでしたね。でも2年に進学したら上手い後輩がたくさん入ってきて、自分が守っていたショートを奪われてしまい……。それに、身長が166cmから伸びず、体格面で限界を感じるようになりました」
高校に入学したとき、背が高くなることを期待して2Lのユニフォームを買ったが、卒業するまでぶかぶかのまま着続けたのだそう。プロ野球選手の道は諦めたが、新たに志したのが教師の道だ。
「高校で友だちに会うのが楽しかったし、学校自体が好きだったんです。この環境にずっといられたらいいなと思い、教師を目指して教育学部のある大学に進学しました」
◆女子生徒には怒れなかった高校教師時代
大学での教職課程を経て教員免許を取得し、体育教師として、地元の中学校で働き始めた。生徒と年齢が近かったためフレンドリーに接していたが、女子に注意することが苦手だったそう。
「生まれ育った環境の影響なのか、女性の感情に敏感な性格なので、女子生徒には怒れなかったんです。それにリーダー格から敵視されると、もめごとがどんどん大きくなってしまう。だから女子生徒の指導は、自分より彼女たちの気持ちが分かる女性の先生に任せていました。
代わりに、男子生徒には厳しく接していました。とは言っても、頭ごなしに怒ることはしていません。例えば、掃除をサボっている生徒を見かけたとき『ちゃんとやれ』って言うのは簡単だけど、あまり響かない。まずは『掃除めんどくさいよね。先生も苦手だよ』と共感した後、『でも周りの友だちにはどう映るんだろう。サボってる奴だと思われるの嫌じゃない? 残りの時間だけでも掃除しておかない?』と話しかけるなど、生徒自らが前向きに取り組みたくなるようなコミュニケーションを心がけていました」
◆本気で売って稼ぎたいのは“自分自身”だった
1つのクラスを3年間受け持ち、生徒たちの卒業を見届けたとき、「このまま教師を続けていいのか」と自問自答した。
「教育現場は楽しくて、全然嫌ではなかったんです。でも教師のような年功序列制度より、実力主義で勝負する仕事環境のほうが自分には向いていると思いました」
中学校を退職して始めたのが、アフィリエイトブログだ。得意分野のコミュニケーションや教育などをテーマに、高収益を目指して記事を書き続けた。
「でも3カ月で5000円くらいし儲からなかったので、すぐ諦めました(笑)。その後、営業職を受けてみたけれど、興味のない商材を売ることに全然前向きになれませんでした。本気で売って稼ぎたいと思えるものは何なのかを考えてたどり着いたのが、“自分自身だ”って気付いたんですよね。そこで、大好きな自分を商売にできる“ホスト”という仕事をやってみようと思い立ちました」