「昼の仕事でも夜と同じくらいの金額を稼ぎたいなと思って始めたのが、営業会社のインターンです。ここでもまた自分の競争心に火がついてしまって、気がつけば100人近くいる学生インターンの中で、ほぼ毎月営業トップになっていました。月収は100万円近くありましたね」
◆卒業後の選択肢は「就職」「子会社社長」「独立」
そんな金子氏にも、やがて学生時代にも終わりがやってくる。卒業後の進路候補は3つ。「大手企業に就職する」「インターン先の会社の子会社社長として独立」、そして「完全に独立起業する」だった。
「結局、僕が選んだのは起業でした。どうせやるなら自分でゼロからやるほうが楽しそうだなと思ったんですよね。また、就活中も内定ももらったものの、面接官に『君は起業したほうがよいね。いや、うちに入ってくれるのなら入ってほしいけどね!』と言われたりもして、『自分は就職には向いてないかな』って(笑)」
創業当初のビジネスは営業代行。個人宅への飛び込み営業はハードな印象があるが、その分、対価も大きかったとのこと。
「訪問営業は大変そうなイメージがありますが、20人の家に訪問したら1人か2人は契約が取れるので、数をこなせば自然と契約数は上がっていく。僕自身、創業当時は1日1人で250件は個人宅を訪問しました。でも、『やれば結果が出る』とわかってたので、全然苦じゃなかったです」
◆「センス」で片づけず、すごい人を真似し続ける
現在では営業代行業から人材紹介業にシフトし、さらなる経営拡大に邁進している。学生時代から卒業後も成果を残し続ける秘訣を本人は「何事も“センス”で片づけないこと」だと分析する。
「うまくいかない人は、何事も『自分はセンスがないから』っていうんですよ。でも、これって言い訳。センスは時間をかけて紐解けば、意外と要素を分解できるし、再現可能です。僕の場合、新しい業界に飛び込んだら、そこで一番成果を出している人の発言、考え方、手帳の取り方まで全部を徹底的に真似します。たとえば、ホスト時代はナンバーワンの先輩に頼み込んで、その人の家に住み着きましたし、営業中には先輩のスーツのポケットにボイスレコーダーを入れさせてもらって、『その人がどうやって女の子を口説いているのか』『どうやって喜ばせているのか』を録音し、仕事終わりにその内容を聞き直していました。時間をかけて努力しさえすれば、センスは作れるし、成果は出せます」
華やかな舞台を降りてからも活躍を続けた裏には地味で粘り強い努力があったようだ。