――そしていよいよ、国家試験である競輪選手資格検定を取得するために必要な日本競輪選手養成所の試験です。合格する自信はあった?
タイムは出ていたので、実技はわりと自信がありましたが、問題は筆記…頭の方で(笑)。いつだったか忘れましたが、夜中の3時ごろ、両親が変な物音がするので見にきたら、私が夢遊病者のように固定ローラーに乗っていたという事件(?)があって。
普段の練習でそれくらい追い込まれていたので、勉強は…合格できたときは、ホッとしました。
――夢遊病!?
翌朝親に言われても、なんのことだかわからなくて。意識のないまま起き出して、ローラーに乗っていたみたいです。それくらい毎日がきつかったですから。当時は、日本一自転車に乗っている女子高校生だったと思います。
――養成所は5月入学で、卒業が翌年の3月。約10ヶ月ですが、今振り返ってどうでしたか。
思い出したくないというか…。記憶から消し去りました(苦笑)。
――それほど、大変だった?
技能的には、高校で作った土台の上に質を高める授業で、ガールズケイリン選手としての基礎を叩き込んでいただいたという、養成所には感謝の気持ちしかないんですが…。
外出はNG、ケータイに触れるのは日曜日の2時間だけ。自転車と勉強と食べることと寝る以外の時間がまるでない生活は、ほぼ地獄でした。
――10ヶ月間、一度も外に出ていないんですか。
はい、卒業して外に出たときはちょっとした浦島太郎状態で。セブンイレブンのレジが変わっていることを知らずに、店員さんにお金を手渡ししたら、「こちらに入れてください」と最新式のレジを案内されて。自分の知らない世界が当然のこととして広がっていたのに驚きました(笑)。
気持ちではなく体が怖がって
――本デビューは地元・前橋。メディアも大注目の中でのスタートになりました。
競輪学校卒業後にTwitterを始めると、どういうわけか新聞や雑誌の方からたくさん取材のオファーをいただいて。それまでは普通に走るだけだと思っていたので、最初は少し戸惑いもありました。えっ!? 私でいいの? みたいな(笑)。
――速くてかわいい。そういう注目のされ方は嫌ですか?
「チャラチャラしやがって」とか、「いい気になってるんじゃない」とか、ヤジを飛ばされることもあります。その度に、グサッとくるんですけど、でも、私がメディアに出ることでひとりでも多くの人にガールズケイリンを知ってもらいたいという気持ちがあるので、それはしょうがないのかなと思っています。
――そんな中、デビュー2ヶ月目に新人一番乗りとなる初勝利を挙げました。
先頭を取って、強い選手が来たらその選手に飛び付く――。その練習だけを繰り返しやってきて、その通りの展開に持ち込めたので、「よしっ!」という気持ちはありました。
――この勝利も含めて、ここまで6勝を挙げています。
6勝…あぁ、そうなんですね。
――えっ!? まさかとは思いますが、覚えていないとか?
すみません。何勝したというのは覚えていません。競輪では、点数…レースごとに得られるポイントが決まっていて、直近4ヶ月の競走得点の平均値を平均競争得点というんですが、私はその数字の方が気になります。
――常に必死なのですね。最後に昨年12月31日で20歳。お酒は飲まれるんですか?
成人式の日に友達と一緒に飲んだんですけど、はしゃぎすぎて、3日間具合が悪くなってしまって(笑)。それ以来、飲んでいません。
取材・文/工藤晋 写真/石田壮一