この記事はYouTube配信「
【日本代表】サッカー界のレジェンドは元野球少年!?人生の転換となった出来事を語る..!!」から、ライブドア社の自動書き起こしツールによって生成されています。
はじまり
谷繁: さぁ! こんにちは。谷繁ベースボールチャンネルです。 今日のゲストは、元ヴェルディ…僕も見てましたねぇ。
北澤豪さんです。
北澤: はい! よろしくお願いします。どうも。
谷繁: よろしくお願いします!
北澤: はい! ありがとうございます。
谷繁: 北澤さんとは僕、ちょこちょこお会いしているんですよ、ゴルフ場とかで。
北澤: ゴルフ場しか会わないって感じじゃないですか?
谷繁: ですよね!? ほかの現場で僕、会った記憶がないんですよ。
野球からサッカーへ
谷繁: 今回、一応野球の話をちょっとだけしたいんですが。僕、聞いたら、北澤さんはサッカーの前は野球やってたんですか?
北澤: 野球スタートですよ。
谷繁: いくつから野球をやっていたんですか?
北澤: 野球は、もう幼稚園の時から小学校1年生の途中ぐらいまでやっていて。あれですよ、時代的には野球じゃないですか?
谷繁: まぁそうですね。
北澤: 親父が野球やってたんで、国立競技場へ行くよりも後楽園に行ってる方が多かったですね。僕のアイドルは王貞治。釜本じゃないですよ? (笑)
谷繁: ははは!(笑)
北澤: 王だもん。
谷繁: ああそうですか。東京出身ですしね。
北澤: 東京出身で、ちょうど甲子園か何かで桜美林が初出場・初優勝した時に、そのタイミングだったんで、全体的に野球の流れで。
真剣に親父が「ボールは顔で取るんだ」ぐらいの勢いで豪速球が顔に飛んでくる勢いでバチーンみたいな感じで。たまに顔にあたったりとかして、「俺、このままやっていたら多分、後楽園行くんだろうな」みたいなイメージ。
谷繁: 小学校1年生ぐらいから?
北澤: もう幼稚園くらいからやってる。英才教育もいいとこ。
谷繁: 凄いですね。そこからサッカーになって、もう未練なかったんですか? 野球。
北澤: いや、何だろう…。
谷繁: 野球からサッカーになったその…。
北澤: 未練もクソもなんだろう…。時代的に親父が絶対じゃないですか?
谷繁: はい。
北澤: 親父に言われて「分かりました」っていう感じでしかないから、それ言われない限りは多分、野球のままそのまま進んでたと思うし。
どっちかというと、子ども達の割合も野球の方が多かったし、サッカーもそれなりに居たけど…。
谷繁: まだ野球の方が多かったですよね?僕らのときは。
北澤: 野球かな…うん。急に親父が「サッカーやれ」って、ある日突然言い始めて…。
谷繁: それ、後で理由を聞いたんですか?
北澤: ひとつのポジションに収まらない…何て言うのかな…。
谷繁: ふははは (笑)
北澤: 落ち着きがない子だったんですよ、悪く言えば。良く言えば、動きの多い子。
谷繁: すばしっこい。
北澤: それを見て「野球じゃねえな」と思ったんでしょうね。
谷繁: お父さんが?
北澤: はい。いきなり「サッカーに行け」と。だからと言って別にサッカーが楽しいというわけでもなくて、ただ友達と一緒にグラウンドまで40分の道のりが楽しいとか、みんなが居るのが楽しいぐらいで過ごしていたのが記憶としてはあるので。
そんな、今のように映像を見て「サッカーが楽しい」とか「すごい」とかないから、どっちかって言ったら野球じゃないですか。ちょっと野球、未練がありましたよ。
北澤のサッカー遍歴
谷繁: その幼少期から何歳?何年生?でも…えっ、クラブチームでしょ?
北澤: 町クラブでしたよ。Jリーグがなかったので、プロもないですし。
北澤: 子どもの頃、4年生ぐらいから本格的にサッカーをのめり込んでいって、おばさんがブラジルに移民している人がいて、中学はもう「ブラジルに行く」という考えがあって、ギリギリまで行こうとしたけど、ビビってやめましたね。
谷繁: ははは!(笑)絶対そうですよね!?
北澤: ビビってやめるでしょ?そんな…。
谷繁: あれ? カズさん(三浦知良)って何歳から向こうに行ったんですか?
北澤: カズさんは、高1ぐらいから行っているから。
谷繁: まぁ、高1だったら…。
北澤: いや、それでも時代的に80年代のブラジルは…。
谷繁: 僕ね、高校3年生の全日本でブラジル行ってるんですよ。
北澤: 行ってんた。じゃあ、知ってんだ?ブラジル。
谷繁: 一応。僕らが居たところは、やっぱり日本人…。
北澤: サンパウロ州とかね。
谷繁: 多くて、そこにホームステイしたんですよ。1週間ぐらい行ってましたけど、楽しかったですよ。
北澤: そんな取り組む野球があるんだね、接点が。
谷繁: 僕らの時にちょうど何十周年記念という。
北澤: あれか。日系人としてのあれかな? 野球の文化っていうところか。
谷繁: そうです、はい。多分それで、ちょうど僕は高3の時に全日本で行ったんですよ。
北澤: いつから代表選手なの?
谷繁: 僕は高3です。
北澤: 面白いね、野球もそうやってアンダーカテゴリーがあるんだよね。
谷繁: はい、あります。今はもっとあります、小学生からカテゴリーあって。
北澤: じゃあ、同じようにカテゴリー分けてるんだ、育成が。
谷繁: U-15、U-18とかあるんですよ。
北澤: えっ。じゃあ、そんな頃から代表レベル?
谷繁: いえ。僕らのときはそういうのはなかったんですよ。だから、甲子園に出てある程度活躍して、甲子園が終わったタイミングで全日本というのが何名が選ばれて。
谷繁: 僕らが高校3年生の時は、まだ日本・韓国・アメリカが3カ国で何かやってたんですよ、試合を。それだけで終わってたのが、僕が3年生の時だけブラジル遠征っていうのがあったんですよ。
北澤: タイミング的に記念行事みたいな感じか。
谷繁: 僕は寮生活を3年間やってたから。
北澤: 余裕だね。
谷繁: 寮から出れたのが、もう楽しくてしょうがなくて。
北澤: 凄いな。ある意味、寮に住むメリットみたいな感じだよね。
谷繁: ははは(笑)
北澤: 下界みたいな感じになっちゃってる(笑)。
谷繁: はい。だから、僕らは高校だったらもう楽しかったのであれですけど、さすがに中学からブラジルはちょっと…。
北澤: 根性なかったですね。だけど、三浦知良みたいなのがブラジルで8年間も頑張ってくるとか普通じゃないですよ、治安悪いし。
北澤: その後、19歳ぐらいでブラジル行くんですよ、1年8ヶ月ぐらい行ってて。銀行に両替行った後、ダッシュで帰らないと人に捕まるからね。
谷繁: ははは!(笑)
北澤: 本当にそれぐらいやばい(笑)
やばい…やばいけど、何か人としては磨かれるというか。危機感を持ちながらの生き方みたいのは、学べる感じはありますけどね。
北澤氏 中学からヴェルディの前身チームに所属
谷繁: 日本で中学・高校…。
北澤: 部活に行かないで、読売サッカークラブってヴェルディの前身のクラブチームから入るわけですよ。
谷繁: 中学から?
北澤: だから、プロ志向な感じ?
電車に乗ってグラウンドに行って夜11時ぐらいに帰ってきて、また学校行って終わったらまたその繰り返しをする訳ですよ。
谷繁: 毎日ですか?
北澤: 当時は中学生の時には、もうトップ選手にラモスとか居て、その同じエリアで我々が練習したりとかするんで、トップ選手を見ながら、自分が将来の行き先が見えるような環境に居たっていうのは、中学で散漫な時期には良い環境でやれたかな?
谷繁: そうですよね。だって、野球でそういう…。
北澤: (環境は)ないでしょ?
谷繁: 環境は無かったですよね。正直、はい。
北澤: 給料を渡すのも外で我々が見えるとこで、こう…現金で手渡して、こうやって渡してやって。あれ、わざと見せてんのね。やっぱり活躍している選手は分厚いのを。そうじゃない選手は、ちょっと薄めで「あいつ、薄いよ」みたいな感じで見てたから(笑)。
谷繁: あっははは(笑)
北澤: 生々しいけど、何かそういうのをあえてやる環境なのね。「お前らも頑張ればこうなるぞ」みたいな。
谷繁: ある意味、プロですよね。
北澤: そうそうそう。トップ選手とかがたまに外国車を乗ってるんだけど、駅まで乗せてくれたりとか。そういう何か刺激を与えてくれる。
谷繁: でもその時、正味でもプロじゃないじゃないですか。まだヴェルディも。
北澤: ヴェルディは、ほとんどプロ選手契約。
谷繁: あっ、プロ契約なんですか?
北澤: そう。読売サッカークラブだけど、読売グループがそういうのを作りましょうって言うと、野球とサッカーっていうことで、プロ志向でも進んでて。
だから、みんな仕事を持っているけど、サッカー選手をやってるってサッカーでもお金をもらえてるっていう感じでやってて、みんな集まった時にはみんな集まった練習しかしないのね。
何かシュート練習みたいのはやらなくて、そういう個人練習は自分たちでやりなさい。フリーの時間で、みんな勝手の時間に来て、個人練習は自分で練習してるの。そして、みんな集まった時には、グループ練習しかしないという何かプロ発想の…。
だから、我々も自主練後は中学ぐらいから「何か、格好いいな」って思ってて。何か自分が目的を持って、練習しに行くっていうのをもう中学時代で見て学んでたかな。
谷繁: それ。変な話、その当時でラモスさんってどれぐらい貰ってたんですか?
北澤: ラモスさん…どうだろう…。
谷繁: 1,000万だったら、100万ぐらい手渡し…
北澤: いや、100万ぐらいじゃないですかね? 結構、ぶ厚めで。
谷繁: あははは(笑)
北澤: ははは(笑)。もう全然、だから違うの。もう全然「封筒だけ?」みたいな感じのヤツもいたし。
谷繁: 僕が入った時で言うと、僕が入った時ってまだクレジットカードとかがない時代じゃないですか、僕らって。
北澤: うんうん。
サッカー・野球界隈のお金事情
谷繁: まぁ、現金時代ですよね。先輩にご飯とか飲みに連れて行ってもらうと、やっぱみんな現金持って歩くんですよ。
プロ選手って結構セカンドバック持って歩いてたじゃないですか、昔。あれみんな、やっぱ現金入ってるんですよ。だから、いつも200万ぐらい持って歩いてましたからね、先輩方。
北澤: (口を閉じて無言)…。
谷繁: あははは(笑)
僕が入った頃のプロのまぁまぁ上の人で、やはり5,000万〜1億のあいだぐらい貰っている人がやっぱ居たので、そしたら普通に200万ぐらい持って歩きます。
北澤: だから、なんか野球界の古き伝統としてのセカンドバックがあるわけだ。
谷繁: そうですっていう風に、僕はいつも説明してるんです。
北澤: お金の厚みが…理由な訳ね。
谷繁: そうです(笑)。
北澤: 納得(笑)。
谷繁: Jリーグが始まった時って多分…
北澤: カード時代だからね。うん、カード。
谷繁: そうですよね。
北澤: なんか良いよね。プロっぽくってね、現金とかなんかね。
谷繁: それに僕は憧れましたからね、やっぱり。「やっぱ、俺も稼ぐようになったら、いつか現金を持って…。
北澤: 平均どれぐらい何時も持ち歩いてたんですか?
谷繁: 僕、カードが出来てぐらいから稼ぎ始めたんで、持ってた時期で4〜50万持って歩くかなって言うぐらいですかね。
北澤: ふふふ(笑)。野球界はあれですか? 先輩が持つみたいな感じ?
谷繁: 基本そうですね。でも、やはり給料によって「今日は僕が払います」という後輩も中にはいますし。
北澤: ちょっと活躍してもらっているヤツが…うんうん。
谷繁: そうですね、はい。まぁでも、基本先輩です。
北澤: なんか縦社会な感じはあるよね? なんかね。
谷繁: そうです。サッカー界は違うんですか?
北澤: 今は分からないですけど、大人数で動くんですよ。
谷繁: それね…僕、聞いたことあります。大人数で動くというか、カズさんのなんか凄かったらしいですね。
北澤: 凄いね。
谷繁: あのパーティーみたいな…
北澤: そう…。
谷繁: あっははは!(笑)
北澤: 毎週、”カズNight”(笑)。表向きは ”タケNight”(武田修宏)、武田さんNightになってて(笑)
谷繁: あっははは!(笑)
北澤: 最初ね、本当15人くらいから始まる。
それでも、選手だけが15人ぐらい集まって、20人が集まってみんなで動いてて、そこにいた女の子達とか男性陣も入って来たりして、倍になってて、店移るごとに倍になっていく訳ですよ。最後のほうは、100人ぐらい入ったりとかする訳。
谷繁: マジですか…。
北澤: それを「誰払うのこれ?」みたいなのが、大体カズさん払ってましたよ。
谷繁: マジですか!
北澤: 一回、背負って調子に乗って払ったら「もう二度と払わない方がいいな…」と思って(笑)
谷繁: わははは(笑)
北澤: 「桁が違うわ、これ」みたいな。
谷繁: それで100万ぐらい…ですよね? 間違いないですよね。
北澤: まぁ三桁ですよ、はい。
谷繁: 僕らで言うと優勝決まったその夜に飲み会があって、全員で行って、その後に2グループぐらいに分かれて十何人で別れて行って、そこで誰が払うかっていうことぐらいですね。それぐらいっすね。
だから、あとは野球選手がそこまで大人数で動くことってあんまりないですね。
北澤: そうだよね。
谷繁: あんま聞いたことがないです。
北澤: 何かサッカーは、変な仲間意識か何か分からないけど大人数で動くよね(笑)。
谷繁: そういう時代だったんですね。
北澤: 100人ぐらいなっちゃうと、誰がそこに居たか分からない訳であって、時代と共に子どもの学校とかで親子で参加する時に、お母さんがコソコソっと「カズNight、行ってました」みたいな…(笑)。
谷繁: あははは!(笑)
北澤: 言われるケースが結構あったりとかしてて、地方行ってもやってましたからね。
谷繁: カズNight?
北澤: 「カズNight in 広島」とかね(笑)。
谷繁: あっははは(笑)
北澤: 広島でやった時、大変でした。やっぱ、それなりの人たちが出てきたりとかして、結構もめ事になったりとかして、ダッシュで逃げましたね(笑)。
谷繁: あっははは(笑)
北澤: ダッシュで逃げたな。超ヤバいの出てきてましたもん、本当。
谷繁: まぁ、そこの時代もありましたよね。
北澤: ヴェルディじゃなくて日本代表で行った時ですね、それは。
谷繁: 日本代表で行って、カズNightやってたらダメでしょ? あははは(笑)
北澤: カズNightやって、街をダッシュで走ってるみたいな(笑)。揉め事になっちゃいけないと思ったから、もう「とりあえず、逃げた方が良いな」みたいな。
谷繁: でも、Jリーグは何年(に設立)?
北澤: 93年?
谷繁: 93年。Jリーグが始まってすぐぐらいが、もうそんな感じでしょ?常に。
北澤: けど、その前の91〜2年ぐらいから少しずつそういう感じになっててて、給料体系も変わってきて、プロ志向の発想になってたっていうのがあったので。93年急激にと思われてるとこはあるけど、そうじゃない部分もありますけどもね。
けど、我々ヴェルディが先行してやっているというところがありましたけどね。
北澤が語る ワールドカップについて
谷繁: あれ? 北澤さんってワールドカップ…。
北澤: 行ってないですね、はい(笑)
谷繁: あれですよね。
北澤: 岡田さん?
谷繁: 最後の最後に行けなかった。
北澤: メンバーですね。
谷繁: でも、ワールドカップ。最近はもう毎年毎回のように出るじゃないですか、北澤さんや僕らが入ったばかりの93年あたりでワールドカップってどんな存在ですか?
北澤: 僕はもう子どもの頃から8ミリ(ビデオ)で見てたので。
谷繁: おぉ…。
北澤: だからもう取り寄せて、みんなで公民館みたいなところで8ミリで見てて、アルゼンチン大会ぐらいから見てたし、もうそこに行きたいという思いは当然ありましたね。
ちょうど中学生くらいがスペイン大会とかで、ジーコさんが出てたりとか、全然何か現実的な話ではないけども、「やっぱ(ワールドカップに)出ないと、日本のサッカー界みたいなのは変わらないんだろうな」なんていうのを中学ぐらいから感じてて。
そういう憧れも海外の憧れがあるから、こういう髪型になってるのもあって、海外志向ではいましたね。だから、ワールドカップというのと海外でプレーしたいというのがありましたね。
谷繁: 凄いですよね? 中学とか高校でその発想になるっていうのは…。
北澤: いや、ないから。プロ野球はあったから目指すところが見えてるからいいけど、我々の時代はJリーグがないから。
谷繁: そうか。どこかに持たなきゃいけないそう。ご飯を食べるんだったら、サッカーで海外に行くしかないから、海外に向くのは当たり前になってくっていう。
北澤: 中学で根性なかったし、絶対どこかで自分を削らないとみたいなというのは常に思っていましたよ。
谷繁: 日本が初めてワールドカップに出たのはいつなんですか?
北澤: 98年のフランス大会。だから、94年のアメリカ大会に”ドーハの悲劇”で行けなかったっていうのがあって、ラスト10秒ぐらいで点を取られて同点に追いつかれて行けなくなってしまうという…。
4年ごとのチャンスになってるので、それを失うとまた4年かかるみたいなところがあって、そこから94年から頑張って次は絶対行けるようにしなければいけない。
Jリーグも開幕してばかりだったので、最初(代表に)入ってなかったんですけど、監督が変わったりとかして、岡田さんになって、岡田さんに変わったところから呼ばれ始めて行って、何とかチームを回復させて、まあまあのとこまで行ったんですけど。
北澤: 出場権を獲得するとこまで行って、最後の直前合宿でメンバーを選考しなければいけないということで最後、俺とカズさんと市川(大祐)っていうのが外れていくってことになるんですけどね。
谷繁: それが98年だ…。
北澤: 98年の出来事ですね。フランスに入る直前の合宿で外されるってことで。
谷繁: その時、どんな感情でした?
北澤: サッカー界には実はある話で、世界的には。日本は初めて出たから、そのメンバー選考があって23人までしか入れないっていうのが初めてのように知っていく訳じゃないですか。けど、世界的にはギリギリで外される選手が居たりとかっていうのは、分かっている部分はあったんですよね。
ただ、自分がその合宿をやっていきながら、これまでのチーム作りの中でも「いや、外れることはないだろうな」と思ったのね。3人外さなきゃいけなくて、それは承知してみんな行ってるんだけど「今日の昼ご飯までに電話がかかってきた人がそういうことになるから、みんな部屋に入ってくれ」って言われて、みんな珍しく部屋にいて。「どんな宣言や」みたいな感じじゃないですか?
谷繁: めっちゃ嫌な時間ですね、それは…。
北澤: 俺も「電話かかってこないな」と思って、もう食事の時間だから「行こう」と思ったらギリギリかかって来て、「だけど、もう結構いい時間だからな…」と思って、ある程度メンバーが決まって、こうなったからってこと言われるのかなと思っていたら、もう岡田さんの部屋を開けた瞬間に目が合わないから「あぁ…これは俺だな」と思って、そこの中に入って「チームを考えた上で言うと、俺の当てはまるポジションがないから外れてもらうことになったから」って言われて。
もう、それ言われたらも仕方ないじゃないですか?
谷繁: まぁそうですね…。どうにもならない。
北澤: 「絶対に無いんですね」みたいな感じに念押して、そしたら「もう、ない」って言うから「分かりました。で、誰が外れたんですか?」と言ったら、「市川とカズさんが外れた」っていうから、「カズさんが外れたんだ…」って思って、とりあえずカズさんの部屋行くしかないなと思ってたら、もう荷物も片付けているから「帰るも残るも自分の判断でいい」と言われたんで、もう帰るってことの決断になって行ったっていうところですけどね。けど、監督が決める側ですからね。
谷繁: まぁ、そうですね…。あれやっぱりキツいと思うんですよね。決める方も決める方でね。そこって、北澤さん何歳ですかその時?
北澤: 23歳ぐらいかな。
※編集部注:北澤氏が1998年の代表選考から外れた際の年齢は29歳
谷繁: でも、23歳で、それ受け止めるって結構キツくなかったですか?
北澤: あぁ、キツいですね。
谷繁: だから今、僕もやっぱり年取ってきた時に、その過去のことを考えたら「これは、まぁしょうがないな」とか思えるんですよ。
北澤: 思える部分もあるかもしれないけどけど、我々の世界って”選ばれるが・選ばれないか”で、ずっと生きてきてるんで、そういうのって実は承知の上じゃないですか。
谷繁: はい。
北澤: あまりにも周りがウワってあの「どうなんだ?」みたいな。当然、感情的に言えば「岡田さん…?」
谷繁: まぁね、なりますよね(笑)。
北澤: 「ふざけんなよ」みたいなとこは当然あるけど。
谷繁: ありますね。
北澤: 周りはやっぱ凄かったですね。うちの母親なんかもボロクソ言ってましたからね(笑)。
谷繁: あっははは(笑)。まあ、なりますよね?
北澤: 親父はそうではなかったですけど、母親がもう激ってましたね、珍しく。
そういう人じゃないんですけど、「まぁ、そうなんだろうな」とか思いながら。
谷繁: そこから…その…98年ですよね…。でも、もう次のワールドカップって視野になかったんですか?
北澤: ありましたよ。常にやる中では、そこの目標設定みたいなものを持ちながら行くことが、サッカー界だと思うし。
谷繁: やっぱり、目標として何か持ち続けないとモチベーションも上がらないし…
北澤: モチベーションにもならないから。
谷繁: レベルもね。自分のレベルも上がらないでしょうし。
北澤: まぁ、働く場所って言ったらおかしいかもしれないけど、日本だけじゃなくて海外にもあるし、色んな選択肢があるのは夢を持てるなというのは、その時に感じたし、それはサッカーという競技を選んで良かったなというところがありますよね。
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