どの国でも色々な驚きがあった。
そのなかのひとつが「黙とう」だった。
合計すると10試合は観たはずだが、そのうち3、4試合で試合前に黙とうがあった。クラブのOBといった直接的な関係者の死を悼むのはもちろんだが、クラブのソシオだった人の死、他の国でおこった自然災害の被害者などにも、黙とうを捧げていた。
ヨーロッパはサッカーが文化として定着している、人々の生活に根づいている、と当時から言われていた。新聞のスポーツ面はサッカーで、キオスクではその街のクラブのグッズが売られていて、テレビのスポーツニュースでもサッカーが最初に取り上げられる。僕自身はそんなところに「サッカーが根づいている」と感じていたのだが、「黙とう」もそのひとつなのだと気づかされた。
98年に1か月ほどスペインに滞在した。この時も、いくつかのスタジアムで黙とうがあった。
日本で生活している私たちの日常生活のなかで、黙とうをする機会は多くない。多くないほうがもちろんいい。そのうえで言うと、毎日どこかで、誰かが、亡くなっているという現実がある。
名前の知っている人はもちろん、名前も顔も知らない人の死に黙とうを捧げる。それは、大切な人の死は誰でも経験することであり、死を悼むことや悲しみにくれる人に寄り添うことの大切さを知る機会になる。サッカーが文化となっているヨーロッパでは、スタジアムが人と人をつなぐ場所になっているのだった。
J3の宮崎に所属していた工藤壮人さんが、21日に亡くなった。翌22日のルヴァンカップ決勝では、試合前に黙とうが捧げられた。23日開催のJ2リーグでも、試合前に黙とうの時間があった。
国内では柏、広島、山口、宮崎に在籍し、2013年には日本代表に招集された。MLSとオーストリアでもプレーした。豊かなキャリアを築いた工藤さんの死を、サッカー界として悼むのは当然のことだっただろう。
Jリーグは30年目のシーズンを迎えた。それに伴って、クラブに関わる人も増えている。クラブのフロントスタッフやトップチームの選手やスタッフはもちろん、試合の運営やボランティア、スタジアム周辺の交通整理など、直接的、間接的を問わずに多くの人の手を借りて、Jリーグは行なわれている。コロナ禍ではさらに多くのスタッフが、試合に関わるようになった。
関わる人が増えれば、その背後には多くの日常がある。家族が亡くなった、という方がいるかもしれない。その方とクラブの距離が遠くても、黙とうを捧げていいと個人的に思う。サッカーが人々の日常生活に溶け込むということは、喜びも悲しみも分かち合うことだからだ。