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就活なんて「ムリゲー」はいますぐやめろ
新卒一括採用なんて、正直なくなってしまえばいいと思う。誰得で、あんな非効率で粗悪なルールが残っているのか? 僕にはさっぱりわからない。新卒一括採用を企業が採用しているうちは、まず学生側の不利益が大きすぎる。学校を卒業した後に身を置く環境を学生主導で選べないのだ。それはつまり、自分の人生を自分で決められないことを意味する。たとえば、就職する会社が大企業であったとしても、安心でいられるか?数年したら不況で沈没する船かもしれない。しかも、その船には乗員全員の救命ボートが積まれていない危険だってある。図体が大きいだけのタイタニック号は、乗り心地はいいかもしれないが、航海の途中で悲惨な末路を迎える可能性もありえるのだ。先行きの月収の不確定要素も大きい。日本の会社は原則として、年功序列で毎年給料が上がっていく仕組みとなっているが、少子化で労働人口は減っている。政府が発表する人口ピラミッドの統計を見れば、明らかだ。給料が着実に毎年上がっていく保証がないどころか、減っていく方が保証されていると言ってもいいくらいだ。大企業の管理職や幹部ポストの数も年々減っている。ヒラで十数年耐えて泥水を飲んでいても、役職に就けない人は増える。ほとんどの社員は飼い殺しにされたまま、会社に貴重な人生の時間を吸い取られてしまうだろう。学生に不利益だらけなのに、新卒一括採用の習慣はなかなかなくならない。調べてみると、日本の新卒一括採用の歴史は意外に古い。最初に始めたのは、日本郵船(現在の三菱)と三井銀行とされる。第一次世界大戦開戦による人手不足から、学生たちの卒業前に入社選考と採用を行うようになり、それが一般化したと言われている。若年層を大量に採用するため、戦後日本の失業率を下げることに貢献したと言われるが…いつの時代の話だ? と、疑問に感じるのが普通だろう。そもそも、現在の就活ルールは、経団連がバブル景気の前後に整備したようなもので、横並びで守る理由はどこにもないはずだ。来年卒業の大学生から政府主導のルールに変わるようだが、どうせしばらくは現状維持だろう。いますぐなくすべき習慣だし、学生たちも大人しく準ずる義理はない。それでも就活が一定の効力を持ち続けるのは、企業の方に「新卒一括で採った若者は使いやすい」という、悪い意味での成功体験が蓄積されているからだ。「新卒は無色透明だから自社色に染めやすい」とよく言われる。だいたい、日本人は昔から初ガツオをありがたがったように、新築の家や新車とか、まっさらなおろしたてのものが好きだ。潔癖症に近い、新物をありがたがる文化だ。それが人材募集にも影響している。しかし、無色透明な人間とは、言い換えると何の個性もスキルもない人間ということだ。何のスキルもない若者に一から仕事を教えるのは、会社としてはロスが大きい。また、「君は素直に言うことを聞くから期待できる」と評価されても、僕ならまったくありがたいとは思わない。「素直に言うことを聞く」人材を必要としているような会社に、未来はあるだろうか?就活に臨み就職を勝ち取った人は、残念ながら「何のスキルもない、ただ言うことだけを聞く素直な若者」と軽く見られている証拠だ。そして将来性の低い会社に雇われてしまった不運に気づくのは、何年も職場で酷使され、たくさんのトラウマを植えつけられてからになるだろう。君に告げたい。いますぐ就活ルールから飛び出せ!「新卒一括採用での就職は、将来安定した暮らしを得るのに確実」だというエビデンスはまったくない。就活は、「新しモノ好き」な大人たちの好みと都合に振り回されているだけだ。大切な学生のうちに、そんなものに神経を磨り減らすのはバカげている。毎年10月になると、学生たちがいっせいに衣替えするようにリクルートスーツで、就活に臨む景色は普通ではないのだ。いろんな意味で「無理ゲー」な就活ルールから飛び出し、自分ルールで仕事を探していこう。
いますぐ自分で金を稼げ
中学生時代、僕は新聞配達のアルバイトをしていた。驚かれるかもしれないが、僕だってやりたくてやっていたわけではない。雨でも雪でも朝5時に起きて自転車をこぎ、100軒以上もの家に新聞を配るのは過酷な作業だった。目的は、新しいパソコンと「引き換える」ためだった。僕は当時、全教研から、全教研が提供するCAI(コンピューター支援教育)を提唱する塾に移っていた。魅力的だったのは、充実したパソコン環境だ。そこで僕はプログラミングの知識を生かし、フロッピーディスクにゲームを移植して、パソコン雑誌に投稿した。見事に掲載され、1万円(源泉徴収されて9000円)を手にした。僕がプログラミングで初めて得た報酬だった。能力が認められ、素直に嬉しかった。もっとプログラムにのめり込みたいという気持ちが強く、自分用のハイスペックなパソコンが、ほしくてたまらなくなった。当時、僕が狙っていたのはNECの「PC-88SR」。しかし、中学生どころか普通の社会人でも、ためらいなく購入できる価格ではなかった。すると廉価版の「PC-88FR」がリリースされた。多少安くはなったけれど、本体とモニターを合わせて20万円以上もした…僕はダメ元で、親に相談してみた。親に買ってもらった最初のパソコンはスペックが物足りず、とっくに処分していた。20万円以上もの機種を新しく買い直してもらうのはさすがに許されないだろうと、なかばあきらめていた。すると親が意外にも「お金を貸してやるから、新聞配達のバイトで返せ」と言ってくれた。その手があったか! と驚いた。新聞配達は、大変な肉体労働だ。朝は早いし、基本的には休めない。学校に通いながらそんな辛いバイトをしたくなかったけれど、田舎の中学生にできる仕事は、新聞配達くらいしかなかった。僕は、ほしいもののために「借金」を抱えていたのだ。嫌がっていられる立場ではなかった。
借金は「悪」じゃない
新聞配達で毎日早朝から懸命に働く僕を見た親は、バイト代が貯まるより先にPCを買ってくれた。もちろん、「完済」するまで新聞配達はきちんと勤め上げた。この新聞配達で、僕はのちに起業家としての指針にもなる、大事な教訓を学んだ。借金は、決して悪いことではない。むしろスピーディに目的を達成できたり、いい体験を先行して得られるなら、借金をためらってはいけないのだ。「借金」で高性能なツールが手に入るなら、親や親戚からお金を借りればいい。知り合いに頭を下げまくるのも手段だ。借金で大事なのは、必ず返すという誠実さと、借金を抱えてでもやりたいことをやる勇気だ。僕はお金がなかったけど、前借りに近い形で「PC-88FR」を買うことができた。新聞配達で20万円を貯めるには、1年ほどかかっただろう。借金で、その1年を大幅にショートカットできた。言うまでもなく、プログラミングの世界での1年は、ものすごく大きい。まして僕は10代前半だった。吸収力の高いうちに、プログラミングに没頭する1年間という代えがたい時間を、借金で先取りできたのだ。僕は、中学時代にお金で時間を買うことの合理性を、強く認識した。このショートカットの考え方は、現在のビジネスの多動的な展開に生かすことができている。お金で何でも買えるわけではないが、有意義な体験にあてるための時間は、先買いできる。もし可能なら、迷わず借りてしまおう。お金が貯まるまで我慢する必要はない。我慢している間に失う体験のチャンスや有意義な情報は、お金では挽回できない。人生には、限りがある。お金で買える時間は素早く買って、喜んで借金を引き受けよう。そういう本質的なお金の扱い方を、学生のうちから学んでほしい。投資的な発想など、お金のリテラシーを上げるのに役立つことは間違いない。人生は有限だ。我慢に浪費する時間を、稼いだお金で切り捨てていこう。
堀江さんは同書のなかで、次のようにつづっています。頭と体がヘトヘトになるまで、没頭しろ。没頭の力があれば、夢なんていますぐ叶う。将来の夢なんか、いま叶えろ。動いた人から夢を叶えていく。これはどんな時世にあっても、変わらぬ真理。「将来」ではなく、「今」この瞬間の行動から変えていきましょう。