笑う奴らを、音楽で超える。新世代ラッパー・Rude-αの“愛”を貫く生きざま

公園でフリースタイルを仕掛けられて、ラップに目覚めた――。こんな青春を過ごした高校生が、他にいただろうか?

その“武勇伝”を持つ男の名は、Rude-α(ルード・アルファ)。沖縄出身の23歳。職業、ラッパー。今、目が離せないミュージシャンのひとりだ。

2019年5月にメジャーデビュー。同年7月にリリースした『LIFE』はテレビアニメ『Dr.STONE』のEDテーマに起用され、女子高生から大人気の恋愛リアリティ・ショー『オオカミちゃんには騙されない』(以下、『オオカミちゃん』)に出演するや一躍人気に。3月4日、待望の1stアルバム『23』をリリースする。

沖縄では学校をサボって、朝から晩までラップ三昧。東京へ遊びに行く口実に「高校生RAP選手権」にエントリーしたら、準優勝。Twitterでヘイトをぶつけてくる相手に、『世界に一つだけの花』の歌詞を送り返した…破天荒なエピソードを挙げれば、キリがない。その一方、本気で「日本武道館でライブする」夢を追いかけている。

熱くて面白い、Rude-αの人間味に迫った。

撮影/川野結李歌 取材・文/阿部裕華

小学1年生〜高校3年生、親が学校に呼ばれる問題児

Rude-αさんは18歳まで沖縄で育ったそうですが、どんな少年だったのでしょうか?
簡単に言うと問題児ですね。小学1年生から高校3年生まで、小2のとき以外は親が学校に呼ばれてた
逆になぜ、小2のときは呼ばれなかったのか気になります…。
ORANGE RANGEに出会った直後だったから。物心ついて初めて音楽を認識したのがORANGE RANGEだったんです。

小2のとき、ちょうど流行ってて、母親がCDを買って聴いてました。ライブにも連れていってもらって、そこでステージに立つORANGE RANGEを見て、「カッコいい! 自分もこういう人になりたい」と思った。今でも覚えてるくらい強烈でしたね。それで悪さをしなくなったんだと思います。

でも、小3のときには普通に問題児に戻ってましたけど(笑)。
(笑)。どれくらいの問題児だったのでしょう? 言える範囲の「やっちまったな」エピソード、教えてください。
たとえば、打ち上げ花火がサトウキビ畑に突っ込んで燃えちゃったとか…。いろいろやらかしてましたね…。周りの友だちもやんちゃなやつらばかりで。

小学校のころ、同級生が160人くらい、そのうち4分の1は問題児(笑)。1〜5組クラスがあって、クラス替えのたびにまんべんなく振り分けるけど、ひとつの教室に必ず10人は問題児がいた。小学生のときはいちばん悪さしてたかも。
小学生のときは、悪さ以外に何かされてましたか? 習い事とか。
小5から中3まではバスケをやってましたね。小学生のときに入ったバスケのチーム、県大会で優勝するほど強かったけど、けっこう自由だったんですよ。楽しくやってて。そのまま中学に上がってバスケ部に入ったら、顧問の先生は怖いし、急に軍隊みたいになって。めっちゃ走らされるとか。

それが嫌で、部活へ行かずに公園で年上の先輩とストリートバスケやってました。2,000〜3,000円くらい賭けて、勝ったほうがお金を巻き上げるみたいな。めちゃめちゃ勝ってたので、下手したら今よりお金持ってたかもな。
スゴい中学生ですね(笑)。Rude-αさんはストリートダンスもされていますが、いつごろから始められたのでしょう?
高1から高3くらいまでやってましたね。ストリートバスケしてた公園にダンスしてる人がいて、カッコいいと思ったから「ダンス教えてください!」と頼んだんですよ。そしたら、「スタジオやってるから来いよ」と誘われて、レッスンを受けるようになりました。

ダンスの師匠は不良上がりの人で言ってることもやることもめちゃくちゃだったけど、縦社会での振る舞い方とか、筋の通し方とか、そこで学びました。
ダンスでステージに立ったことは?
あります。ショーケースに出たり、ダンスバトルに出て優勝したり。ずっとダンスやろうと思ってたけど、気づいたらラッパーになってましたね。

公園でラップ勝負を挑まれ、翌日からラッパー認定

ラップを始めたきっかけが、「公園で急にフリースタイルを挑まれた」ということですが…。
そうそう(笑)。当時、バイト上がりに友だちと近所の公園でたむろしてて。そしたら、見たことないやつが近づいてくる。「なんだろう、こいつ…」と思って見てたら、急にフリースタイルを仕掛けてきたんですよ。

最初「は?」と思ったけど、今までストリートバスケとストリートダンスでバトル文化に慣れてたので。やられたらやり返す、舐められたくない、と思って、見よう見まねでラップを返しました。
そんなにすぐ返せるものなんですか?
今となってはよくできたなと。ただ、俺が育った街自体、アメリカ文化に影響を受けてたので、日ごろからヒップホップが流れてたし、当時は「高校生RAP選手権」やエミネムの映画『8 Mile』を見て、ラップはカッコいいと思ってた。ラップ自体が遠いところになかったから、フリースタイルを仕掛けられたときに動じなかったのかも。
どんなラップを返したのでしょう。
言われたことに対して、ひたすら文句言う感じ。「お前、誰だよ。汚ねぇやつだな」みたいな。そしたら、そいつが「お前才能あるな。あしたからラッパーな」って。「あ、はい」みたいな(笑)。

フリースタイル仕掛けてきたのは「KDT」ってラッパーだったんだけど、出会った翌日からつるみ始めて、ラップのおもしろさにハマりました
KDTさんはなぜ急に、ラップを挑んできたんですか?
当時、俺がBキャップとかニューエラのキャップをかぶってたんですよ。KDTは、ニューエラかぶってるやつはみんなラッパーだと思ってたらしくて。
ラッパーだと思われたんですね(笑)。
でも、KDTとの出会いがなければ、今の自分はないと思う。よくも悪くも人生動かされたし、狂わされた。
そこからどんどんラップへハマっていったと。
公園のベンチにラップ仲間と集まって、ずっとラップしてましたね。朝から晩まで、学校もサボって。
公園にいたカップルにラップをお見舞いしたこともあるとか。
やってました(笑)。俺らがラップやってる横でカップルがいちゃついてて。非リア充の俺らにとっては、リア充が目に毒だったので、カップルに向けてスピーカーを置いて、皮肉をラップにこめました。年間20組くらいはその場から剥がしてましたね。
カップルのみなさん気まずかったでしょうね…。
意地悪いことしてたな…今でこそ申し訳ないと思います(苦笑)。

あと、公園近くの家からCDが飛んできたことがありました。「うるせぇ!」って。その人、昔ラッパーだったらしくて、家から出てきて「お前らのラップは魂がこもってないんだよ!」と怒られました
これまた強烈なエピソード。
そしたら急に「ラッパーじゃなくて、なりたいものになれ! お前のなりたいものはなんだ!?」ってひとりずつ聞かれたんですよ。あまりにもビビっちゃって、俺の先輩は「自動車整備士です!」「料理人になりたいです!」と。俺の番になって「僕は獣医になりたいです!」みたいな。ラップで飯が食いたいって言うやつはひとりもいなかった(笑)

亡き祖父に誓った、日本武道館を目指す夢

ひたすらラップに明け暮れていた時期から、プロのアーティストになりたいと思ったきっかけは?
最初に思ったのは、第6回の「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」で準優勝したとき。実際、それまでは周りに「お前、曲つくれよ」「ライブしろよ」って言われて、流されるままやってた。そんな感じだったから、はじめてのライブは(観客が)0人で。

「高校生RAP選手権」に出たのも、東京に遊びに行きたいからだし。大阪と東京で予選が開催されてたけど、沖縄なら大阪でいいじゃないですか。なのに、どうしても東京に行きたくて、東京で予選を受けた。
そしたら予選に受かってしまったと。
オーディション会場に行ったら沖縄では見たことない流行りのヒップホップファッションで着飾ってるやつらがいっぱいいて、「めっちゃラップ上手いんだろうな…」と思った。で、いざ予選受けて、会場のやつらのラップが聞こえてくるわけですよ。そのとき、「全然上手くねぇな、俺のほうが上手いわ」と。そしたら、本当に受かっちゃった(笑)。
そこからは、あれよあれよと決勝まで行ったわけですね。
気づいたら決勝の舞台に立ってましたね。それまでラップ選手権に沖縄から出てる人がいなかったから、地元の人たちはけっこう騒いでた。ただ、最初は全然期待されてなくて「どうせ負けるんでしょ」と思われてましたね。当時は生放送で中継してたので、みんな「とりあえず見てやるか」みたいな感じ。

なのに、俺がどんどん有名なラップ選手をなぎ倒して決勝まで行く。スゴい盛り上がっちゃって、地元に帰ったらヒーローみたいになってましたよ。今まで見向きもされなかった同級生の女の子たちにもチヤホヤされるようになって。

そうやって手のひら返されるのが悔しかった。だから、中途半端じゃなくて、ちゃんと曲つくってライブやらなきゃと思い始めました。まあチヤホヤされて調子には乗ってましたけどね(笑)。
好きな子に「Rude-α」というアーティスト名をつけてもらったのも、そのときですか?
それはラップ始めてすぐのとき。当時好きな子に「名前つけたいんだけど、何がいいと思う?」って聞いたら「じゃあ、“Rude-α”で」と。ノリで決めました。まあ、その子にはフラれましたけど(笑)。

だから、「絶対この名前で有名になって、フったことを後悔させてやろう」と思いました。実際は、今でも連絡取り合うくらい、いい友達です(笑)。
ライブのMCでも発言されている「武道館でライブをする!」を目標に掲げ始めたのはいつごろでしょう?
本気で目指すようになったのは上京してからかな。上京して2年目の春におじいちゃんが亡くなったとき。亡くなる直前に「俺、いつか絶対に(日本)武道館でライブするから、本気で連れていくから、少し時間かかるかもしれないけど、待ってて」と言ったら、静かにうなずいて息を引き取って。

この出来事はデカかった。武道館ってステージに立つ自分を、その景色を見せてあげたかった。「音楽で絶対飯食おう!」「誰もいなくならない前に早いとこステージに立てるようにしよう」…そんな意識に変わりましたね。

夢を実現させるため、自分にプレッシャーをかけてる

実際に大きなステージに立つようになった今、何を感じますか?
何百人、何千人の人生に、俺ひとりの人生をぶつけてるわけですよ。そこで、熱くなってくれたり、涙してくれたり、そういう人を見ると「生きてるって思える瞬間はここだな」と思う。

自分もORANGE RANGEを見て、熱くなったり、涙したりしていた。今でもするし。彼らにもらったものを、今度は俺が、誰かに対して与える。俺の想いをぶつけて、誰かの心を震わせて、そういうのが続いていけばいいなと。想いを人につなげていく役割はまっとうできてるかなと思いますね。
Rude-αさんの熱い想いは曲だけじゃなくて、ライブ中のMCにも込められていると思います。歌では優しく想いをぶつけてるけど、MCは強気で想いをぶつけている。「俺についてこい!」といったような。
わざと自分にプレッシャーかけてる(笑)。「絶対、武道館いく!」と言うのも、そうやって今まで自分が言ってきたことをすべて現実にしてきたから。カッコつけたいとか、大きく見せたいとかは思ってなくて、自分に対して「お前、本当に実現させなきゃいけないよ」と言い聞かせてる感じ。
昔からそのような性格だったんでしょうか。
子どものころから自己主張が強くて、担任の先生と言い争ったこともありましたね。自己主張が強いから、ここまで音楽を続けられている部分もある。

地元の仲間はちゃらんぽらんなやつが多いので、無理だと思われるようなことも「できるでしょ!」と言って、強い自分を見せてきてた。自分の主張が現実になったとき、みんなの背中を押せるかなと思ってますね。

Twitterにくるヘイトは「かわいいな」って感じ

Twitterでもたまに強気な発言を見かけますが、それが理由?
Twitterはなんも考えずにやってるな…。最近気づいたのが、ヒップホップを語るような呟きをすると、暇なやつらからめっちゃヘイトがくる(笑)。
ヘイトがきたとき、どう対処するんですか?
まったく気にしてない。かわいいなと思います(笑)。どうせ死ぬときにはTwitterで言われたことなんて覚えてない。きのう何を食べたかすら覚えてないんだから。

いろいろ言われたとしても、俺のほうが小さいころからヒップホップの怖い人に殴られてるし、無理やりチケット捌かされるような現場に行ったこともある。

ヘイトしてくるやつらには「大学生になってからXLのシャツに袖通しただろ? そのくせヒップホップがどうとか言いやがって」って感じです(笑)。
以前、Twitterでヘイトしてくる人に、『世界に一つだけの花』の歌詞を送ったそうで。ものすごくおもしろかったです。
すごい調べてますね(笑)。『オオカミちゃんには騙されない』に出たとき、DMでかなりヘイトがきたんですよ。

「お前、自分の意思ないんだな」とか。さっきも言ったように普段はヘイト気にしないけど、ずっと検証してみたかったことがあって。
“検証”ですか?
頭おかしいやつを振り切るときに、自分をそれ以上に頭おかしいやつと思わせたら、相手はどうなるんだろう、って検証をずっとしたかった(笑)。

だから、DMで届くヘイトに対して、『世界に一つだけの花』の歌詞を送ってみた。そしたら、「何が?」って返事が来たので、また歌詞を送る。そのとき暇で、パチスロしながら返信が来るたびに歌詞を送り続けてたけど、最終的にはブロックされましたね(笑)。

『オオカミちゃん』では最年長。知らない自分に出会えた

Rude-αさんといえば、「夢にひた走る熱い男」のイメージがあるので、恋愛リアリティ番組の『オオカミちゃん』への出演は少し意外でした。
俺も最初オファーがあったときは、主題歌のタイアップかと思ってたんです。そしたら「出演するほうで」と言われて、「えぇ!?」って。高校生くらいの男女の恋愛がメインだったから、「そんな若い女の子と恋愛できないでしょ! 東京都の条例的に俺が出ていいの!?」と思ってました。
(笑)。にもかかわらず、出演を決意した。何か決め手があったんですか?
人生は一度きりだしなって。ずっと音楽だけやらなきゃ、と固執するタイプでもないので、「今しかできないことかな」と思ったら出てもいいかもと。

「アーティストとして拍が落ちる、ダサい」とか言われるかもしれないけど、どうせ死ぬときは覚えてないし。
『オオカミちゃん』の経験が、Rude-αさんに何か影響を与えましたか?
今までは自分から他人の揉めごとに首を突っ込まないタイプだったんです。でも、『オオカミちゃん』では俺が最年長(当時22歳)。だから、誰かが泣いてたり、何か問題が起こったりしたとき、「大丈夫だよ」とみんなを安心させたりまとめたりするのは自分の役割なんじゃないか、と自然と思えるようになって。自分、こんなこと思えるんだと。

自分がお兄ちゃん的な立ち位置になるなんてまったく思ってなかった。もし自分より年上の人がいたら、全部任せてたし。自分が知らない自分に会えて、人として成長できたと思います。

女の子もみんなかわいかったし、出てよかったです(笑)。
曲づくりに影響されることもありました?
『It's only love』は、『オオカミちゃん』に出て感じた気持ちを曲にしました。オオカミちゃんとして選ばれた女の子は、仕事で自分を演じて俺たちと過ごしている。だけど、あんなに長い時間、朝から晩まで一緒にいれば、普通に絆は生まれるはずで。
みんなと仲良くするし、好意を持たれるし、なのにオオカミちゃんであることを隠して、みんなの前で笑顔を見せてるオオカミちゃんに対して、何か少しでも自分の気持ちを伝える方法はないのか?と考えたとき、俺は音楽だと思った。

曲をつくったときは、誰がオオカミちゃんか知らなかったので、出演してる女の子みんなに向けた心情を歌詞に込めました。「君だったら もう騙されてたっていいよ」と歌詞にも入れてます。

バイト中に歌詞を書いたアニメタイアップ曲

本や映画が歌詞の参考になるパターンもあるんですか?
ありますよ! 本は言葉を、映画は景色を記憶にとどめるために参考にしてます。本は文字で心情が見えるから、歌詞を書くときの言葉選びや表現に役立つ。印象に残った本の世界観をずっと頭の中に入れて、あてはまりそうな曲があれば歌詞に世界観をのせていくこともあります。

映画の場合は、情景や景色を記憶にとどめて、自分の言葉で歌詞に起こすとか。最近、台湾や中国のB級映画にハマっていて、物語が好きというより、ちょっと汚い街並みとか、肉まん売ってる露店のおばちゃんとか、情景を切り取って曲づくりの参考にしてます。
作品に影響を受けてつくった曲は何でしょう?
アニメ『Dr.STONE』のEDテーマに選んでいただいた『LIFE』ですね。
原作の漫画も読まれてました?
読んでました! タイアップの話をいただく前から、おもしろい漫画だと思ってました。「まさか自分にタイアップの話が来るとは!」って感じで。自分の気持ちと、主人公の(石神)千空の気持ちをリンクさせつつ、キャラクターたちの心情を自分で解釈して歌詞を書きました。

「手のひらに溢れてくる情熱が目を覚ます」の歌詞は、「石化してしまった人類を蘇らせてやるぜ!」という主人公たちの気持ちを表現しました。中には「全員蘇らせるなんて無理だろ」と思うやつもいて、それが自分も同じ状況だと思った。俺が武道館に行くことを「無理だろ」という人もいるから。
自分の状況と千空たちの状況が重なったんですね。
曲の最後の歌詞「儚い夢と言われたっていいから 傷だらけの今日から救い出すよ」も、もがき苦しんで傷ついてる人を救い出したい、誰かを救いたいと思いながら音楽をやっている俺と、千空たちの想いを重ねました。
じゃあ、『LIFE』はかなりスムーズに歌詞が書けたのでは?
いやぁ…最初は全然歌詞が書けなかった。『LIFE』をつくってたとき、バーでバイトしていて。お客さんがいないときは、店長が買い出しに行くと嘘ついて、バーの近くのたこ焼き屋で酒飲んでるほど緩いバーなんですけど。ちょうどひとりになったタイミングがあったので、バーのカウンターの中で歌詞を書いた思い出があります(笑)。

売れなかったら音楽辞める!? アルバム『23』の制作秘話

ファーストアルバム『23』には、お話しいただいた『It's only love』や『LIFE』が収録されています。自信のほどはいかがでしょうか。
このアルバムが売れなかったら音楽辞めてやろうと思ってる! それくらいの気持ちです。
すごく気合いがこもってる…!
売れなかったら拗ねて、いじけて辞めるって感じです(笑)。
(笑)。アルバムの制作期間中に大変だったことはありますか?
メロディづくりも歌詞づくりも大変だったことはいろいろあるけど、いくつもの曲の中から厳選しなきゃいけないのが難しかった。
候補曲がほかにもあったと。
収録した14曲のうち、7曲が新曲です。新曲には倍以上の候補曲があった。最初にデモをつくって、どの曲を掘り下げていこうか悩んで。1〜2ヶ月の短いスパンで自分を追い込んでつくってたので、歌詞が書けないとか言ってられなくて(笑)。
かなり自分自身を追い込んでつくられたアルバムだったんですね。
おかげで、いい意味でバラバラになったかな。伝えたいことも、曲調もすべて違う。普通、アーティストであれば、「〇〇の曲だ」ってすぐにわかるじゃないですか。でも、自分の曲は、いい意味で統一感がない。「バラバラなのがRude-αっぽい」となってくれたらうれしい。

大切な人すべてに、愛のメッセージを届ける

「統一感がない」というのは、テーマや軸を意識していないということでしょうか?
毎回テーマはないですね。ただ、人から言われて気づいたけど、今回は恋愛系の曲が多いなと。たしかに自分で歌詞を見てみると「君」「あなた」みたいなフレーズが多くて(笑)。
恋愛もそうですが、地元への愛、郷土愛も感じました。今までお世話になった人への愛が込められてるのかなと。
『23』は、まさにそうですね。ストレートなラブソングもあるし、ラブソングに聴こえるけどじつは世の中に対しての想いを伝えてる曲もある。

『Boy Meets Girl』は、テレビやニュースで流れてくる、誰かが誰かを傷つけたとか、何か問題に巻き込まれたとか、その渦中には君にいてほしくない、「人のバッドなマインドから抜け出して、僕たちは踊ろうよ」って意味が込められてます。

ただのラブソングに聞こえるかもしれないけど、大切だと思うすべての人へのメッセージなんですよね。
Rude-αさんの曲は、メロディも歌詞もすごく優しくて前向きだなと。自分を強く見せてるとおっしゃっていましたが、曲はめちゃめちゃ優しい。
アルバム自体にテーマはないと言いましたが、1曲1曲それぞれにはテーマがあるから。メロディも違うので、聴いた人が1曲でもお気に入りを見つけてくれたらいいなと思ってます。

まあでも、ラブソングが多いから、清水翔太っぽいアルバムですかね!(笑)
Rude-α(ルード・アルファ)
1997年2月8日生まれ。沖縄県出身。2014年『第6回BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権』に出場し、準優勝。2015年6月に自身初のEP『098 ORCHESTRA』をリリース。2019年5月にメジャーデビュー。同年7月にリリースした『LIFE』はアニメ『Dr.STONE』のEDに。2019年には、AbemaTVの恋愛リアリティ・ショー『オオカミちゃんには騙されない』に出演。3月4日には1stアルバム『23』をリリース。自身初となる全国ツアー“1st Album Release Tour「23」”を全国10都市11公演で開催予定。

CD情報

1stアルバム『23』
発売中
左から初回生産限定盤、通常盤

初回生産限定盤
¥3,409(税別)
通常盤
¥2,727(税別)

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、Rude-αさんのサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2020年3月4日(水)18:00〜3月10日(火)18:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/3月11日(水)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから3月11日(水)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき3月14日(土)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
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