『ヒプノシスマイク』から『M-1』まで。芸歴40年・速水奨が挑戦者であり続ける理由

ハートを震わせる、低音にして美麗な声。『超時空要塞マクロス』のマクシミリアン・ジーナスや『Fate/Zero』の遠坂時臣など、物語を担う美形キャラクターや主人公を数多く演じてきた、速水奨。いわゆる“イケボ(イケメンボイス)”の草分け的存在でもあるだろう。

劇団で芝居を学び、1980年に声優デビュー。まもなくデビュー40周年を迎える。そんな速水が、2017年にスタートした音楽原作キャラクターラッププロジェクト『ヒプノシスマイク』(以下、ヒプマイ)に参加すると決まったときは、驚きをもって迎えられた。さらには今年、およそ40歳も年の差のある声優・野津山幸宏とコンビを組み、『M-1グランプリ2019』(以下、『M-1』)に出場。ベテランとは思えぬチャレンジを続けている。

速水の原動力はいったい何なのだろうか。インタビュー中、穏やかな笑みを浮かべ、ときに冗談を交えながら語るその言葉一つひとつから、彼が考える人生の意義が見えてくるようだ。

撮影/宅間國博 取材・文/大曲智子
ヘアメイク/Coomie(B★side)

表現者として刺激を受け、与え続けないと価値がない

最近の速水さんの活動といえば『ヒプマイ』の話題は外せません。チャレンジングなプロジェクトに参加することを決断された理由は?
数年前からコツコツといろいろなことにチャレンジしているんです。『ご注文はうさぎですか?』(以下、『ごちうさ』)という作品でも、女の子ばかりのキャストの中で香風タカヒロというキャラクターを演じているのですが、イベントでは僕がMCをしているんですよ。

これも、ちょっと前だったらおそらく絶対に受けなかっただろうけど、やってみたら面白くて。女の子たちに叱られながらも、楽しんでいるんです。
どんなところが楽しかったのでしょう?
「彼女たちの個性を引き出すために、2時間の中でMCとしてどう存在できるか」みたいなことを考えていたら、これも自分の新しい可能性だなとワクワクして。ちょうど『ごちうさ』が始まったのが、僕が独立した時期と重なっていたことも一歩踏み出すきっかけになりました。

考えてみたら自分の人生、まだまだ「できないこと」「やっていないこと」が多すぎるなと思ったんです。だからそれ以降、やっていないことを積極的にやるようにしよう、と。ボカロ曲を歌ってみる企画(コラボレーションCD『EXIT TUNES PRESENTS ACTORS2』)もそのひとつでしたね。
『ヒプマイ』は同じ事務所の野津山さんも有栖川帝統役で参加しています。
そうですね。うちの事務所からは新人たちがみんなオーディションを受けて、その中で野津山くんが有栖川帝統役で合格できました。彼は事務所に入ってまだ3ヶ月ぐらいでしたから、一生の運をそこで使ったんでしょうね(笑)。
ラップは初挑戦ということで、苦労はしませんでしたか?
もう企画が始動してしまったし、僕ひとりだけキャリアも年齢も違う。ベテランという特権を使うのもカッコ悪い。「できるだけ頑張るけれども、本当にサポートをお願いしますね」ということで、ラップを始めることになったんです。あれからずっと、毎日宿題に追われているような気分です(笑)。
新しいことにチャレンジしてみて、何が見えましたか?
自分のキャリアにあぐらをかいて、「今までこうやってきたからこのままでいいだろう」と思っていると、推進力がどんどん鈍ってしまうんです。

僕は若い頃、今の自分の年齢ってとても年上の存在に見えたし、そんなに貪欲に生きているのは政治家ぐらいだと思っていて(苦笑)。でもそうじゃない。表現する人間は常に刺激を受けて、さらに刺激を与えて、何かを生み出し続けないと、価値がないんじゃないかなと今は思っています。

ラップを聴き続けると、言葉が刺さってくる瞬間がある

『ヒプマイ』に速水さんが参加されると聞いたとき、これだけのキャリアを持っていてもまだ新しいことにチャレンジされるのだと驚きました。でも、速水さんも『ヒプマイ』のオファーは寝耳に水だったんですね。
周りもびっくりしていましたからね(笑)。
プロジェクトが大反響を呼んでいく状況をどう見ていましたか?
僕自身、『ヒプマイ』の人気の裾野を感じたのは、スタートから半年ぐらい経ってからでした。

2017年のAGF(アニメイトガールズフェスティバル)のときに、サンシャインシティの噴水広場で1stライブをやったら、ものスゴい数の人が来た。でも一方で、僕らの業界内ではまだそんなに知られてなかったんです。

ところが、品川ステラボールで開催した2ndライブが終わったあたりから、みんなが『ヒプマイ』を好きだという気持ちを隠さなくなったように感じましたね。
ラップはどうやって練習したんですか?
「ひたすら聴く」だけですね。僕はちょっと頭が固いので、理論や理屈、成り立ちから考えるほうなんですよ。ダンスを見てもすぐ踊れなくて、「左手はどう動かした?」ってまず考えるタイプ。

そういう人間がラップを聴くと、「何を言ってるのか全然わからない」んですよ(笑)。でも、歌詞を見ながらひたすら聴いていると、言葉が3Dのようにドンと出てくる瞬間がある。「あ、これなんだ」って。言葉が前にグッと出てきて刺さるっていう感覚がわかってからは、聴くことが楽しくなりました。
聴く、というのは『ヒプマイ』の仮歌(レコーディングにあたって、別の誰かが仮で歌を当てたもの)ですか?
そうです。神宮寺寂雷というキャラクターに合わせて実績のあるプロのラッパー(GADORO氏)の方が歌ってくださっていて、とにかく素晴らしいんですよ。めちゃくちゃカッコよくて、聴けるだけで儲けものみたいなところもありました。

なので、自分が歌う曲は、なるべく仮歌を聴きまくって、わからないところはたまに野津山くんに聞きます(笑)。いつも僕のレコーディングの順番が彼より後のケースが多いので、「それはこうですよ」って教えてくれるんですよ。
野津山さんも、全然ラップなんて知らないところからのスタートだったとか。
彼もひたすら聴くことを繰り返していましたね。新宿の街を、ラップを聴いて歌いながら歩いていましたから。変なヤツだと思われていたでしょうね…(笑)。
シブヤじゃなくてシンジュクなんですね(笑)。
たしかに!(笑)
レコーディングはいかがでしたか?
『ヒプマイ』の歌詞って、A4用紙にびっしり書かれたものが2枚はあるんです。2枚ですよ? そんなに歌詞の多い歌ってあまりないじゃないですか。覚えるのは不可能ですし、かといって読んでいたら間に合わない。

だから言葉やイメージを自分の脳に「焼き付ける」作業を繰り返しました。それに寂雷のソロ曲『迷宮壁』は間奏がないので、息を吸う場所がほとんどないんです。どんどんと畳み掛けて高みに上っていく曲。体と感覚が慣れるまでにすごく時間がかかりましたね。
『迷宮壁』は、品川ステラボールで行われた2nd LIVEで初披露されましたね。
それまで他のイベントで何度もあのステージに立っているのに、あの日のステラボールは「こんなに密度が高くなるんだ」って思うぐらい、お客さんがぎゅーっと詰まっていましたよね。人の手がウワーッと揺れていて…まるで、元気な若者の毛髪みたいな(笑)。

麻天狼のふたりは同志。ボーッとしていてはクリアできない

シンジュク・ディビジョン代表のチーム「麻天狼」の木島隆一(伊弉冉一二三役)さん、伊東健人さん(観音坂独歩役)との関係はいかがですか?
もともと木島くんはそれまでレギュラー番組で顔を合わせていて、伊東くんはおそらく『ヒプマイ』が初対面だったと思います。今では3人で自主練をしますし、このあいだは3人で打ち上げをしました。

…厳密には3人ではなく、野津山という男も加わっていましたけど。彼はどこにでも入り込もうとするんですよね。だからもう、「君はシブヤじゃなくセンダガヤ(新宿区に隣接するエリア)だ」と言ってやりました。シンジュクとシブヤの境目にいるぞ、と(笑)。
▲シンジュク・ディビジョン代表「麻天狼」。写真左から伊弉冉一二三(CV:木島隆一)、神宮寺寂雷(CV:速水奨)、観音坂独歩(CV:伊東健人)。
© King Record Co., Ltd. All rights reserved.
(笑)。麻天狼の3人は本当にいい関係なんですね。
同志みたいな関係なんだと思います。ボーッとしてたらクリアできるコンテンツじゃないですから。

品川のリハのときからみんなで、「やるしかないね。どうしようか」って話をして。うち(麻天狼)はちょっとディープな曲が多いので、「ステージでウロウロしていたら変だから、じゃあ座っていようか」とか、アイデアを出し合いました。
速水さんから他のみなさんにアプローチされているんですね。
わからないことは、むしろ積極的に(木村)昴くん(同作の山田一郎役で共演)とかに教えてもらいに行きます。始まった頃と比べ、みんなすごく忙しくなっちゃったので、なかなか会えなくなってしまいましたけどね。
声優は言葉を紡ぎ出していく職業なので、意外とラップとの相性はいいのかなと思ったんですが、実際にやってみていかがでしょうか。
たしかに、親和性は高いと思いますね。僕はリズム感についてあまり偉そうなこと言えないんだけど、リズム感があって、言葉に対する感性と音楽的センスがあって、それでいてパワフルなら、声優がラップをやるのはとてもいいと思いますよ。
もう少しくわしく教えていただけますか?
僕が感じたのは、イントネーションの違い。普通の言葉のイントネーションとラップのイントネーションって、大きく違うときがあるんです。
僕はそれまで言葉にこだわりすぎていた。歌を歌うときも言葉に引っ張られて、「この言葉はこういうアクセントじゃないと絶対にダメ」みたいなこだわりがあったんですけど、ラップに関しては一切なくなりました。

言葉ってそんなに杓子定規に捉えるんじゃなくて、全体の中、センテンスの中で表現できればいい。単語だけを捉え、「このアクセントは違う」なんてどうでもよくて。もちろん他の仕事のときは違いますよ? ただラップにおいては、イントネーションすらも音楽のひとつの要素で、楽しめればいいんだと思いますね。
これからオオサカとナゴヤ、新しくふたつのディビジョンも加わりますが、対抗心みたいなものは?
ないです(笑)。みんなで楽しんで、さらに人気が出てくれることがいちばん嬉しいので。新加入の6人とは大阪城ホールの4th LIVEで顔合わせをしましたし、『ヒプマイ』全員のLINEグループもあるので、誕生日をみんなで祝い合ったりと、すでに仲がいいですよ。
こうした『ヒプマイ』の反響を見て、速水さんの同世代の声優さんも「やってみたい」と興味を示すことがあるのでは?
「頑張ってるね」とは言われるけど、「やってみたい」と言われることはないかな(笑)。「大変でしょう?」と言われることもあるけど、大変なのはどの仕事も一緒なので、あんまりそこは感じないですね。
そういうものでしょうか。
「やって失敗した」っていうことはいっぱいあるんでしょうけど、「やってダメだった」「やらなければよかった」ということってひとつもない、って最近思うんですよ。

失敗も含めて何かを経験すると、次にプラスになることが生まれると思うので。僕は「できない自分も愛しいな」って思っています(笑)。

事務所の名前が世間に広まったのは『M-1』のおかげ

新しいジャンルへの挑戦といえば、野津山さんとコンビを組んで『M-1』に出場されましたね。こちらもすごく驚きました。
去年、うちの事務所(Rush Style)の新人発表会があって、そこで野津山くんが「どうしても漫才がやりたいですけど、誰もやってくれないんスよ〜」って泣きついてくるから、「しょうがないな。僕が相方になってあげるよ」って言ったんです。
野津山さんいわく、「速水さんはまんざらでもなさそう」だった、と(笑)。
いやいや、漫才なんてやったことないんですから! ただ、普段から野津山くんとしゃべってる感じが漫才みたいだったんですよね。僕がボケて、彼がツッコむっていう。
『M-1』への挑戦は、誰の発案だったんですか?
野津山くんですよ。僕そんな知恵ないですし、『M-1』なんてワードは出てこないですから。

きっとお酒の席で「出たいっスね。やってみませんか」って言われて、飲んだ勢いで「いいよ」って答えちゃったんでしょうね。そしたらスタッフが「ここからエントリーできます!」なんて急に本気で調べ出して。マネージャーまでスケジュールを確認して「やるならこの日しかないですね!」と…。
みなさんノリノリですね(笑)。
エントリーするときに、コンビ名がいるんです。でも考えつかなくて、「とりあえずカタカナで“ラッシュスタイル”でいいよ」と言って出しちゃって。

後になってスタッフたちが「さすがにまずかったんじゃないですか」と言っていたけど、「ラッシュスタイル」という僕らの事務所の名前が全国に広がったのは、『M-1』のおかげですから。
ネタはどうやって作っているんでしょう?
新人発表会のときは野津山くんがネタを書いてきたんですけど、僕はまったくそれを読まず、全部アドリブでやりました。長い漫才で10分ぐらいやったんですけど、けっこう面白かったですよ。

「M-1」のネタは基本的にふたりで考えました。まずボケの部分を僕が考えて、野津山くんはひたすらツッコミの言葉を構築していく。それを僕らがニコ生でやっている番組の放送作家がキレイに整理してくれています。
1回戦を見事突破されました。緊張しましたか?
それが、全然しなくて(笑)。だって欲がないですもん。これで売れようとか、のし上がろうって思わないですからね。いいネタができたので、2回戦は突破できる自信がありましたが、通過できなくて残念です。

でも、楽しい経験でしたね。また違う形でやってみたいなと思います!
楽しみにしています! 今までに漫才をされたことは?
ないです。関西出身だからってみんながみんなやるわけではないんですよ?

僕はボケ防止に普段から言葉遊びをしているだけです。ただちょっと、普通の人がついて来れないレベルなんですね(笑)。単純なダジャレではなく、聞いた人の3割ぐらいしかわからないような言葉遊び。
その言葉遊びに反応できるのは僕だけ、と野津山さんは誇らしげでした。
ところが最近は、木村昴という男も付いてくるんですよ。だから来年は木村くんと野津山くんでコンビを組むと、けっこういいところに行くんじゃないですかね。

僕はじゃあ…堀内賢雄さんと組んで出ましょうか(笑)。

責任と自覚の中で芽生えた、声優という仕事の楽しさ

声優デビュー40周年を迎えられますね。
最近では、親子や、3代でファンですという方も少しですがいらっしゃって、とても嬉しく思います。

40年を振り返ると、すごく長く感じる1年もあれば、あっという間の1年もありました。ただ、自分がこの仕事をしようと覚悟を決めてからは、一度たりとも「つまらないから辞めよう」なんて思ったことはなかったです。
仕事が楽しいということは同時に、責任が生じるということ。自分がやっていることが、決してどうでもいいものではなく、たとえひとこと、ふたことのセリフだとしても、アンサンブルの中で絶対に欠かせないパーツであるということが理解できたときから、とても大事な仕事になりました。
その気づきが得られたタイミングはいつだったのでしょうか。
いくつかありますが、たとえば『超時空要塞マクロス』(1982年)やOVAの『デビルマン』(1987年)、そして『銀河英雄伝説』(1988年)がそうですね。オーディションで勝ち取った仕事なので、さすがに責任と自覚が芽生えました。

ただ、その責任と自覚は、自分とマイク、自分と役の関係でしかなくて、テレビの向こうにちゃんとお客さんがいらっしゃるという感覚は、なかなか持てなかったんですよね。緊張感がある現場の中で、少しでも自分をよく見せたいと、余計なことを考えていました。
それを払拭できた作品というと?
“勇者シリーズ”の第1作『勇者エクスカイザー』(1990年)でしょうね。演じたエクスカイザーは、しゃべれるロボット。子どもたちのためのロボットの声をやったときに、自分の中で腑に落ちた瞬間があったんです。僕ではなくエクスカイザーにたくさんお手紙をもらえたことも嬉しかった。

それからは、作品の中でちゃんとお客様に届けられるようにと、もっと丁寧に考えるようになりました。
自身が演じるキャラクターに対して、より深く向き合うように。
途中、ナレーション中心で、アニメーションを年間1本もやっていない年もあったんです。だけどやはり「声優の仕事をもっとやっていきたいな」と思うようになって、それ以降は作品に寄り添って考えるようになりました。

おかげで速水奨という声優の商品性のようなものを、明確に出せるようになった気がします。今もすごく自信を持っているわけではないですが、作品の中にいて、演じることで生かせるもの、込められるものが、クリアに見えるようになってきた。そこからは楽しいですね。40年は区切りかもしれませんけども、自分の中ではあとせめて5年はやりたいです(笑)。

年齢を重ねることで、許容できる部分は広くなる

速水さんは声で演じる中で、どういうときに楽しさを感じますか?
僕らはプロなので、自分のしゃべった音のボリュームや高さとか、音程やリズムを、ほぼトレースできます。すぐに記憶して、その通りに出せるんです。一方で、自分が意識していないお芝居ができたときは、楽しいなと思います。

普段は「こうしゃべろう」と決めてしゃべるんですけど、そうじゃない場合があります。ゲームの仕事だとひとりでの収録なので、意識しないとできませんが、アニメのレコーディングだと相手がいる。素晴らしいボールがこっちに飛んできて、無意識に返した芝居が、すごく楽しい。たまにそういう瞬間があるんです。
では、ファンの方々から「イケボ」「いい声」と言われることについてはどう思われますか?
「いい声」って言われ出したのは高校生ぐらいから。でもいい声って何なのか、まったくわからなかったんですよね。高校を出て劇団に入って、そこの代表が「君は非常にいい声だから」と言ってくれて、「そうなんだ」と思ったくらいです。

ただ、「いい声」を「いい言葉」にするためには、「いい感覚」がないとダメなんです。いい感覚がないと、ただのいい音でしかない。いい言葉を紡ぎ出せて初めて、トータル的にいい声だと言えると思います。

そう考えられるようになったのは、自分の演技が多少安定してきた50歳を過ぎた頃かな。お店に食事に行ったとき、年配の女性店員さんに「いい声ね」と言われて、嬉しかったです(笑)。
外を歩いていて、気づかれることも?
それは最近すごく増えましたね。『ヒプマイ』の影響だと思います。ああやってライブで表に出るようになっちゃったし、野津山くんとふたりで歩いていたらすぐバレますね(苦笑)。
40年ものあいだお仕事を続けてきて、声質が変わったと感じることは?
変わってきたと思いますよ。それこそ『スーパーロボット大戦シリーズ』(1991年に誕生したシミュレーションRPGシリーズ)の収録をするときに、昔の自分の声を資料として聴くんですが、変わっているように感じます。もちろん録音技術が違うというのはありますが、今のほうが楽に声を出せている気がしますね。

一方で、「若い頃の声はもう出せない」という考えもわかります。若さゆえのセリフの捉え方や爆発の仕方なんかは、あの頃じゃないとできない。若い頃って、周りとの調和を考えていないので、良くも悪くもわがままですよね。
なるほど。
今は調和を大事にするし、忍耐力がつきました。「自分はこうじゃなきゃいけない、これしかやらないんだ」って決めつけない。「これ僕じゃなくても…」と思いつつもやってみると、やっぱり「これは僕でよかった」って思うようになる。

人って、歳を重ねることで気が短くなる部分もあるけれど、許容できる部分が広くなっていくんじゃないかな。
どんな職業の人にも言えることですね。やりたくなかった仕事も、やってみるといい経験になる。
最近よく思うんですけど、生きていく中で大きな不幸をいくつも経験しますよね。それはもちろん悲しいけれども、人生を長い目で見たら、幸せと不幸って五分五分なのかなって。

たとえばさっき僕が食べたハンバーガー。バンズがすごくおいしくて、「幸せだなぁ」って思いながら食べていました。こういう小さな幸せを日々見つけられたらいいんですよね。何にでも幸せを感じるようになって、よかったなと思います。

後輩のためにもこれからもアグレッシブでいたい

そんな中で、Rush Styleという事務所を2013年に設立されました。
大卒の若いマネージャーと二人三脚で歩み始めて、立ち上げてから今年でちょうど6年になりました。人も増えて、ちょっとずつ大きくなってきています。

以前から「立ち上げたい」と思ったことはあったんですが、ただ自分自身が代表になるというビジョンが浮かんで来なくて。プロダクションの中で安定したポジションにいて、言われたことをやるほうが楽だったんです。
与えられた仕事をやるのではなく、違うことをやってみたくなったのはなぜでしょうか?
プロダクションの中のタレントでいると、マネージャーからおりてくる情報の中で判断するしかありません。ですが、今は本当にすべてが可視化された状況にあるので、自分やスタッフが判断し、みんなでディスカッションしながら進めていける。それは僕にとってすごく気持ちがいいことなんです。

それに独立は、この年齢だからできたんだろうなとも思います。今の年齢だから、若い人を教えることも楽しくできる。もう20年若かったら、後輩たちをライバル視していたかもしれません。

自分が事務所のシンボルタワーでいる限りは、ちゃんとその建物のメンテナンスをしないといけない。僕の背中を若い人たちが見ているんだから、僕が疲れて「もういいや」なんて言っていてはダメ。よりアグレッシブにいようとは心がけていますね。
後輩たちに「これだけは大切にしてほしい」といつも伝えていることは?
気配り、ですね。思いやりの心。それは仕事場に限らず持ってほしいと伝えています。

人って慣れてくるとどうしても、本人はそんなつもりはなくても嫌な物言いをしてしまうことがある。たとえ冗談のつもりでも、相手にとって気持ちのいいものじゃなかったりします。人に敬意を持ち、思いやりを持って接することが、最低限、いや最大限、大事なことだと思いますね。
今後、叶えたい夢はありますか? 9月に刊行された著作『速水奨 言葉に生きる、声に込める』には「小説を書きたい」と書かれていました。
あはは、それはもうちょっと暇になってからかな。でも、細かいものは今も書いているんですよ。たとえば『S.S.D.S』(Super Stylish Doctors Story。2003年より自ら原作・脚本を務めるコンテンツ)もそうですし、イベントなどで使うミニドラマも自分で書いたりしますから。
そういったクリエイティビティの原動力は何でしょう?
言葉って生きていますよね。だから、自分の紡ぐ言葉がどれだけ今生きているかを確認するようにしています。もし僕の言葉がもう死んでいたら、今こうやってお話をしたり、事務所の後輩たちに話したりすることも、「昔の人がこう言っていた」になってしまうから。

そうならないために、いろんな世代の人と話をして、ちゃんと僕の言葉が届いているかを確認することがとても大事なんです。それを検証する意味も含めて、イベントのミニドラマや、『S.S.D.S』の脚本を書いています。

たとえば『S.S.D.S』の脚本を書くとき、僕はキャストがどう演じるかを思い浮かべながら書くんですよ。どう演じるかがわかっているから、台本の文字が彼らによって言葉に変わると、途端に面白くなる。その感覚を、いつも試し続けているんですよね。
書くだけじゃなく、話したときの言葉のあり方も想像されるというのは、声優さんならではの考え方ですね。
あと、数年前からもう始めているんですけど、小学校に朗読に行っています。今度も自分の母校に行く予定なんですけど、近い将来、「今週は岩手と宮城を回ろう」みたいな感じで、全国を行脚できたら楽しいだろうなって。
小学校の朗読で、やりがいを感じるのはどんな瞬間ですか?
子どもたちがね、「とてもじょうずでした」って褒めてくれるんです。ときには一緒に給食を食べたりもして、楽しいですよ。

いつもその学年の教材、たとえば1〜2年生だったら『幸福の王子』(オスカー・ワイルド著)、3〜4年生なら『ごんぎつね』(新美南吉著)、5〜6年生なら『よだかの星』(宮沢賢治著)みたいな作品を朗読するんですけど、中には感極まって泣いてる子もいます。
声の芝居にそれだけ胸を打たれる、ということですよね。
子ども相手だからといって手加減することは当然ありません。会場も体育館や視聴覚室だから、照明に照らされるわけでもなく、演出も何もない。その状況下でどれだけ子どもたちに聴いてもらえるか。それって真剣勝負だし、すごくワクワクしますね。
40年休まず走り続けてきて「ちょっと休みたいな」と思うことはありませんか?
まだまだ働きたいぐらいなんですけど、野津山くんが僕たち夫婦(妻は声優の五十嵐麗さん)に 「おふたりを世界一周旅行にご招待しますよ!」って言うんです。一生懸命働いて旅行をプレゼントしますって(笑)。それは本当にぜひ有言実行してほしい!
まるで親孝行みたいな素敵なお話ですね…!
僕らが旅行に行くためには3〜4ヶ月も仕事を休まなきゃいけない。しかも豪華客船らしいので、とっても高いみたいですよ。野津山くんには頑張って働いてもらいたいですね(笑)。
速水奨(はやみ・しょう)
8月2日生まれ、兵庫県出身。A型。劇団青年座養成所、劇団四季を経て、1980年にニッポン放送主催「アマチュア声優コンテスト」でグランプリを受賞し、声優デビュー。主なアニメ出演作に『超時空要塞マクロス』(1982〜1983年)のマクシミリアン・ジーナス役、『超時空世紀オーガス』(1983〜1984年)の桂木桂役、『勇者エクスカイザー』(1990〜1991年)のエクスカイザー役、『Fate/Zero』(2011〜2012年)の遠坂時臣役など多数。また、ゲーム『アンジェリーク』シリーズの光の守護聖ジュリアス役など、女性向けコンテンツでも多くのキャラクターを演じ、支持を集めている。2017年からは音楽原作キャラクターラッププロジェクト『ヒプノシスマイク』で神宮寺寂雷役として参加。

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、速水奨さんのサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年10月30日(水)18:00〜11月5日(火)18:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/11月6日(水)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから11月6日(水)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき11月9日(土)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
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