北方悠誠(ゆうじょう)は、唐津商業(佐賀)からその年のドラフト1位で横浜DeNAから指名を受け入団。150キロを超える速球は将来を嘱望されたが、コントロールに苦しみ、わずか3年で退団。その後、合同トライアウトを受けソフトバンクに育成選手として契約を果たすも、制球難は解消されず、結局、1シーズンで戦力外となった。
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ドジャースとマイナー契約を交わした
BCリーグ栃木の北方悠誠
2016年からは独立リーグの世界に飛び込んだものの、ここでも確固たる結果を残せず、チームを転々とし、この春は独立リーグで4チーム目となるルートイン
BCリーグの栃木ゴールデンブレーブスで開幕を迎えた。
ドラフト1位――プロ入りした時の北方には、すばらしい未来予想図が広がっていたはずだ。均整のとれた体躯から繰り出される剛球は、誰の目にも魅力的に映り、クローザー候補に名前が挙がったこともある。しかし、DeNAでの3年間で一軍登板なしに終わると、20歳の若さで自由契約を言い渡される。
「正直、プロで活躍できると思っていました。けれど実際に入ってみたら、右も左もわからなかったですし、慣れるのに時間がかかりました。結局、実力不足、技術不足だったんです」
北方はそう言うが、ドラフト1位で指名された逸材である。少なくとも入団時は、プロでやっていくだけの実力はあっただろうし、近い将来、一軍での活躍を期待されていたはずである。
「たしかに、その時はプロの水準をクリアしていたのかもしれませんが、どんどん調子を悪くしてしまいました」
“高卒のドラ1投手”と聞いてまず名前が挙がるのは、松坂大輔(中日)、ダルビッシュ有(カブス)、田中将大(ヤンキース)、菊池雄星(マリナーズ)、大谷翔平(エンゼルス)といったところか。いずれも日本球界で伝説を残し、メジャーへと旅立った。
当然、北方も壮大な未来図を描いていたことは想像に難くない。しかし、周囲が求める期待と現実のギャップに苦しみ、やがてピッチングそのものを見失うことになる。それがプロ3年目のことだった。北方が当時を振り返る。
「あの年はキャンプも一軍でスタートし、『今年はいくぞ!』っていう感じだったんですけど……コントロールを意識しすぎて、ダメになっていきましたね」
コントロールと言っても、高校時代はそれほど制球に苦労していなかったはずである。北方はプロ入りして1年ほどして制球に苦しむようになったと言うが、それはプロの打者を抑えるための繊細なコントロールというレベルの話ではなく、ストライクがまったく入らないという「プロ以前」の問題だった。
「プロと高校ではストライクゾーンがまったく違いました」
高校時代はバッターボックスのラインぐらいまでストライクとコールされることがあったが、プロではベース上をきちんと通過しないとコールされなくなった。ボールのコールが多くなるにつれて腕が振れなくなり、フォームのバランスを崩すと、ますますストライクゾーンを気にするようになり、まったくコントロールできなくなった。
2年目を迎える頃には、高校時代には簡単に投げることができた真ん中にさえボールがいかなくなった。
「コントロールのことばかり言われるようになると、高校の時みたいにがむしゃらに投げることができなくなっていたんです。『気にせず投げればいいじゃん』って言う人もいるでしょうが、プロは結果が問われますし、いろんなことが重なって……そういう風にはいきませんでした」
球界関係者は、そんな北方に”イップス”のレッテルを貼った。一度貼られたレッテルはなかなか取れない。独立リーグの世界に飛び込んだあとも付きまとった。
2016年シーズンを群馬ダイヤモンドペガサスでスタートさせたものの、早々にリリース。その後も四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツ、昨年はBCリーグの信濃グランセローズで過ごしたが、四死球の数が投球回数を下回ることはなかった。
それでも北方は、自身が”イップス”であることを認めていない。
「練習ではちゃんと投げられますから。問題は(試合の)マウンドですね。僕のなかではイップスというより、フォームを乱したというほうが正しいのかと思っています。指先の感覚はあったので……。ただフォームが崩れて、同じところでボールをリリースできないという感じでした。でも自信はありました」
それでも結果は出なかった。昨年のシーズン終了後、信濃から提示されたのは無給の練習生契約だった。北方は移籍を決めた。
「愛媛で野手転向を勧められたのですが、ピッチャーをしたかったので信濃に移ったんです。結局、そこでも練習生だと言われ、移籍することにしました。(年齢的に)僕には時間がないので。今年のシーズン前半で結果を出して、スカウトに見てもらわなきゃと思っていたので……」
昨シーズンに記録した159キロのストレートが、北方から「あきらめる」という選択肢を奪っていた。結果は出ていなかったが、独立リーグでの経験は北方に自信を取り戻させた。
栃木への移籍が決定すると、球団の施設を使いオフ返上でトレーニングを続けた。とくに特別なことをしたわけではなかったが、トレーナーと相談しながらトレーニングを継続することによって、北方の自信は確固たるものになっていった。
「正月だけは5日ほど田舎に帰りましたが、あとはずっとトレーニングを続けていました。とにかくサボらずにやろうと。シーズンに入ってから後悔したくなかったので」
細かな制球力など必要なかった。独立リーグという場において、150キロ台後半のストレートがあれば、十分に打者を牛耳ることができた。首脳陣も迷わず北方をリリーフとして マウンドに送った。信頼されているという自信は、いつしか北方からストライクゾーンという恐怖をかき消していた。
「もうマウンドでなにも気にならないです。ファウルを打たせたり、逆にストライクゾーンを広く使えているので」
今シーズン、コンスタントに記録する160キロ近い剛速球とともに、登板7試合で7イニングを投げ、1勝1セーブ、防御率1.29という数字を残していた北方に、マイナー契約ではあるが、ロサンゼルス・ドジャースからオファーが届いた。
北方悠誠、25歳――未完の剛球王は、紆余曲折を経てメジャーのスタートラインに立った。そんな北方に、ストライクを取るのに汲々としていた過去の自分に言いたいことがあるか聞いてみた。
「そういう自分があったから、今があるんじゃないかと思います」
NPBドラフト1位、独立リーグ経由、メジャー リーグ。北方の旅はまだまだ続く。