「誰もがひとりの人間として認められる場所」 “伝説の支配人”が語る、歌舞伎町の本質的な魅力とは。

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チンピラ芸人ペンギンズが大都会・新宿の夜の住人たちをインタビューし、街の魅力を特濃濃縮還元でお届けしていく街レポ企画第2弾。

ふたりが今回訪れたのは、歌舞伎町に残る最後のキャバレー「SUNTORYパブクラブ ロータリー」。キャバレーに来たといっても、ショーを見るためではない。この店を経営する、“伝説の支配人”に会いに来たのだ。

吉田康弘会長。御年81歳。戦後間もない、歌舞伎町がまだ沼地でしかなかった頃から現在に至るまで、街の歴史のすべてを見てきた人物だ。

ヤクザが姿を消し、大規模な再開発が進行するこの街には、巨大な変化の波が押し寄せているように思える。しかし意外にも、吉田会長からすると「歌舞伎町の本質は昔と何も変わってない」のだという。

この街の“本質”とは、いったい何なのか? ペンギンズによる男気溢れるインタビューをご覧いただこう。
出演/ペンギンズ
撮影/水上俊介
文・構成/飯田直人(livedoorニュース)
デザイン/桜庭侑紀
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「ロータリー」が店を構えるのは、総合アミューズメントビル「風林会館」の6階。風林会館というと、「危険な場所でしょ?」と思う人も多いかもしれない。

2002年には同ビル1階の喫茶店「パリジェンヌ」でヤクザと中国マフィア計5人が撃ち合う銃撃事件(死者1名)があったし、1994年の中国マフィアの抗争、通称「青龍刀事件」(死者2名)の現場も目と鼻の先である。

たしかに、過去にこの近辺では凶悪事件が数え切れないほど多く起きてきた。だが、今の風林会館に危険な雰囲気はさほどない。危険や怖さよりも、どちらかといえば、レトロな風情のほうが勝っている。

▲「ロータリー」の店内風景

エレベーターで6階まで上がって目にする「ロータリー」の店内はクラシカルな内装。かなり高級感がある。ホステスさんたちも、立ち居振る舞いにエレガンスが漂い、いかにも“大人の遊び場”といった印象。

しかし価格設定はかなり良心的だ。1時間飲み放題で席料6000円、フードメニューは焼きそば1000円、フルーツ盛り3000円〜など。少し高めの飲み会程度の出費で済んでしまう。

ステージではセクシーなダンスや歌唱、漫談など、さまざまな演目を日替わりで楽しむことができる。

▲多彩な演目が披露されるステージ。ダンサー:ベティ 写真提供:寺谷公一

そして、こうしたステージの照明演出を担当するのが、“伝説の支配人”吉田会長だ。
経営者なのになぜそんな仕事を…? というのは気になる点だが、理由はシンプル。会長は元気が有り余っていて、ただ単純に自分でやりたいのだという。

そんな元気な吉田会長に、ペンギンズは店の事務室でインタビューさせていただくことになった。
吉田康博(よしだ やすひろ)
1938年、福岡県生まれ。18歳で上京し、20歳で歌舞伎町のキャバレーでボーイとして働き始める。それから61年間、歌舞伎町の中だけで27店舗の営業に携わってきた、街の生き字引的存在。週に2回のジョギングは欠かさない。
こんばんは、お笑い芸人のペンギンズと申します。
よろしくな!!
夜の世界へ、ようこそいらっしゃい。歌舞伎町について何か聞きたいことがあるって?
そうなんですよ。“ワル”を磨こうと思って歌舞伎町に来たんだけど、俺たちみたいなチンピラが街にあんまりいないからどうしようかと思って…。
なるほどねえ…。あっ! まずはウチの特製ソースたこ焼きを食べてよ! 今日はちょうどたこ焼きイベントの日なんだよね。焼きたてでおいしいよ!
おお、ありがたく頂戴します。
たこ焼きのアニキー!!
会長に変な異名付けんじゃねぇよ。
それで…最初にまずはっきり言うとね、君たちはまったくチンピラに見えないね。“ワル”さが少しも感じられないよ。全っ然ダメ。
そんなはずねえだろ! アニキをナメんなよ! こえーぞ!
君たち本物見たことないんじゃないの? 目が違うよ、本物のチンピラは。君らは「ボクちゃん何おふざけしてるんでちゅか?」って感じだね(笑)。
なんだとこらあああぁぁぁ!!どっからどう見てもこえぇだろうがああああぁぁぁ!!!
声量だけでどうにかしようとすんな。
昔はね、地方で食い詰めた男が生きるために歌舞伎町に来たら、まずはキャバレーのボーイとして働いて、店を辞めたら“任侠の世界”に入るっていうのが一種の定番就職コースだった。それくらい、水商売とヤクザは密接につながっていたんだよね。だから私もその方面の人間とは随分顔を合わせてきましたけどね、彼らの顔付きはもう、全然違いますよ。
レジェンドの言葉は、説得力が並みじゃねえ...。でも、オレたちが少しでもワルさに磨きをかけるには、どうしたらいいんすかね、会長?
うーん、ワルぶっても「本当はいい人です」っていうのは顔に出ちゃうからねえ。無理があるよ。それに細身だし…。私は80歳を超えてるけど、今君らとケンカしたとして、負ける気がしないな(笑)。
まあ、それでも憧れがあるんだったら、まずは勉強したらいいんじゃない? 私は歌舞伎町がまだ沼地で、水たまりにカモがぷかぷか浮いてた時代から知ってるし、少し歴史のお話でもしましょうか。
なるほど。カモはカモでも、今じゃ人間のカモがうじゃうじゃいるけどな。
うまい! アニキ最高ー!!
本物のチンピラのノリはそんなに軽くないんだよねぇ...。
まず、「歌舞伎町」っていう名前の土地が生まれたのは1948年(昭和23年)。戦後復興の一環でここに「道義的繁華街を作ろう」っていう都市計画が出てきて、それに基づいて作られた街なんです。最初にできた施設は「慰安所」、今ふうに言えば普通に風俗店だったけどね。
歌舞伎町には最初っから風俗があったんですね。
アニキが大好きな風俗!
余計な補足をするなよ。
「歌舞伎町も変わったね〜」なんてよく人から言われるけど、男が女を求めてやってくる場所っていう、本質的な部分は変わってない気がするね。あと、ここだと何も取り柄のないヤツでも、昔悪さをしたヤツでも仕事を見つけることができる。これも昔と変わらない。歌舞伎町っていうのは「誰もがひとりの人間として認められる場所」でもあるんだよねえ。
なるほどなあ…懐が深い。
それから、戦後すぐだと日本人は大体お金を持っていないでしょ? だから早い時期には裕福な“華僑”(在外中国人)の人たちがお金を出して土地を買って、この街の基礎を作っていったんですよ。歌舞伎町の歴史では彼らの貢献度はとても大きいですね。
振り返ってみると、女の子たちのファッションの変化も面白いですね。最初の頃はまだ舗装されてない道を、みんな和服に下駄履いて行き来してたんです。雨が降ったら本当に足元が悪くなるから厄介でしたよ。60年代まで“夜の女”といえば基本的には和服でした。それから70年代にリービルの地下に「クラブ・リー」っていう豪華なキャバレーができたんですけど、この界隈でホステスにドレスを着せた最初の店はそこでしたね。

そしてその頃のドレスっていうのは、基本的にシックでセクシーなデザイン。80年代になっても基本的にはそうだったと思う。でもバブルが弾けた後かな、急にみんなやたらと派手なドレスを着るようになったね。熱帯魚みたいな、妙にヒラヒラしたようなやつ。
不景気になったら派手に? なんか意外だな!
「夢を見たい」ってことなんだと思いますよ。世の中が暗くても、こういうお店ぐらいは明るくしていたい、みたいな。君が派手なシャツを着てる理由はもしかして…。
売れてないからだろみたいな目で見んな!
あとヤクザが街からいなくなったのは、やっぱり(東京都知事だった)石原慎太郎の「歌舞伎町浄化作戦」の影響が大きかったね。10年、15年たって考えると、あの人の一言で歌舞伎町は大きく変わりましたよ。

あの作戦が始まったときは、「何言ってんだろう」ってほとんどの人は思ったけどね。言ってることはまともだけど、正直「そんなことしたって歌舞伎町が変わるわけねえよ」って。私らみたいな歌舞伎町をこよなく愛する人間にとってはパッと横槍を入れられた形だから、「この街を潰す気かよ」なんて反発心もありましたし…。

そうだ、せっかくだから街中を一緒に歩いてみようか。昔の歌舞伎町がどんなだったか教えてあげますよ。
一行は風林会館を出て、夜の歌舞伎町に繰り出した。最初に和装からドレスへ切り替えた「クラブ・リー」のリービルは、風林会館のすぐ隣の区画。そしてそのすぐ裏手にはホストクラブ「愛本店」、昨年逝去された“ホストの帝王”こと愛田武さんのいた店がある。さすがに日本一の歓楽街、層の厚みが半端じゃない。やがて、吉田会長はシネシティ広場(旧コマ劇場前広場)の中程まで進んだ辺りで足を止めた。
ここがさっき話した、歌舞伎町で最初にできた慰安所の建っていた場所ね。少し前まで東急ミラノ座があったんだけど、今はVRのゲームセンターが期間限定で営業中。(※2019年3月末で営業終了)
おお、ここは知ってるぜ。今度は東急の大きいビルが新しく建つ場所ですよね。おしゃれな大箱クラブが入る予定だとかいう。
あ、そうそう。よく知ってるね。
それからその少し脇にあるこのHUMAXのビル。ここには「ムーラン・ドール」っていうキャバレーがあってね、私は1970年頃からそこで働いてたんです。フルバンドの生演奏付きで、美空ひばりさんとか鶴田浩二さんとか、当時の大スターたちもステージに立つような、豪華なお店だったんですよ。
で、そのさらにお隣、今のTOHOシネマズの場所には「クラブハイツ」っていう、これまた非常に大きいキャバレーがありました。ここは1973年(昭和48年)にオープンだったんだけど、オープン初日に、私たち「ムーラン・ドール」のスタッフと「ハイツ」のヤツらとで、殴り合いの大乱闘をしたんですよ。ほとんど戦争状態。あのときは血が騒いだねぇ。
こわ! 時折会長の狂気が見えるんだよなぁ…。なんでそんなことになったんすか?
ハイツが良い条件を提示して、ウチの店から女の子を数ゴッソリ引き抜こうとしたからですよ。

当時はホステス100人以上のグランドキャバレーが歌舞伎町に10店以上あって、店同士の引き抜き合いは日常茶飯事。私たちボーイは引き抜きを防がないといけないし、男は女のために命張るのが当たり前という価値観の世界。だから、店員同士は殴り合いをしょっちゅうやってたんです。そんな物騒な時代もあったもんだよねえ(笑)
無くなった店、まだ残っている店…。歌舞伎町を築いてきた人々の記憶を振り返りながら、街中の散策を続けた。そして、TOHOシネマズの裏手の辺りで、再び吉田会長は足を止める。「ハッピィ日の丸」と書かれた看板を前に、まぶしそうに目を細めていた。
「日の丸」は、昔からあるセックス系キャバレーだね。席で接客してもらうところまではキャバレーと一緒なんだけど、その場で“本番”ができちゃう店でした。「オスオスッ!」つってね。
本番行為の擬音が「オスオスッ」っ!? 聞いたことねぇ!
今はピンサロとして営業しているということだから“本番”はないんだろうけど、昔は私もよく仕事の合間でヌキに行きましたよ(笑)。仲間とお客さんと、みんなで一緒にね。
息抜き代わりに“ヌキヌキ”ってか。
男なんてのはそんなもんでしょう!
会長って、今でもこういうお店に行ったりするんすか?
いや、さすがにもう勃たないからねえ(笑)。ウチの店の女の子たちも、私が何もできないってわかってるから、酔うと平気でハグしてきたりする。からかわれちゃって、困るよ。
EDのアニキー!!
そろそろ殴られんぞ。
私が若い頃だったら、君たちは今ごろ下水道でひっそり死んでるよねえ。
こえー!
吉田会長には、同世代の仲間がもういない。以前は出歩く度に必ず知り合いと出くわし、立ち話だけで長い時間が掛かったそうだが...今はそんなこともなくなった。

年齢を考慮すれば自然なことだし、会長も笑って思い出を語る。しかしやはり、笑顔の中にもどこか、さみしげな影が差していたように思えてならない。

ペンギンズは再び「ロータリー」の事務室に戻り、歌舞伎町の人間模様について深く聞いてみた。
会長と街中を歩いてみたら、歌舞伎町で生きていくってことの実感が少し湧いた感じがします。
この部屋の壁には写真がたくさん貼ってあるけど、この女の子たちの存在があったから、今の吉田さんがあるんだなって思えてきたっすね。彼女たちのことはみんな覚えてるんすか?
うん。だいたい全員どんな性格だったか覚えてるね。
どの子が稼いだとか、稼げなかったかとかも?(笑)
そりゃもちろんですよ! やっぱりね、しっかり稼ぐのはみんな真面目な子でしたね。
そういう子は一日中が仕事。まず朝起きたらお客さんに電話する。昼はそのお客の会社の近くで一緒に昼食をとる。それからいったん家に帰って、着替えたら夕方に別のお客さんと同伴で出勤。店での仕事が終わると、アフターで別のお客さんとご飯食べて、家に帰る。だいたいそんな感じですよ。
昔はよく「手マメ足マメ」といってね、こまめに手紙を書き、こまめに会いに行くことなんかをみんな大切にしてたよね。
ちなみに今までで一番稼いだのはあそこの着物着ている子ね。彼女はフィリピンの子なんだけど、本当に良い子だったなあ。
へえー。逆に、彼女たちも吉田会長のことは覚えてたりするんだろうな。
そうねえ。街中で見知らぬ女性に会釈されて、「昔一緒に働いた子かな」と思って私も会釈を返したりすることは時々ありますね。覚えていてくれるってのは、うれしいもんだよね。
その気持ちはめっちゃわかる。
もう30年近く前の話だけど、女房と子供と明治神宮に行ったんです。参道で向かいから子連れの若い女性が歩いてきて、「あら、吉田さんですか?」って言ってきたの。「そうですよ」って応えると「その節はお世話になりました」ってその子が言うわけ。こちらは全然見覚えがなかったけど、水商売やってた子だなというのはすぐにわかった。それで「どこのお店でしたっけ?」と聞いてみたら「ムーラン・ドールですよ。覚えてますか?」って言うから「もちろん覚えてますよ」なんてこっちも話を合わせてた。

するとそこへ、若い男性が後ろから来て、女性は「うちの旦那でございます」と私に言った。それから彼女は旦那のほうを向いて「こちらは昔の職場の上司の吉田さんで…」と紹介されたから、旦那さんも「家内がその節はお世話になりました」とかあいさつしてきてね…。
いや、なんてことのない話だけどさ、そのとき私はすごくうれしかったです。昔一緒に働いた人が何年も経ってるのに声を掛けてくれるなんて「俺も歌舞伎町で、ちゃんと、まともに生きてたのかな」と、ふと自分を褒めてあげたくなったね。
定食屋で偶然隣に座った女の子に会釈されて、お元気ですかなんて言われて、そちらはどうですかとか返事をする。そういう他愛のない会話をするとき、何か「自分の感触」みたいなものを感じますよね。知らない人に声を掛けられても、しっかり挨拶のできる自分が今ここにいる。「ああ、俺はここに生きてるんだ」って。
うぅ…。俺が憧れるアニキ像がそこにある…。
それは100年早えーだろ!
てめぇ誰に口聞いてんだ!
すみませんでしたぁー!
で、吉田会長はもう80歳を超えてるわけだけど、引退とかは考えてるんですか?
まあ、もうそれほど長くはないよね。そして、私がこの街からいなくなるときにはたぶん、「ロータリー」もなくなるんだと思う。
そうか…。儚いけど、それが最善な気もするな。潔い去り方が吉田会長らしいというか…。
「ぜひウチのアニキに継がせてください!」っていうボケも言いたくないすね。言わなくていいですか?
いちいちボケの許可を取るような芸人は見たことねぇぞ。なぁ会長?
なぁじゃないよ! 君こそ誰に口聞いてんだい(笑)。
ちなみに私はね、引退したら、二度と歌舞伎町には足を踏み入れないと決めています。外の人間としてこの街を見るなんて、できない。買い物でも絶対に来ない。年老いてから歌舞伎町に来るなんて…、想像しただけでも耐え難いですよ。
会長、まだ年老いてる自覚はないんだな(笑)。最後に、若者へのメッセージとかいっときますか?
やっぱり、夜の世界の楽しさを知ってほしいね。昼間は太陽の光で、全部がハッキリ見えすぎるんです。夜の世界はもっと曖昧で…。ほら、夜空には星があるでしょ? 最初は少ししか見えなくて、目を凝らしていると、だんだん色んな星があるのが見えてくる。同じようにね、夜の世界にいると、いろんな人間の姿が見えてきます。良いとこも悪いとこも含めてね。

私がここまで生きて来られたのも、いろんな人のおかげだなとつくづく思います。「風林会館」のオーナーの林さんはじめ、多くの人にお世話になりました。若い人なんかにも、夜の街に遊びにきて、ここでしかあり得ない人間模様を楽しんでもらえたらうれしいです。

▲風林会館の前で記念撮影。エレベーターボーイの高橋さんは、吉田会長が壮絶な殴り合いをした宿敵「クラブハイツ」でもエレベーターボーイを務めていた、歌舞伎町の大ベテランだ。

【次回予告】ペンギンズは新宿二丁目へ移動し、女装パフォーマーとして活躍するブルボンヌさんと出会う。オネエとチンピラ、一見なんの関係もなさそうな両者のキャラだが、実はお互いに共通の苦しみを抱えていることが明らかになった。またLGBTへの関心が社会的に高まる昨今、二丁目の様子もさまざまに変化してきているという。ブルボンヌさんからはその中で実際に起きた感動的なエピソードなども聞くことができた。(3/30 22:00公開予定)
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