大石昌良のブレイクは「必然」だった。39歳、遅咲き音楽クリエイターの素顔。

6年前の今頃は、ピザ屋で配達のアルバイトをしていたのに。環境の変化にいちばん戸惑っているのは、本人に違いない。

大石昌良の名を広く一般に知らしめたのは、2017年に放送されたアニメ『けものフレンズ』。作詞作曲を手掛けたテーマ曲『ようこそジャパリパークへ』は口コミで人気が爆発。歌手の平井 堅や星野 源も絶賛するなど、幅広いリスナーに愛される楽曲になった。

“天才”音楽クリエイターと人は呼ぶ。だが彼にはシンガーソングライター、バンドのボーカル&ギター、アニソンシンガーの顔もある。

キャリアも異色だ。2001年、21歳にしてロックバンドSound Scheduleのメンバーとしてメジャーデビュー。しかし、2006年にバンドが解散し、2008年にソロデビューしてからは、音楽だけでは食べていけず、アルバイトをしながら生計を立てていた。

そんな苦境を変えたのが、アニソン界への進出だった。当時33歳。

「だから僕は伝えたいです。いくらでも遅咲きできるってことを」

酸いも甘いも噛み分けながら、自分の力でブレイクを勝ち取った大石の言葉には説得力がある。

撮影/西村 康 取材・文/照沼健太
スタイリング/宇都宮春男(YKP) ヘアメイク/瓜本美鈴(e-mu)

中学で初作曲。バンド練習に明け暮れた高校時代

きょうはSound Scheduleのボーカル&ギターが、アニソン界に欠かせない存在になるまでの軌跡をたどっていきたいと思います。
大げさだなぁ……(笑)。よろしくお願いします!
Sound Schedule は、1999年に神戸商科大学(現・兵庫県立大学)の軽音楽部で結成されたんですよね。大学に入る前から音楽活動を?
楽器を始めたのは中学生の頃でした。中1の一学期に、友だちのお兄ちゃんがベースを弾いているのを見て、カッコいいなって。ああいう弦楽器が欲しいとおばあちゃんに言ったら、次の日に親戚からガットギターをもらってきてくれたんですよ。
かなり早い段階で楽器を始めたんですね。
そうなんです。当時マセていて彼女がいたんですけど、クラスの連中に「彼女に曲を作ってやれよ」と言われて(笑)。ギターを始めてすぐに曲を書けるわけでもないんですけど、僕も囃し立てられるがままに曲を書きました。
タイトルは?
『きっと今夜はホーリーナイト』(笑)。
(笑)。中1にして初作曲というのはスゴいですね。その頃はどんな音楽を聴いていたんですか?
ビートルズ、サイモン&ガーファンクル、ギルバート・オサリバンとか。洋楽が好きでした。愛媛県の宇和島という田舎育ちで、インターネットもない時代だったから、都会のトレンドがあまり入ってこなかったんです。

だから少しでもマセガキでいたい一心で「英語で歌ってる曲ってカッコよくない?」とビートルズから聴き始めて、いろんな音楽に広がっていきました。
高校時代はサッカー部だったそうですが、音楽と並行してスポーツにも打ち込んでいたんですか?
小中高とサッカーをやってました。高校に入ってからバンドを組んだんですけど、その頃は学校に行って部活して、帰ってきてからバンドをやってという生活で、充実してましたね(笑)。

田舎だから練習スタジオもなかったので、自分の家にスタジオを作ったんですよ。
スタジオを家に!?
父親が大工の資格を持っていて。田舎なので土地が余ってるんです。実家の余った畑の土地に、父親と一緒にほったて小屋を建てて、ドラムセットとかアンプとかの機材を持ち寄って。ずっとそこで練習してました。

当然ライブハウスもないので、ライブをやるとなったらカラオケボックスの一番大きいパーティールームを借りるんです。店長に許可をもらってビールケースを何十個も持ち込んで、その上にベニヤ板を敷いてステージを作りました。
音響から機材搬入まで自分たちでやって。
なんでもやってましたね(笑)。それが僕の原風景で、音楽活動の原点です。
その頃から音楽でデビューしたいという思いはありましたか?
はい。「音楽で食べていきたい」という強い気持ちがあって、高校卒業と同時に東京の専門学校に入って音楽を勉強したいと親に話しました。そしたら猛反対されたんです。「せめて関西圏くらいにとどめておいてほしい」と。どうしてかと聞くと「何かあったときに、車で迎えに行けないから」って。
泣けますね……。
うちの親も泣かせること言うなと思って、関西の大学に進学しました。
大学で組んだバンドがメジャーデビューに至るわけですが、デビューできる自信はありましたか?
根拠のない自信はありました。でも、愛媛から東京にすぐ行ってたら、音楽を諦めていたかもしれないと今では思っています。

地方大会から順番に段階を経て全国大会に来られたような――ちゃんとレベル上げをしながらラストダンジョンに来られた感覚というか(笑)。根拠のない自信を抱かせ続けてくれた周りの環境が功を奏したのかなと思いますね。

「俺は東京に音楽をやりにきたんだ」ピザ屋を辞めた日

2001年にデビューしたSound Scheduleは2006年に解散。その後、大石さんは事務所を移りながらソロで活動していました。当時はピザ屋でアルバイトもしていたそうで。
6年前までバイトしてました。6年前ってつい最近ですよね(笑)。当時所属していた事務所との契約的には副業NGだったんですけど、バイトしないと食えなかったのでやるしかなくて。

めちゃくちゃ良い配達員でしたよ。「お前使えるな」って言われて、時給がポンポン上がっていきましたから(笑)。
意外と向いていた(笑)。
そういう器用さはあるみたいです。そのまま社員になって就職する道もありましたね。
でも大石さんはミュージシャンでいることを選んだわけですよね。
ある日の配達時に「なんか見たことがある名前だな」と思いながらインターフォンを押したら、バンドデビュー当時についてくれていたマネージャーさんが出てきたんです。

もう恥ずかしくて、帰り道に号泣してしまって。「俺は東京に音楽をやりにきたのに、なにをやってるんだ」って。その足で、今のシフトで辞めるという話をバイト先にしました。

当時所属してた事務所も辞めて、音楽の仕事の間口を広くしないといけないと考えてフリーになりました。アレンジャーや作詞作曲といった音楽制作の仕事を始めたのがこの頃です。

『ダイヤのA』初回放送を見て、胸が熱くなった朝を忘れない

2013年、Tom-H@ck featuring 大石昌良による『ダイヤのA』テーマ曲『Go EXCEED!!』でアニソン界にも進出するわけですが、そのきっかけは?
ピザ屋さんを辞めるちょっと前、まだ事務所に所属していたときに、マネージャーが勝手にオーディションに応募していたんです。「アニメの主題歌を歌うボーカルを探すオーディションの話があったから」と事後報告を受けて、「何勝手に応募してんの!?」って感じだったんですが……。

そのうちに「3次審査まで通ったから、次はスタジオに仮歌を歌いに行って」と。そのスタジオにいたのがTom-H@ckで、今の所属事務所の社長さんもそこにいたんです。
現在につながる出会いがあったのですね。
そうなんです。で、そのときの仮歌がそのまま主題歌に使われたっていう。
スゴい(笑)。仮歌を歌うとき、アニソンということは意識していたんですか?
当時の自分はあまりアニソンシンガーを知らなかったんですけど、意識したといえばやっぱり影山ヒロノブさん。アニソンといえば影山さん、というイメージがあったので、ああいうちょっとハードなボーカリングに寄せて歌った感じはありました。
オーディションに合格し、アニソンを歌うことになったとき、どんな気持ちでしたか?
正直、最初は手放しで「やったー!」と喜べる感じではなかったです……。
というと?
僕は所持しているDVDの7割がアニメ作品というくらいアニメが好きなんですけど、バンド時代、アニメ好きと公言していませんでした。だからファンの方の中には、自分がアニメ業界に入ることにアレルギーがある方もいるだろうな、というのは容易に想像がついたんです。
なるほど……。
でも、今でも覚えているんです。日曜の朝に『ダイヤのA』の初回放送を家で観ていて、すごく胸が熱くなったこと。自分の声がアニメーションにのって放送され、それに対する反応が返ってくること。自分の歌声が新しい世界の人たちに必要とされていることが嬉しくて……。母親にもすぐ電話しましたもん。
それまでの不安や戸惑いが氷解していくような瞬間ですね。
そういう瞬間はもうひとつあって。『ダイヤのA』のイベントで、神宮球場で1万人くらいの前で歌ったときのこと。あの歓声がいまだに忘れられないんです。「ここにいてもいいよ」と許可をいただいたような、そんな感覚でした。そこからアニメに対する気持ちが強くなりました。
ちなみに、大石さんが好きなアニメ作品とは?
僕はジブリが大好きなんですけど、一番好きなのは『耳をすませば』です。ビデオが擦り切れるくらい観てるから、セリフも自然と覚えちゃう。「またビニール袋? 牛乳1本なのに」「だってくれるんだもの」。
さすがです(笑)。
ジブリ作品は繰り返し何度も観られるだけの深さがありますよね。

大学に入ってからエヴァ(『新世紀エヴァンゲリオン』)を観始めて「綾波レイかわいい」となり、オタクまではいかないですけど、けっこう好きなのかなと気づきました。そういえばナウシカでもときめいてたなって。
ナウシカは人気ですね。
ナウシカって、ももひきみたいなものをはいてるんですけど、メーヴェに乗ってるときに「もしかして……はいてないんじゃないかな?」みたいな、あるじゃないですか(笑)。子どもながらに色めき立ってたんですよ。

当時はまだ「萌え」という言葉はなかったですけど、振り返ればあのときに初めて萌えを知ったんじゃないかなって思います(笑)。

眼鏡をかけて変身。別人格の「オーイシマサヨシ」

2014年、アニメ『月刊少女野崎くん』のテーマ曲『君じゃなきゃダメみたい』をリリースするタイミングで、アニメ関連の楽曲を歌う際は「オーイシマサヨシ」名義で活動すると発表。ビジュアル面でいえば、オーイシ名義のときは眼鏡を着用していますよね。
ウルトラセブンみたいに、眼鏡をかけた途端に変身するようなイメージです(笑)。お客さん的にもわかりやすいアイコンになりますし。
ちなみにプライベートでは?
しないです。裸眼で視力2.0ありますから。オーイシの眼鏡もレンズは入れてないんですよ(笑)。

眼鏡をかけて街を歩いていると、声をかけられるようになりましたね。逆に眼鏡をかけないと気づかれないみたいです(笑)。
オーイシ名義のときは「おしゃべりクソ眼鏡」を自称し、コミカルなキャラクターで軽妙なトークを披露していますが、実際の大石さんとは別人格なんですよね?
はい(笑)。実際は、寡黙な人間です。人と話すのがそんなに得意ではないし、コミュ力が高い人を見ては羨ましいなと思っています。

オーイシに関しては自分で台本を書いて演じている感じなんです。何を言ったら笑ってもらえるだろうって入念にリサーチしてるし、本番前は壁に向かってひたすらセリフの練習をしてます。
そうなんですか! もともとトークスキルが高いのかと。
全然。バンド時代もずっと「MCが下手くそ」って言われてましたから。なんなら「しゃべるな」とか「しゃべらなければいいバンド」って言われていたくらい(笑)。
しゃべれないというよりも、いらないことを言っちゃう感じですか……?
そうですね。緊張したり気持ちが大きくなったりして。お客さんが必要としてないことを言っちゃって、そのくせ必要とされてることを言えなかったり。お客さんに対する想像力があんまりなかったんだと思います。
それが変わったきっかけは?
30歳を過ぎて、自分でライブのブッキングをするようになった頃ですね。いろんな対バンをしていたんですが、インディーズの人たちがめちゃくちゃ客を集めているのを目の当たりにしたんです。

自分はメジャーデビューを経験し、『ミュージックステーション』に出演したことだってあるのに、50人しか集められない。一方で彼らは100人以上集めている。プライドをけちょんけちょんにされて、「この差はどこにあるんだ?」と必死に分析し始めました。
その差がMCにあったと?
彼らのライブをよく観ると、お客さんにすごくサービスしてるんですよ。優しさにあふれていて、駆け引きが上手。かたや僕は「自分の音楽は正しいから、お前らがついてこい」くらいの感じで……。

エンタメに特化することの重要性を知ってからは、随分と変わりましたね。お客さんに伝わるように、楽しめるように、心を動かしてもらえるように意識するようになりました。恥を忍んで後輩のライブMCをメモしたりしながら、ずっと勉強してました。

月給制から歩合制へ。働き方のシステムも変えることに

この頃から事務所との契約を歩合制にされたとか。
はい。今もそうなんですけど、僕はフリーランスに毛の生えたような感じで、事務所と対等な契約をしています。事務所には事務作業やブッキング、スケジュール管理などを、手数料を支払ってやってもらっています。海外アーティストのエージェント契約に近い感じですね。
そうした契約を結んだ理由は?
日本の芸能文化というのは、基本的に事務所やレコード会社が先行投資してそれを回収するという形なのですが、僕のやり方だと活動をしなければ、両者ともプラスにならない代わりにマイナスにもならない。いわゆるWin-Winの関係で、お互いがお互いを必要とする契約関係なんです。
両者がそれぞれ必要なフィールドで仕事をして助け合っているわけですね。
それはもちろん、働かないと実入りがないということですが、働いたぶんだけ入ってくる手応えもある。

日本では、お金の話をすると「いやらしいな」と思われそうですが、やったぶんだけ評価され、数字になって返ってくるのは、クリエイターや自営業の人にとってはとても大切なこと。歩合制にしたことは確実に、仕事への向き合い方を変えたと思います。

作品や人物を徹底的に掘り下げる、音楽クリエイターの仕事術

ここからは音楽クリエイターの顔に迫っていきます。大石さんが作るアニメソングは、作品との親和性が非常に高いと評価されていますよね。
めちゃくちゃ打ち合わせをするのが、自分のアニソン作りの特徴だと思います。おそらくほとんどのクリエイターはテキストベースで発注を受けて、オーダーやリテイクを繰り返していくんですけど、自分は相手の顔が見えないまま仕事をするのが好きじゃなくて。曲を作る前に、作品の監督と会いたいと要望を出すようにしているんです。
アニメ『けものフレンズ』に提供された『ようこそジャパリパークへ』を作ったときも、たつき監督にお会いしたとおっしゃってましたよね。
最初の顔合わせから、その後の打ち合わせにも参加させてもらいました。

アニメ『SSSS.GRIDMAN』のテーマ曲『UNION』もそうです。雨宮(哲)監督に事前にお会いできたから、「特撮が大好きな思考回路でこういうリテイクを必要としてくれているんだ」とリテイクの意図を汲むことができました。監督が作品に込めた熱が伝わってくるので、こっちも頑張りたいっていう気持ちが駆り立てられるんです。
ゲームアプリ『A3!』にも楽曲提供されていますが、卯木千景のキャラクターソング『ペテン師の憂鬱』が印象的で。
ありがとうございます!
ファルセットと地声を行き来することでキャラクターの二面性を表現されていて。千景役の羽多野 渉さんは「これまで歌ってきた楽曲で、5本の指に入るくらいの難しさ」とおっしゃってました(笑)。
いやあ、大変だったと思います(笑)。初見の声優さんだったら僕も遠慮してできなかったんじゃないかな……。羽多野くんとは友だちだし、歌唱力を知っていたから、彼ならできるだろうと思って作りました。

「解釈違い」は死活問題。ファン目線で作品に向き合っている

作品やキャラクターへの理解度の深さ、そしてそのリサーチ力に感動しました。
最近SNSで「公式との解釈違い」っていうのが話題になりましたけど、ファンの方からしたら死活問題なわけで、絶対に間違えちゃいけないことだと思っています。

キャラソンに関しては、その声優さんやキャラクターのバイオグラフィーはものすごく掘り下げますし、そのキャラを応援しているファンの方もとことん調べますね。
ファンについても調べるんですか?
僕自身もファンのみなさんと一緒に作品を楽しむ、という視点を大切にしているので。
解釈違いにならないだろうか……、というプレッシャーは感じますか?
いえ、楽しんでますね。解釈を間違えるわけがないっていうくらい知識を詰め込んでやっているので。ファンの方と同じ目線です。「待って、尊い」と思いながら作ってるんです(笑)。
声優へ楽曲を提供する際も、同じようにリサーチされているんですか?
そうですね。声優さんのキャラクターだけでなく、どんな方が応援しているのかもめっちゃ調べます。ライブに足を運んで、自分の左右にいるお客さんを確認したり。
内田真礼さんに提供された『君のヒロインでいるために』には「私の物語の主役でいてください」という歌詞がありましたが、内田さんのことをリサーチしたうえで……?
『SSSS.GRIDMAN』のED曲『youthful beautiful』のカップリングということで、作品との関連性を意識しつつ、本人のキャラクター、そしてファンの方が真礼さんに言われたら嬉しいだろうなということを詰め込みました。

むしろ自分が一ファンとして「私の物語の主役でいてください」って言われたいなと。職権乱用ですね(笑)。
女性声優と男性声優とで違いはあるのでしょうか? たとえば斉藤壮馬さんのデビュー曲『フィッシュストーリー』は大石さんの提供ですよね。
彼は主体性をしっかり持っているので、どういう曲がいいのか、ソロアーティストとしてどういう活動をしたいのかも事前にヒアリングしました。そのうえでいろいろ調べて、壮馬くんのあのアイドル性や求心力を活かす方向で作りました。

だって斉藤壮馬ファンとしては、「君が笑顔でいてくれるのなら嘘つきでもいい」みたいなこと、言われたいじゃないですか(笑)。

複数の名義を使い分ける音楽活動。アンバランスさが刺激に

シンガーソングライター・大石昌良としてのソロ活動は今年で11年目に。オリジナル楽曲と、アニメ作品や声優への提供楽曲では、曲の書き方は変わってくるのでしょうか?
アニソンのほうが書きやすいですね。明らかに労力が少ないです。
それはアニソンには正解があるから、ですか?
そうです。原作や監督の思惑といったものがあるので。それに対して大石昌良のオリジナル曲は、自分でテーマや世界観を見つけないとダメなんです。

ミュージシャン活動も20年くらいやっていると、正直、書き尽くした感じがあって、テーマがなかなか見つからない。「またここに立ち返るのかよ」みたいな(笑)。そういう悪魔に勝ってからじゃないと、曲を書けないんです。
おもしろくない曲を書きたくないですし、やっぱり発見がある曲を書きたいと思うので、闇雲に探している感じがありますね。昔はひとりで熱海に旅行するとか、テーマ探しのためのフィールドワークをしてました。でも今は仕事が十分刺激的なので、そうした日常からテーマを見つけようとしています。
名義を使い分けて異なる活動を並行していくのはとても大変だと思いますが、そこからの刺激が大きいんですね。
友だちのミュージシャンにも「そんなにアカウントを抱えて大丈夫なの?」って心配されるんですけど、アンバランスなところも含めて大石昌良だと思っています。むしろ変化がある環境を作ってあげることが大事だとも思っています。
アンバランスな感覚を楽しんでいるんですね。
昔からのファンの方の中には、「オーイシマサヨシが先行して、大石昌良が置き去りにされているのでは?」と思っている人もいるかもしれません。でも僕は、中長期的に見てブレなければ、どこかでそのバランスが取れるだろうとも思っています。
現状に不安などは感じていない?
いや、じつは自分が乗っているエレベーターが落ちる夢をよく見るんですよ。夢占いで調べてみたら「今の立場から失墜することへの不安の表れ」だそうです(笑)。

だから全然、自分の今に安心してはいないんです。この不安はずっと続くんだろうなって。
どれだけオーイシマサヨシが人気になろうとも。
そうです。オーイシマサヨシがさいたまスーパーアリーナのステージに立って3万人の前で歌う一方、大石昌良はその帰りの高速道路で車を運転しながら、「綺麗だなー」って月を見上げているんですよ。
そこには変わらない大石昌良がいる。
どう転んでも変わらないですもん、僕は。ずっと人の目を気にして生きてきたなという感じで。

でもそれをネガティブなことだとは思っていません。誰かの目線を意識できるって最強のセルフプロデュースだと思うから。媚びたり迎合したりしているわけではなく、それを糧にして自分のエンタメを切り開いていけばいい。
ここまで自分の力で歩んできた大石さんだからこそ、言える言葉だと思います。
僕がこのことに気づけたのは30歳を超えてからなんです。だからすべてのクリエイターに、いや、すべての人に伝えたいですね。「いくらでも遅咲きできる」ってことを。
大石昌良(おおいし・まさよし)
1980年1月5日生まれ。愛媛県出身。A型。2001年に3ピースバンド・Sound Scheduleのボーカル&ギターとしてメジャーデビュー。2006年のバンド解散後、2008年に大石昌良としてソロデビューを果たす。2013年にTom-H@ck featuring 大石昌良名義による『ダイヤのA』のテーマ曲『Go EXCEED!!』でアニソン界に進出。2014年にアニメ・ゲームコンテンツ向けに「オーイシマサヨシ」名義で活動開始。さらにはTom-H@ckとのユニット・OxTを結成。幅広いフィールドで活躍している。アニメ『けものフレンズ』のテーマ曲『ようこそジャパリパークへ』をはじめ、アニメ作品や声優への楽曲提供も多数。

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、大石昌良さんのサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年3月4日(月)12:00〜3月10日(日)12:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/3月11日(月)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから3月11日(月)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき3月14日(木)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
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