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「ポスト・遠藤保仁」――2014年夏、日本代表監督に就任したハビエル・アギーレに、田口はその候補のひとりとして指名されていた。 ただ、同年10月のブラジル戦で先発出場したものの、その後は度重なるケガで調子を崩し、苦しい時期を過ごした。当時所属していたグランパスの降格や、J2でのシーズン、さらには移籍などもあって、次第に代表リストからその名前は消えていった。 しかし、実力は申し分ない。今やジュビロでは、攻守において圧倒的な存在感を示している。 田口は、どこか捉えどころのない性格の選手ではある。本田圭佑(メルボルン・ビクトリー/オーストラリア)、長友佑都(ガラタサライ/トルコ)、岡崎慎司(レスター/イングランド)らのように、「反骨心むき出しで成功する」というタイプではない。「自分はそもそも、『プロになってやる!』と深いことは考えず、(軽い気持ちで)『県外に行ってみるか』とふらふら出てきた感じですから」 5年前、初めてインタビューしたとき、田口は飄々(ひょうひょう)と答えている。 沖縄県出身。千葉県の流通経済大柏高でのプレーが注目を浴び、グランパスに入団した。3シーズンはトップチームでほとんどプレーできていない。「なんくるないさ(※沖縄の方言でどうにかなるの意)」という、どこか流れに身を任せるところがあった。 しかし話にのめり込むと、奥にある熱っぽさを露(あら)わにした。「親には、『サッカーは好きで始めたんだから、やりたいようにやれ』と言われてきました。自分は、やっぱりサッカーが楽しいんでしょうね。
たとえば中盤の球際、(相手に)ガツガツ来られるのは嫌いじゃないんですよ。『絶対にボールを取られない』という感覚のときがたまにあるんですけど、そのときはずっと先の風景が見えて……。”世界の中心に立っている”と感じるんです。毎試合、そうなればいいんですけどね」 訥々(とつとつ)とした話し方だったが、胸の中にはとんでもないサッカーへの熱さを抱えていた。そのおかげだろう。プロでの出足は遅かったが、4年目にポジションをつかみ、5年目で中心選手になった。「まー、見てるばやー!(どこ見てんだ!)」 ピッチ上で田口の声が響く。周りが見えていないプレーには口さがない。プレーに対しては、誰よりも正直に向き合う男である。 もともとセンスはあったが、守備も上達した。パスコースを切り、侵入を許さず、防御線を作り出せるようになった。仲間を使い、コンビネーションを使った形でボールを奪い返せるようになっている。 昨シーズンまで9年間在籍したグランパスを退団。今シーズンからは心機一転、多くのオファーの中からジュビロを選んだ。そして、すぐにチームの舵取りを任せられ、攻守でチームを動かしている。「次のワールドカップ? 俺はそんな選手じゃないっすよ。サッカーを楽しめれば、それで十分です」 田口は相変わらず功名心を見せず、本心をはぐらかす。「勝負は大事だけど、サッカーを楽しむことは忘れないようにしています。”チームのため”という気持ちはあるし、そういう心構えは当然、持っているつもりです。
でも、そればっかりだと自分が楽しめなくて、結果的にチームのためにもならない。自分が楽しめていれば、必ずチームのためにもなる。俺はそういうふうに考えています」“なんくるないさ”の精神か。虚栄心を見せるのを著しく嫌う。「自分は運だけっすよ。いろんな人との出会いに恵まれて、それに感謝です。自分のどこがいいとかは、あまりわからない。でも、サッカーを楽しんでやれているときは、不思議といいプレーができていますね。やっぱり、メンタルは大事っていうか。それは、アギーレの代表に呼ばれたときもそうだったんで」 田口は白く輝く歯を見せて言う。もしも今、プレーする喜びを味わえているとするなら――それは、彼が”世界の中心に立つ”兆しなのかもしれない。