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「やっぱり4年分積み上げたものがあるかなと思いますね。ソチの時のガムシャラさとはまた違って、何か今回は本当に獲らなきゃいけないというような使命感もあったし、『これを逃したら』という気持ちも少なからずあったし……。19歳の時はもっと時間があると思っていたんですけど、やっぱり今回の五輪は『もう時間がない。もうあと何回あるかわからない』という緊張感もあったので、ある意味、五輪を感じられたのかなとも感じます」
昨年11月のNHK杯で負った右足首のケガは思ったよりもひどかったという。NHK杯の時も痛み止めを打ってでも出ようと思っていたが、痛みどころか足首が動かなくなってしまっていた。そこからはもう開き直るしかなかった。痛めた靱帯(じんたい)だけではなく、他の部分の痛みも出ている状態。練習ができない時期には筋肉解剖学の論文を読んだり、トレーニング方法やそのプラニングも学び、今の自分にできることは何かを考えた。
やっと氷上練習ができるようになったのは2カ月後の今年1月で、トリプルアクセルが跳べるようになったのは江陵(カンヌン)入りした2月11日の3週間前。4回転ジャンプが跳べるようになったのはその後というから驚きだ。痛みがまったく引かず、痛み止めを服用してもルッツとループの踏み切りでは痛みが出ていた。4回転ループを跳べたのは韓国へ移動する前日で、3回転ルッツも五輪のギリギリで跳べるようになった状態だった。
そんな中では冷静になるしかなかった。今の自分ができる最大限のことをやり、そのうえで勝つためにはどうすればいいのか。
選んだのは、4回転ジャンプはサルコウとトーループのみにするということだった。江陵入り翌日の記者会見で羽生は、「クリーンに滑れば絶対に勝てるという自信がある。本当にそういう風に思っているので、クリーンに滑るプログラムを何にしていくかというのは、これから徐々に調子を上げていく中で決めたいと思っている」と話した。
その言葉の裏には、世界歴代最高得点を連発した2015年のNHK杯とGPファイナルが念頭にあったはずだ。その時も4回転はサルコウとトーループのみだった。SPでは2本とも前半に入れた構成で、フリーはサルコウとトーループの単発を前半に入れ、後半の4回転はトーループのみの3本という構成。それで330.43点を出していた。
今回は、SPの4回転トーループ+3回転トーループが後半に入っていて、フリーも4回転が4本で、後半にサルコウとトーループを連続ジャンプの構成。基礎点を考えれば2015年より高くなっている。さらに他の選手の最高得点をみれば、宇野昌磨の319.84点を筆頭に300から310点台。羽生はそのプログラムをノーミスでやれば悪くても320点台は出せて、勝利を手にできると考えたのだろう。
あとは平昌五輪の舞台でそれを実行するだけだった。
最初のSPの演技には、そのように冷静に自分を見つめてきた気持ちが表れていた。
「ジャンプは練習通りです。本当に自分の体が覚えていると思っていたし。とにかくアクセルもサルコウもトーループも、本当に何年間もずーっと一緒に付き合ってくれたジャンプなので、そういった意味では感謝をしながら跳んでいました」
そんな言葉の通りに、3本とも力みは一切ない自然できれいなジャンプとなる。プログラム全体のみならず、ジャンプに入るスピードや入り方など、表現も含めてすべてを冷静にコントロールしているような演技だった。
SPより演技時間の長いフリーにはスタミナの不安も感じたが、SPのようなジャンプができれば大丈夫だろうと予想できた。
翌日のフリーの演技は、SPで冷静さに丁寧さが加わったような滑りだった。
「前半を丁寧にいったというか、6分間練習でサルコウが不安だったので、とにかく最初の4回転サルコウさえ降りれば前半の感覚で後半も跳べると思っていた」
柔らかさを感じさせるステップで前半を終えると、後半の4回転サルコウ+3回転トーループもきれいに決めた。唯一、力を使ったように見えたのは、4回転トーループの着氷を乱して連続ジャンプにできなかった直後のこと。トリプルアクセルからの連続ジャンプを予定していた2回転トーループではなく、1ループ+3回転サルコウに変更したときだ。羽生からは「いってやる!」という気迫が滲み出ていた。そして最後の3回転ルッツでも着氷を乱したが、なんとか耐えて8本のジャンプを跳びきった。
「サルコウもトーループもアクセルも、3回転ジャンプもすべて、何年もやってきているのでやっぱり覚えていてくれました。右足でルッツを跳ぶのが一番大変だったけど、やっぱり右足が頑張ってくれたなという感じです」
「いろいろな4回転ジャンプを跳ばなければいけない」と思ったのは、間違いなくボーヤン・ジン(中国)の4回転ルッツを見たからだという。さらに、故障によるブランクを経て迎えたシーズンにもかかわらず、4回転ループを跳ばなければいけないと思ったのは、一緒に練習をするハビエル・フェルナンデス(スペイン)の完成度の高い演技を見たからだ。世界王者にとって、ライバルたちの演技が刺激になった。
飽くなき進化への希求。それは羽生の”荒ぶる心”の現れだ。だが今回は、そんな心を抑えて、冷静に戦った。それは平昌五輪が、勝利だけを求めた試合だったからだ。それもまた、羽生結弦という選手の、4年間の成長を表すものだろう。
勝つべくして勝った。それが平昌での羽生の戦いから受けた、一番大きな印象だった。
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