大学3年次に20試合17ゴールで得点王を獲得し、4年次にはアシスト王に輝いた。4年春には全日本大学選抜に招集され、“ブレイク”した2年間だった。ただし、活躍したといっても2部。持ち前の驚異的なスピードで期待を抱かせる存在ではあったが、伊東にオファーを出したのは甲府と山形だけだった。
単位を取り終えていた彼は甲府入りを決めると、JFA・Jリーグ特別指定選手に承認。チームがJ1残留を決めた2014シーズン終盤には3週間ほどチームへ帯同し、清水エスパルスとの最終節ではベンチ入りも果たしている。とはいえ、戦術理解などで未熟な部分は否めなかった。伊東が1年目からJ1で戦力になったことは甲府のクラブ関係者にとっても想定外だったという。
柏に移籍した伊東だが、今シーズン開幕前のキャンプでは本人も驚がくする“事件”が起こった。キャンプ地の指宿でミルトン・メンデス監督(当時)からホテルの一室に呼び出され、右サイドバックへの転向を切り出された。
「絶対に俺が成功させるみたいな感じで言われて……。真剣な顔で熱く語られました。前でやりたい気持ちもあったし、最初は結構悩んだんですけど、言われたらしょうがない。俺に決定権はないので(苦笑)」
伊東の攻撃力は、大きなスペースを活かせるワイドなポジションで生きる。加えて瞬発系の選手にもかかわらず長距離も走れるタイプで、サイドバック向きのフィジカルを持つことは間違いない。そして右サイドバック転向は彼の新たな可能性を引き出すきっかけになった。
3月12日にミルトン・メンデス監督が退任した後も第7節ガンバ大阪戦までサイドバックで起用され、守備も含めて適応を見せる。第8節鹿島戦、第9節神戸戦は右サイドハーフに戻り、今度は2戦連発という結果を残した。彼自身も「どっちでも大丈夫になりました」と微笑むように、プレーの幅は大きく広がったと言っていいだろう。サイドバックを経験したことで、中盤に戻っても後ろを気づかったポジション取りができるようになったという“副産物”もあったという。
柏は現在、守備時に4−4−2、攻撃時に3−4−3へと移行する可変システムを採用している。いずれにしても伊東が攻撃時に中盤の右ウイングバックへ入ることはDF、MFのどちらで起用されても不変。右の大外から前を向いて仕掛けるプレーが、彼の持ち味をもっとも発揮する形だからだ。
容姿、プレーともに華やかな彼だが、性格はかなりおっとり型。言葉数も多いほうでなく、威勢のいいコメントで盛り上げるタイプではない。柏に移籍した直後は少しおどおどした様子が見て取れ、「大丈夫かな?」と心配した時期もあった。しかし脚光を浴びない時期にも地道に努力を積み上げたからこそ、今のブレイクがある。話していてふと芯の強さを感じることはあるし、最近は取材慣れをしてテレビカメラに対しても堂々と向き合うようになってきた。
「高校、大学の時から速いだけと思われたくなかった。そういう部分はずっとやってきた」
超俊足プレイヤーは“速さだけ”で通用してしまう部分がある。だが、伊東は決してそういう選手でない。スピードに乗った状態でボールを扱え、周りを見てしっかり蹴れるからこそ、彼の強みはJ1で生きている。それを象徴するのが、このコメントだ。
伊東を手倉森ジャパンに推す理由がもう一つある。それが複数ポジションへの対応が可能な点だ。五輪の本大会は登録が18名に限られ、23名枠だった予選から5名を削らなければならない。今シーズンの伊東はサイドバック、サイドハーフを経験し、昨年までは主にFWで起用されていた。国際経験は少ないものの、積極的なプレスも大きな武器であり、時間帯や戦い方によっては“カウンター要員”として前線に置いても彼は生きるはず。ロンドン五輪で同じタイプの永井謙佑(名古屋グランパス)が大会を席巻したのは記憶に新しい。
U−23日本代表には残念ながら負傷者が相次いでいる。特に右サイドバックは指揮官も頭を悩ませるポジションだろう。最終予選で活躍した室屋成(FC東京)が2月に左第5中足骨を骨折。松原健(アルビレックス新潟)も3月に右ひざ外側半月板損傷で手術を行った。3月のポルトガル遠征ではオランダリーグでプレーするファン・ウェルメスケルケン・際(ドートレヒト/オランダ)が抜てきされるなど、手倉森監督が新戦力を発掘しようと模索している。さらに最終予選で前線の推進力が光っていたFW鈴木武蔵(新潟)も負傷離脱中だ。
本大会までの限られたスケジュールで、世界と戦える武器を手にするために――。卓越したスピードを持つ“IJ”ならそんなチームのすき間を埋め、代役以上の存在になれるはずだ。
文=大島和人