ことしは1945年に日本の無条件降伏で第2次世界大戦が終結して80年です。8月6日、9日の広島、長崎の原爆の日から15日の「敗戦の日」にかけて、マスメディアでも戦争体験の継承をめぐる報道が目に付きました。例年と異なると感じたのは、史実を認めようとしない「歴史否定」とも呼ぶべき言説が、右派の政治家に広がっていることです。
自民党の西田昌司参院議員は、沖縄の「ひめゆりの塔」の展示に対して「歴史の書き換え」と言い放ちました。批判を受けて謝罪したかのようでしたが、真意は、話した場所が沖縄だったことがまずかった、話した内容は間違っていない、ということのようです。
参院選で14議席を獲得した参政党は8月15日、国会議員18人、地方議員70人が靖国神社を参拝。境内で晴れがましく集合写真を撮影する様は、これまでの政治家の靖国参拝では見なかった光景です。この集団の“軽さ”を感じずにはいられません。その参政党の初鹿野裕樹参院議員は、1937年の南京事件を「なかった」と公言。神谷宗幣代表も同調しています。
戦争の史実を認めないことが「愛国」である、とのいびつな思考の政治家が選挙で選ばれてしまうことをどう考えればいいのか。それらの政治家を批判してすむことではありません。敗戦から80年がたち、直接戦争を経験した人たちがまもなくいなくなります。その中で歴史認識が社会で共有できなくなっていることが、本質ではないかと感じます。歴史否定の参政党の支持率は、参院選後も落ちていません。歴史認識をめぐって社会の分断が進みかねません。
そんなことを考えていたこの夏、岩波新書の「南京事件 新版」を読みました。
https://www.iwanami.co.jp/book/b10136584.html

日本は1937年7月7日の盧溝橋事件を発端に、中国との戦争に入りました。その年の12月、中華民国が首都を置いていた南京を攻撃し占領。その際に、日本軍が捕虜や住民を虐殺した「南京大虐殺」については、史実として概括的に知っていたつもりでした。本書によって、戦闘の経過や虐殺の詳しい記録などを、知識としてあらためて系統的に整理することができました。
なんとなく、「南京事件はなかったのではないか」と漠然と感じている人には、特に奨めたい一冊です。
読後の感想をいくつか書きとめておきます。
▽圧倒的な史料や証言
本書で圧倒されるのは、日本軍の残虐行為の態様です。特に被害者の証言は、決定的な証拠です。ほかにも南京に駐在していた米国人記者らによる当時の報道や、日本軍部隊の戦闘記録、南京での遺体の埋葬の記録をはじめ、現存する史料・資料を駆使して、全容に迫っています。
本書で示されているのは、事件のアウトラインかもしれませんが、その背景には膨大な史料・資料と、研究者らによる実態解明の真摯な営みがあることが容易に見て取れます。歴史学のアプローチによるこの研究成果の厚みの前には、「虐殺はなかった」との言辞はまったく意味を持ちません。
「結びにかえて」の中で著者の笠原十九司さんは、「南京大虐殺」「南京事件」があったかどうかの歴史事実をめぐる「論争」は、圧倒的な史料や証言が発掘された結果、1990年代前半には決着していたのに、90年代後半からは、政治家による歴史教科書や学校教育への統制により「論争の政治化」が進められてきたと指摘しています。
右派政治家のほか、マスメディアの一部も含めて現在流布している「南京事件はなかった」との言説は、つまりは政治的なプロパガンダだということです。歴史学の検証には到底耐えられません。そのことは本書を読めば容易に理解できます。
「南京大虐殺はなかった」との言辞には、「自虐史観」の呼び方が必ずと言っていいほどセットになっています。政治的なレッテル張りで、歴史に真摯に向き合い、教訓を得ようとする姿勢とは正反対です。歴史の冒涜に等しいと思います。
▽対米戦への連続性
本書の「南京事件」の表題は広義の呼び方です。日本軍の残虐行為は、南京占領後だけではないし陸軍部隊によるものだけでもない、との視点です。南京への進撃途中にも残虐行為はありました。さかのぼれば、盧溝橋事件の当初は現地解決が図られていたのに、戦火は上海に飛び火し、さらに全面戦争へと戦火が拡大していく過程には、海軍が大きく関与していました。南京侵攻に先立つ海軍航空部隊による南京の戦略爆撃は、住民への無差別殺戮行為です。海軍の関与をも重視した、より広い視野で「南京事件」としてとらえる視点は重要だと感じます。
太平洋戦争開戦前の海軍と言えば、米内光政海軍大臣、山本五十六次官の当時に、日独伊の三国同盟締結に反対を貫いていたことが知られています。米国との戦争を招く、というのが主な理由でした。「不戦」「非戦」を志向していたイメージがあります。
しかし、実際には海軍が日中間の戦火拡大に重要な役割を担い、その果てに対米戦争に至りました。日中戦争と太平洋戦争は連続しており、対米英開戦と同時に日本が命名した「大東亜戦争」の呼称は、戦争の性格をよく表しています。
米国との戦争、つまり世界大戦に進むことを回避するのなら、中国との戦争の拡大を避けるべきだったのではないか、と感じます。陸軍に比べて「平和的・開明的・国際的」だったとの「海軍善玉イメージ」(本書「新版に寄せて」より)は史実に反すると感じます。
こうした視点に立てば、「戦争体験の継承」の上でも、太平洋戦争に先立つ日中戦争の実相に目を向けることの意義は大きいとあらためて感じます。
本書の発行日はことし7月30日。歴史否定の動きに対抗する試みだと思いますが、「蛮行はどのように生じたのか」と印刷された帯の裏面には、南京事件を巡る典型的な歴史否定の言説が五つ挙げられており、それぞれ簡潔な指摘と、その記述が本書のどのページにあるかが記されています。
例えば「当時、南京には20万人しかいなかった」。その後の南京の人口は25万人に増えているから、虐殺などあり得なかったとの文脈で持ち出されています。参政党の初鹿野参院議員も主張しています。この言辞に対しては「20万人は南京城内の安全区の人口です。被害のあった南京市全体の人口ではありません」と指摘しています。本書をめくっていけば、詳細な記述があります。

事実に対する意見は個々人の自由ですが、事実が共有されないことは民主主義を危うくします。とりわけ現代史の分野では深刻な問題です。現実の政治的主張と容易に結びつき、社会の分断を深めるからです。まずは事実の共有が社会で必要です。
その意味で、なんとなく、「南京事件はなかったのではないか」と漠然と感じている人には、特にお奨めする一冊です。