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「近現代史160年」の視野でとらえる靖国神社~「非業の死」に差を付ける意味は見いだせない

 1945年8月15日正午、昭和天皇が無条件降伏の受け入れを告げる音声がラジオで全国に流れました。9月の降伏文書調印で、第2次世界大戦は日本の敗戦で終結しました。1931年の満州事変にさかのぼれば、15年間にわたって日本は戦争をしていました。敗戦から80年がたった現在、あの戦争を巡る歴史観と教訓の継承と共有という意味では、日本の社会に危うさを感じます。国家に殉じた軍人や軍属を祀るとされる靖国神社を巡る歴史観は、その端的な一例です。
 敗戦から80年のことし8月15日も、現職閣僚では加藤勝信財務相、小泉進次郎農相が靖国神社に参拝しました。国会議員の集団参拝もありました。政教分離の観点から、国会議員の集団参拝には論議がありますが、それはひとまず置いて、ここでは靖国神社を巡る歴史観の観点から考えてみます。

 1945年8月の敗戦からの「80年」という時間軸をさかのぼってみます。1945年からさらに80年前は1865年。幕末の動乱期でした。靖国神社の「由緒」によると、源流である東京招魂社が建てられたのは1869(明治2)年6月29日です。この年の5月、新政府軍と旧幕府軍などの内戦である戊辰戦争が北海道・函館での戦いを最後に終結していました。靖国神社は戊辰戦争の新政府軍戦没者を祀ったのが始まりです。
 戊辰戦争が終わった後も、「不平士族の反乱」として、内戦は各地で続きました。1877(明治10)年の西南戦争がその最後です。薩摩軍の支柱であり、鹿児島で自決した西郷隆盛は、維新の元勲でありながら靖国神社には祀られていません。靖国神社の歴史観に則して言えば、西郷は国家に弓を引いた「逆賊」の扱いです。
 日本の近現代史をこの「160年」の視野で眺めてみたときに、幕末から西南戦争まで10年余り内戦が続いたことを巡って、「官軍」「賊軍」で線を引き、死者の扱いに差をつけることには今日、何ら意味は見出せないと感じます。
 最後の内戦だった西南戦争で、最大の激戦地だった熊本県の田原坂を訪ねたことがあります。「明治150年」だった2018年のことです。

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 現地には薩摩軍、政府軍の犠牲者計約1万4千人の慰霊塔が建っていました。双方を分け隔てることをしない姿勢は、虚心坦懐に歴史と向き合い、歴史に学ぶことに通じるのだと感じました。

 戊辰戦争では、新政府軍の戦没者が手厚く葬送され、死後も栄誉を受けた一方で、「賊軍」の戦没者は差別的というほかない扱いを受けました。そのことを今日に伝える史跡として、函館の「碧血碑」や静岡県・清水の「壮士墓」があります。
 函館では前述の通り、戊辰戦争で最後の戦闘が行われました。清水では、幕府軍の軍艦咸臨丸が嵐に遭い漂着。乗組員は新政府軍との戦闘で戦死したり、捕虜になったりしました。新政府軍は切り殺した乗組員の遺体を海に投げ込んだとされます。
 函館でも清水でも、新政府軍は「賊軍」戦死者の遺体の収容を許しませんでした。朽ち果てるままだった遺体を、死ねばみな平等とばかりに処罰を覚悟で収容し、弔ったのはいずれも市井の人々でした。
 「碧血碑」は、旧幕府軍の榎本武揚、大鳥圭介らが出獄後の明治8年、函館山のふもとに慰霊のために建てました。「壮士墓」は、「清水の次郎長」(山本長五郎)が咸臨丸の戦死者を埋葬した場所。次郎長の行いに感激した旧幕臣の山岡鉄舟が「壮士墓」を揮毫して次郎長に与えたと伝わります。
 それぞれ現地を訪ねた際のことは、このブログでも紹介しました。

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 幕末から160年の視野で歴史に謙虚に向き合うなら、戊辰戦争や西南戦争の戦死者は新政府軍であれ賊軍であれ、日本が近代国家の道を歩む過程で非業の死を遂げたという意味では、何ら変わりがないと感じます。今日もなお、片方のみを「神」として祀る靖国神社は、政治的な文脈でとらえるなら「差別」を今日になお残し続けている場所でもあるように思います。そしてもう一つ、靖国神社に祀られているのは、軍人、軍属です。同じ戦没者であっても、空襲被害者などの民間人は対象外です。
 靖国神社への参拝は、民間人であれば何ら問題はありません。実際に足を運んでみて、ここが死者との「約束の場所」であることも実感しました。しかし、全国民を代表する立場である国会議員が、いくら「私人として」であっても、国会議員と分かる形で参拝していい場所とは思えません。「信教の自由」を理由に「どうしても」というのなら、最低限、議員バッジを外すべきだろうと思います。

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 政治家の靖国神社参拝で、ことし特に気になるのは、党所属の国会議員がそろって8月15日に参拝することを予告していた参政党です。7月の参院選では、「日本人ファースト」を掲げて支持を集め14人が当選しました。今では国会議員18人、地方議員150人以上の政治勢力です。掲げる憲法観にいくつもの疑問を感じざるを得ないことは、このブログでも繰り返し触れてきました。歴史観も同様です。特異な歴史観があって、特異な憲法観が形作られているのかもしれません。
 参政党は今年5月、「次は私たちの番だ」と訴えるポスターを発表しています。以下のリンク先から見ることができます。
https://sanseito.jp/news/n3158/

sanseito.jp

 アニメ風のイラストで聖徳太子、天武天皇、北条時宗、徳川家康、西郷隆盛、そして特攻隊員が日の丸を囲むように描かれています。「これ以上、日本を壊すな!」「次は私たちの番だ」。歴史上の著名な人物たち、そして特攻隊員に続くのは自分たちである、ということだと受け止めるほかありません。
 戦死した特攻隊員は靖国神社に合祀されています。しかし、一緒に描かれている西郷隆盛は前述の通り、靖国神社の扱いは「逆賊」です。参政党の国会議員が集団で靖国神社に参拝することと、「『逆賊』の後に続く私たち」という歴史観の整合性はどうなっているのか。深刻な矛盾を感じます。

 この記事をここまで書いたところで、参政党が「終戦80年談話」を公表していることに気付きました。
 ▼「参政党 終戦80年談話」
 https://sanseito.jp/statement_on_the_80th/

sanseito.jp

 事実に反する内容があります。

 この節目の年、参議院議員選挙が行われ、長らく戦後日本の政治を牽引してきた自民党が、結党以来初めて衆参両院で過半数を割りました。
 その一方で、「日本人ファースト」を掲げる我が参政党が、多くの国民の支持をいただきました。

 これまでも、衆参両院で自民党が過半数を切った時期はありました。
 それはさておいても、以下の部分にはやはり疑問を感じざるを得ません。

その中で、
今こそ私たちは明治維新からの160年、
大東亜戦争終結からの80年を
総括しなければなりません。

先人は何を思い、いかに戦ったのか。
歴史の光と影を学び、
二度と国民を戦禍にさらすことなく、
グローバリズムの荒波を乗り越え、
命を懸けて護られた「日本」を未来へと繋ぐ――。
それが、今を生きる私たちの使命です。

 「明治維新からの160年」の歴史の中で、戦争で非業の死を遂げた「先人」は靖国神社に祀られている人々だけではありません。日本の近現代史に対する深い考察もないのだとしたら、集団での靖国神社参拝は、底の浅いパフォーマンスに過ぎないとすら感じます。

 




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