ひとたび始まった差別はどんどん広がる。「日本人ファースト」の「日本人」をほかの言葉に置き換えてみるとどうだろうか。「○○ファースト」-。
参院選の投票日の朝、そんなことを考えているときに、乙武洋匡さんの「『健常者ファースト』のこの国で。」という文章を読みました。
note.com
あえて、いまネットを騒がせている言葉を転用するなら、いまの日本社会は「健常者ファースト」と表現することができるのかもしれません。制度も、建物も、すべてが健常者中心につくられています。私たち障害者は後回しにされるか、しばしば“想定外”とされてしまいます。だから、私たちは建物の中に入ることができなかったり、公共交通機関を円滑に利用することができなかったりします。
(中略)
しかし、それでもまだ今の時代は恵まれているほうなのかもしれません。「障害者だから」というだけで命を奪われるわけではないからです。「そんなの当たり前じゃないか」と笑われるかもしれませんが、じつは当たり前ではないのです。ナチス・ドイツの時代、ガス室で殺されていたのはユダヤ人だけではありません。障害者もまた彼らによって殺されていたのです。
「T4作戦」と名付けられていました。身体的・精神的な障害のある者は強制的に収容され、そしてガス室で殺されていました。犠牲者の数は、20万人にまで上ります。また、当時は障害者だけでなく、約10万人の同性愛者が逮捕・投獄され、その結果、多くの方が命を落としました。
障害者も、同性愛者も、当時は「生きる価値なし」と判断されました。戦争に参加することができない。子どもをもうけることができない。そうした人間は、「価値がない」ということなのでしょう。だから、連れ去られ、そして、殺されました。政府にとって、国家にとって、価値がない人間だと判断されてしまったからです。
ぜひ、最後まで読んでいただきたい文章です。
特に以下の部分に、わたしは深く同意します。
それでも、やっぱり私は「外国人だから」「障害者だから」「LGBTQだから」と、そうした理由から誰かを糾弾し、溜飲を下げ、日々の鬱憤を紛らわせることに加担する気にはなれないのです。ましてや、人々のそうした負の感情を喚起することで自分たちの勢力を大きくするような政治には歯止めをかけたいのです。
https://note.com/h_ototake/n/n01e9ebec71ab

差別は他者と自分の相違を認めず、相手を自分より劣っているとみなすことから始まります。
「日本人ファースト」を掲げる政党の代表は、「われわれは外国人を差別したいんじゃない」と言いながら「反日の日本人と戦っているんだ」と口にしました。彼の目には「ファースト」ではない「日本人」が映っているのです。でも「反日」かどうか、だれが決めるのでしょうか。この政党の候補の口からは「非国民」という言葉も出ています。
外国人を日本人より劣位に置く発想は、日本人の中にさらに「反日」「非国民」の線を引き、「守られるべきは自分たちである」とする発想とつながっています。
※産経新聞「『反日の日本人と戦っている』参政・神谷氏20議席目標 自民幹部のSNS関連発言に反発」
https://www.sankei.com/article/20250718-YGBEMIZG7RHSNB3FWHD6Z3X45Y/?outputType=theme_election2025
※神奈川新聞「反差別の市民は『非国民』 参政党・初鹿野裕樹氏、川崎駅前の街頭演説で」
https://www.kanaloco.jp/news/government/electiondata/article-1191246.html
今の日本の社会の状況を見て思い出すのは、ナチス期のドイツにまつわる二つの言葉です。
一つは、ルター派牧師であり反ナチス運動の指導者マルティン・ニーメラーの「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」の警句、もう一つはナチスの大立者の1人、ヘルマン・ゲーリングの「国民はつねに、指導者のいいなりにできる」との言葉です。
ニーメラーの警句は、以下の通りです(ウイキペディア「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」から)
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
外国人が攻撃されても、自分は日本人だから関係ない。むしろ「『日本人ファースト』は当然だ」と思う。「『反日』の日本人」「非国民」が攻撃されても、自分は「反日」でも「非国民」でもないから関係ない-。でも、次に「○○の日本人」への攻撃が始まったら? それは「障害者」かもしれないし「LGBTQ」かもしれません。ひとたび見過ごされた差別と攻撃が、どんどん広がっていくことを危惧しています。
もう一つのヘルマン・ゲーリングが残した言葉とは、以下のような内容です。
一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも、同じことです。政策を決めるのはその国の指導者です。……そして国民はつねに、その指導者のいいなりになるよう仕向けられます。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやり方はどんな国でも有効ですよ。
戦争を望んでいない国民を戦争に駆り立てるのは簡単だ、「攻撃されかかっている」と言い、平和主義者のことは「愛国心が欠けている」と言えばいい―。この言葉のことをこのブログで最初に紹介したのは9年半も前のことでした。
「日本人ファースト」と表裏一体で強調されているのが、まさに「愛国心」です。
自分と他人の違いは、あって当たり前です。生まれも育ちも、性格も特性も、好きになる相手も、家族の形も人それぞれ。そうした多様な人たちが、同じ社会で互いに違いを認め合って、支え合う。わたしはそういう社会で生きていたいし、次世代に引き継ぎたい。
傍観し沈黙してしまうと、差別は勢いを増します。だから、黙っているわけにはいきません。この社会で、それぞれの違いを認め合えば、差別はなくせます。一人一人がそれぞれの場所で、ささやかでも「差別はだめ」「だれもが平等で自由」と声に出す、隣の人と話す。その積み重ねがあれば、希望はつながります。
がんばりましょう。
※参考過去記事