以下の内容はhttps://news-worker.hatenablog.com/entry/2025/07/17/084254より取得しました。


「表現の自由」が失われた社会を想像してみる~参政党の憲法草案の考察

 このブログの一つ前の記事で、参政党の「憲法草案」には「言論の自由」も「表現の自由」もないこと、それなのにTBSの報道への抗議の中では「民主主義の根幹である言論の自由と公正な報道の確保を強く求めてまいります」などと「言論の自由」を強調していることに違和感があることを書きました。神谷宗幣代表ら参政党の国会議員には日本国憲法を尊重、擁護する義務があるのに、それを果たそうとする姿勢は感じられない一方で、報道による“被害”を主張する時には、ことさら「言論の自由」を持ち出すのは、あまりに都合が良すぎるのではないか、と感じます。

news-worker.hatenablog.com 「表現の自由」の観点から、もう少し参政党の「憲法草案」について考えていることを書きとめておきます。

 「憲法草案」には「言論の自由」も「表現の自由」も、さらには「報道の自由」も見当たらない一方で、「報道」については以下のような規定があります。

(情報及び防諜)
第十六条 国は、海外情報も含め、広く国民に多様な情報を知らせる義務を負う。
2 報道機関は、偏ることなく、国の政策につき、公正に報道する義務を負う
3 報道及び情報通信に関わる業務は、国営または自国の資本で行わなければならない
4 国は、外国による諜報活動を防ぐ機関を設置し、必要な措置を講じる
5 公務員は、職務上知り得た情報を漏洩してはならない

 国民に多様な情報を知らせることを国の義務としていること、報道の業務は「国営または自国の資本で行わなければならない」としていることを重ね合わせて考えると、「報道機関」と「報道」を国の統制下に置こうとする発想が底流にあるように感じます。「報道機関は、偏ることなく、国の政策につき、公正に報道する義務を負う」の項も、報道機関が偏っているかどうか、報道が公正かどうかを判断するのは国ということになります。国民に情報を知らせる義務を負っている以上、何を知らせるかを判断する責任も伴うはずです。
 「報道機関の偏向を国がただすのならいいことではないか」と思っている人もいそうです。報道が国の統制下に置かれること自体、大変な問題なのですが、それはひとまずおいて、仮にそうなった場合、「報道機関の偏向」の問題だけでは済まないはずです。
 SNSが普及し、「誰もが情報発信」「誰もがジャーナリスト」の社会です。社会の情報流通は狭義の「報道」、狭義の「報道機関」の「業務」だけではなくなっています。仮に、参政党が理想とする憲法草案通りの社会になった場合は、不特定多数を相手に情報を発信する行為のすべてが、国の統制下に置かれることになりそうです。現在のように、SNSで好きなことを好きなだけ、好きなように発信することはできなくなるはずです。政府や政権への批判が許されるはずもないでしょう。参政党を支持していようがいまいが、変わりはありません。
 「外国による諜報活動を防ぐ機関」も、外国人だけを監視の対象にとどめるはずもありません。実態としては、自国民を監視する秘密警察のように機能し、密告も奨励されるはずです。治安維持法下の特高警察さながらです。現行憲法にある「検閲の禁止」もないので、盗聴や信書の開封もぐんとハードルが下がります。
 何かを表現する自由とは、その表現されたものを受け取る自由とも対になります。権力の動向を巡る情報については「知る権利」となります。だから「表現の自由」が保障されない社会に「知る権利」は認められるはずがありません。「表現の自由」が保障されない社会とは、そういう社会です。
 以上のようなことを考えれば、現行の憲法下でも、「表現の自由」が民主主義のために特段に重要な市民的権利とされることには理由があることが分かると思います。

 長くマスメディアの組織ジャーナリズムを仕事にしてきた1人として、「言論の自由」を含む「表現の自由」は、他の誰よりも組織ジャーナリズムが何を措いても擁護しなければならないと考えてきました。あらためてそう思っていたところに、参政党の憲法草案を巡って、毎日新聞が7月16日正午にデジタル版で1本の記事をアップロードしました。現行の日本国憲法と比較して、参政党の憲法草案にはどんな権利が盛り込まれていないかを指摘しています。同紙のサイトで全文が無料で読めます。

▽「今の憲法にはあるのに?参政党の創憲案で消された私たちの『権利』」
https://mainichi.jp/articles/20250715/k00/00m/010/230000c

mainichi.jp

 「法の下の平等」を定めた現行の憲法の14条に該当する条文がないことに続いて、「表現の自由」がないことにも触れています。

 同様に、参政党案では書かれていない権利がほかにもある。憲法19~22条には、それが明記されている。
 「思想・良心の自由」(19条)
 「信教の自由」(20条)
 「表現の自由」(21条)
 「居住、移転、職業選択、国籍離脱の自由」(22条)
 この四つの条文は、それぞれ国民が自由に行使できる権利を定めている。どんな思想を持っても構わず、どんな宗教を信じても構わない。どんな職業を選ぶか、どこに住み、どの国に移るかも自らの判断で決めることができる。
 政府による言論統制があった戦前の反省から、権力批判を含む言論の自由が21条には明記され、検閲を認めないとも書かれている。
 この四つの条文が示す権利は、参政党の憲法案には見当たらない。

 参政党が理想とする国には「法の下の平等」がないのだとすれば、この参院選で掲げている「日本人ファースト」の意味合いは、言い訳の余地はないのではないかと感じるぐらい明確だと思います。
 毎日新聞の記事は、神谷代表が編著を担った憲法草案の解説本について「『個人の権利が、結局は私益にすぎず』という一節がある」と紹介しています。参政党が理想とする社会がどんなものか、よく分かります。そういう社会を望む人はともかく、そうでない方は、ぜひ一度、参政党の憲法草案を読み、現行の日本国憲法との相違の意味を考えてみることをお奨めします。

▼参政党の「憲法草案」 

sanseito.jp

 

※参考過去記事 

news-worker.hatenablog.com

 治安維持法下の1933年、「蟹工船」で知られるプロレタリア作家の小林多喜二が特高警察の拷問を受け殺害されました。3年前の2022年6月に北海道・小樽を訪ね、多喜二の墓やゆかりの場所を回りました。思ったのは、当時の特高警察の内部には「こういう連中には何をしてもいい」との考えがあったのではないか、ということです。
 今、「日本人ファースト」が排外主義の高まりを招いています。次に何を引き起こすのか。「こういう連中には何をしてもいい」といった風潮が広がらないようにしなければなりません。
 社会で一人一人がそれぞれの場所で、ささやかな声でもいいから、「差別は許さない」「だれもが平等で自由」と声に出す、毎日だれかに語り掛ける。その積み重ねがあれば、希望は続くと思います。

【写真】小樽市立小樽文学館の小林多喜二の展示コーナー(上)と多喜二のデスマスク(中)、多喜二の墓




以上の内容はhttps://news-worker.hatenablog.com/entry/2025/07/17/084254より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14