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「戦後80年」「昭和100年」の年明け~デジタル化社会30年と「一方通行」の組織ジャーナリズム

 新しい年、2025年になりました。
 いろいろな節目に当たる年です。

 一つは「戦後80年」。1945年8月の日本の敗戦から80年です。もう少し時間軸をさかのぼれば「昭和100年」です。
 子どものころの記憶をたどれば、1968年(昭和43年)は「明治100年」でした。1960年生まれのわたしは当時8歳。高度経済成長の真っただ中で、日本の社会全体が上を向いていました。日本が近代国家の道を歩んで100年との位置づけが主流だったのか、幼な心にも、肯定的な雰囲気が当時の社会にはあったように思います。
 実際は敗戦から20年余りしかたっておらず、街に出れば白衣の傷痍軍人の姿を目にしました。沖縄は米軍統治が続いていました。日本の戦後復興も、朝鮮戦争やベトナム戦争など他地域での戦争に日本経済も深くかかわっていたことを軽視できません。朝鮮半島は日本が植民地支配していました。ベトナム(フランスの植民地支配当時の呼び名は「仏領インドシナ」でした)も、日本軍が進駐していた地域です。
 昭和の最初の20年間、日本は戦争をする国でした。敗戦後は「不戦」を国是とする憲法のもとで、曲がりなりにも他国と直接、戦火を交えることなく今日に至っています。新聞やテレビのマスメディアの組織ジャーナリズムも、今年は「戦争と平和」を取り上げることが増えるだろうと思います。
 近年は「新たな戦前」との指摘も目にします。軍事費(マスメディアは「防衛費」と呼びます)は大幅増の流れです。かつて他国の軍拡に軍拡で対抗しようとした挙句に何が起きたか。その教訓を今一度、社会で共有することが、ことし「戦後80年」「昭和100年」をマスメディアの組織ジャーナリズムが取り上げることの本質的な意義だろうと思います。
 「昭和100年」の時間軸に則しては、1965年の日韓基本条約、日本と韓国の国交樹立から60年にも当たります。

▽阪神大震災、オウム真理教事件から30年
 ことしは1995年の阪神・淡路大震災から30年にも当たります。この間、2011年の東日本大震災をはじめ、2016年の熊本地震など、大きな地震が各地で起きました。地域を問わず、地震や台風、豪雨などの大規模な自然災害が起きています。
 昨年の元日の能登半島地震の被災地は、夏は豪雨禍に見舞われました。人口減少地域でひとたび大規模災害が起きればどうなるか。現在もマスメディアの精力的な報道が続いています。昨年8月には、気象庁が初めての南海トラフ地震臨時情報を発しました。
この30年、「災害に強い社会」は組織ジャーナリズムの報道テーマと課題にもなっていますが、重層的、複合的な視野と問題意識がいっそう必要になっていると感じます。
 1995年には、前年の松本サリン事件に続き、東京で3月に地下鉄サリン事件が発生しました。直後に警察はオウム真理教の一斉摘発に乗り出し、麻原彰晃こと松本智津夫教祖ら教団幹部を逮捕しました。このオウム真理教事件からも30年です。
 この年は「戦後50年」でした。わたしは30代半ば。勤務先の通信社の社会部で中堅記者の一人でした。担務の関係で神戸の震災の現場取材も、オウムの教団施設の捜索の取材も経験することはありませんでした。それでも先輩や同僚らと、この二つの出来事についてあれこれ議論しながら、戦後の日本社会の“繁栄”が物質的な面でも、精神的、内心的な面でも、実はもろさと危うさを抱えていたことが露呈したのではないか、というようなことを考えていました。

▽デジタル化の始まりから30年
 1995年にはもう一つ、大きな出来事がありました。視覚的に分かりやすくパソコン操作ができるマイクロソフト社のOS「Windows 95」の発売です。パソコンだけではなく、インターネットの普及の起爆剤にもなりました。今日のデジタル化社会の始まりです。
 わたしの勤務先でもこの年、記者一人一人に小型のノート型パソコンが貸与されました。1983年に記者になった当時は、記事は原稿用紙にペンで手書きし、ファクスで送っていました。1990年ごろワープロに移行。そしてパソコンへ。文章作成に特化したワープロと違い、パソコンには様々な機能があります。単なる機種更新ではなく、記者の仕事のやり方を根本から変えてしまうことになるのですが、そのことに気付くのは少し後。労働組合運動に本格的にかかわるようになってからでした。
 ともあれ、わたし自身がパソコンを日常的に使い、インターネットにもなじむようになったのはこの年、1995年からです。記者の仕事も、社会の在りようも大きく変わりました。その起点はこの年でした。
 それから30年がたって、新聞界ではデジタル展開が喫緊の課題とされながら、日経新聞以外には成功モデルがなかなか見いだせない状況です。インターネットを介した情報流通の最大の特性は「双方向性」なのに、「一方通行」の根強い習い性から抜け出せない情報発信の発想にその大きな要因があるように感じます。ビジネスモデルのことだけではなく、ジャーナリズムのありようそのものにもかかわることだと思います。
 新聞の組織ジャーナリズムの今後を考える上でも、30年間の社会のデジタル化と、それに新聞社や通信社がどう対応しようとしてきたか(対応しようとしなかったか)を振り返ってみることの意味は小さくないと思います。

 わたし自身はことし秋には65歳となり、社会的には「高齢者」の一人となります。長らく組織ジャーナリズムを仕事にしてきましたが、既に第一線は退いて久しい立場です。一般的に言えば残りの時間は「余生」ということになりそうです。ただ、組織ジャーナリズムの中で重ねてきた経験、教訓は、後続の世代に生かしてもらうことができるのではないかと考えています。わたしの立場、わたしなりのやり方で、そうした試みを続け、このブログにもさまざま書きとめていきたいと思います。
 本年もよろしくお願いいたします。

 例年、新聞各紙の元日付の1面トップ記事からは、その新聞の個性を感じ取ることができます。ことしの各紙を見比べても、そう感じます。
東京発行各紙の1面トップ記事の見出しを書きとめておきます。
・朝日新聞「つながり 耕す 能登と一緒に/地震 きょう1年」
・毎日新聞「デジタルで問う『真の民意』/『1人1票』方式すら疑う」デモクラシーズ これまでこれから 戦後80年(1)
・読売新聞「中国 宮古海峡で封鎖演習/台湾有事警戒か/尖閣にも『重武装』海警船団/先月初確認」
・日経新聞「逆転の世界 備えよ日本/強まる自国第一/貿易ルール瓦解/米国が去るなら別を探す」
・産経新聞「別姓 小中生の半数反対/『自分はしない』6割/本紙 初の2000人調査」
・東京新聞「招待状『おとう』へ届け/『晴れ姿 見守って』/能登半島地震1年/」

 




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