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「申し訳なく思う」の「所感」は謝罪なのか~えん罪の非を認めない「異常」な検事総長談話 ■追記:袴田さん弁護団「謝罪になっていない」

 一つ前の記事(「なお『犯人はこの人』と後ろ指を差す検事総長談話」)の続きです。
 袴田巌さんの再審無罪判決に対して控訴断念を表明した10月8日の畝本直美検事総長の談話は、本文1300字の大半を、静岡地裁の無罪判決に対する批判と不満に充てています。無罪が確定してもなお、袴田さんに「犯人はこの人です」と後ろ指を差すに等しい内容です。その上で、最後から一つ前の段落で、以下のように記しています。

所感と今後の方針

 袴田さんは、結果として相当な長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなりました。この点につき、刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております。

 「申し訳なく思っております」との言葉で、畝本検事総長は何を表明しているのでしょうか。だれに対して「申し訳ない」と思っているのかが分からないことは、既にこのブログの上記の記事で書いたとおりです。何を「申し訳ない」と思っているかは、袴田さんが結果として長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてしまったことの全体を指すと読めます。しかし、ごく一般的な読解力を前提にすれば、その「申し訳なく思う」が袴田さんに向けられている文章にはなっていません。
 袴田さんの再審を巡っては、手続きに時間がかかりすぎたと批判されています。その責の多くは検察と裁判所に帰すことも指摘されています。再審をめぐる手続きが長期化したこと自体に対しては、何らかの見解を表明しなければ、世論の検察への批判が高まってしまう、その事態は避けたい-。そうした検察の本音が、袴田さんの無実を決して受け入れようとしない一方で、手続きの長期化だけを切り取って、いわば世間に対して「申し訳なく思う」と言ってみせている点ににじみ出ているように感じます。「謝罪」とは、非を認めて謝ることです。検察は非を認めていません。この「申し訳なく思う」はせいぜいが、再審手続きの長期化が批判を受けていることに対して、談話の小見出し「所感と今後の方針」の通り、畝本検事総長の「所感」を述べた、ということに過ぎないと感じます。それ以上の意味はなく、袴田さんへの「謝罪」と受け取るのは無理があります。

 この「申し訳なく思う」の部分を、東京発行の新聞6紙がどのように報じているかを、9日付紙面の1面に掲載された「本記」で見てみました。「謝罪」と報じたのは6紙のうち5紙。少なからず驚きました。5紙は朝日新聞、読売新聞、日経新聞、産経新聞、東京新聞で、東京新聞は共同通信の配信記事を掲載しています。一部は見出しにも「謝罪」を入れています。毎日新聞は「陳謝」でした。
 各紙の本記の扱いをまとめると、以下の通りです。

 以下に、各紙の記述を書きとめておきます。
■朝日新聞:「謝罪」
「検察トップの検事総長談話も出し、証拠捏造(ねつぞう)を認めた判決に『強い不満』を表明しつつ、袴田さんの再審手続きが長引き法的に不安定な状況に置かれたことなどを「申し訳なく思う」と謝罪した。」(本記リード)
■毎日新聞:「陳謝」
「その上で『検察が控訴し、袴田さんの不安定な状況が継続することは相当ではないとの判断に至った』と控訴断念の理由を説明。『刑事司法の一翼を担う検察として申し訳なく思う』と陳謝した。」(本記3段落目)
■読売新聞:「謝罪」
「その一方で、『袴田さんを法的地位が不安定な状況に置き続けるのは相当ではないとの判断に至った』とし、『袴田さんが結果として長期間、不安定な状況にあったことを検察としても申し訳なく思う』と謝罪した。」(本記7段落目)
■日経新聞:「謝罪」
「畝本直美検事総長が8日、『控訴しない』とする談話を公表した。袴田さんに対して『相当な長期間、不安定な状況に置かれた点について申し訳なく思っている』と謝罪。」(本記2段落目)
■産経新聞:「謝罪」
「昭和41年に静岡県の一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さん(88)に再審無罪を言い渡した静岡地裁判決について、畝本直美検事総長は8日、控訴を断念すると発表し、袴田さんが長期間、法的に不安定な状況に置かれたことを謝罪した。」(本記リード)
■東京新聞:「謝罪」 ※共同通信配信記事
「畝本氏は談話で『結果として相当な長期間、法的地位が不安定な状況に置かれた。申し訳なく思う』と謝罪した。」(本記リード)

 繰り返しになりますが、検察は自らの非を認めていません。「謝罪」とはほど遠い姿勢であり、その意思もないのではないかと思います。「謝罪」のつもりなら、談話の冒頭ではっきり分かるように示すべきです。
 検察の本意、本心とはほど遠いのに、「謝罪」と報られ、記事の見出しにまで入ることで、実態とは異なった「検察にも殊勝なところがある」とのイメージが社会で独り歩きしかねないことを危惧します。

 もう一つ、畝本直美検事総長が談話で、検察の非を認めない一方で、再審の手続きが長期化したことだけに「申し訳ないと思う」と所感を述べたことは、突き詰めていけば、再審そのものの否定に行き着きかねない危うさをはらんでいます。
 犯人であり死刑が確定している、ということと、再審手続きに時間がかかるのは良くない、という二つのことを合わせて考えると、再審手続きを迅速に進めるべきだ、ということになるかもしれません。しかし、犯人であり死刑が確定している、という点を重視するなら、刑の執行を急ぐべきだ、という考え方も成り立ち得ます。制度として死刑が存続している限り、原理的にはその考え方を否定することはできないように思います。自らの無謬さにこだわり非を認めない今の検察では、「再審よりも刑の執行を急げ」となってしまう恐れはないと言い切れるでしょうか。
 畝本検事総長の談話に対して、こうした観点からの報道は見当たらないことも残念だと感じます。検事総長が個別の事件に言及したという点で「異例」とする報道が目立ちます。再審の意義や刑事司法の根幹理念をないがしろにしかねない、という意味では「異常」と言うべきだろうと思います。この異常さは、再審請求審で検察側の有罪主張が退けられ“負け”が確定していたにもかかわらず、再審でもなお同じ主張にこだわったことに表れていました。そのことは、このブログの以前の記事に書いた通りです。

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 事件発生から1年もたって、初動の捜査では何も見つからなかったはずの場所から衣類が出てきた、などという不自然な状況は、社会一般の常識的な感覚では、到底信用できません。なぜ、そんな荒唐無稽な主張に検察はしがみつくのか。死刑判決ありきだからです。当時の捜査は、密室の中の取り調べで容疑者から自白を引き出すことに主眼が置かれていました。マスメディアによる「犯人視報道」が、その強引な捜査を支えていました。裁判で否認に転じても、自白の事実は重くのしかかりました。犯人であると繰り返し報じられ、社会全体に先入観ができていました。そんな中での死刑判決だったことに、十分に留意することが必要です。
 現在は取り調べの録画録音の必要性の認識が広がり、新聞や放送も曲がりなりにも「無罪推定の原則」の徹底を掲げています。しかし、畝本検事総長の談話は、事件捜査や事件報道を取り巻くこの58年間のそうした社会情勢の変化を踏まえているようには思えません。犯人視報道にも乗っかった自白偏重の強引な捜査手法への反省も感じられません。
 静岡地裁の再審無罪判決を機に、毎日新聞、東京新聞がかつての犯人視報道を自己批判し袴田さんへの謝罪を表明しました。10月8~9日の無罪確定のタイミングでは、新たに朝日新聞や共同通信が同じように自己批判、反省と謝罪を表明しています。えん罪にマスメディアは当事者性があります。報道の検証と反省、謝罪だけでなく、えん罪の再発防止に役割を果たすには、検察や警察の監視の役割を強めていくことが必要です。まさに今、この畝本検事総長の談話も監視と検証の対象です。「苦渋の選択」などで済むことではないと思います。

【追記】2024年10月11日10時10分 
▼袴田さん弁護団「謝罪になっていない」
 袴田さんの弁護団が10月10日、検察に対し、捜査や公判手続きの検証を求める声明を発表しました。畝本直美検事総長の談話に対して「非人道的な取り調べや5点の衣類の捏造について反省がなく、謝罪になっていない」と批判しています。

※東京新聞(共同通信配信記事)「検察に捜査の検証求める 袴田巌さん弁護団が声明」
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/359652

談話で「判決は、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容」などと言及したことに触れ、「無罪判決を受けた巌さんを犯人視することであり、名誉毀損にもなりかねないゆゆしき問題だ」とした。声明は静岡地検に提出したという。

※時事通信「『袴田さんに直接謝罪を』 検事総長談話に弁護団―静岡」
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2024101001049&g=soc

記者会見した小川秀世事務局長は「法律的にも事実の認識としてもおかしいし、きちっとした謝罪もされていない。修正された談話を検事総長が出すべきだ」と訴えた。

 畝本検事総長の談話を「謝罪」と受け止めるのには無理があります。談話自体には「袴田さんに謝罪します」といった「謝罪」の用語を使った文言はありません。再審手続きが長期化したことに対し「申し訳なく思う」との所感を述べているだけです。誰に向けているのかはあいまいです。意図的にそうしているのか、とすら感じます。
 この談話を「謝罪」と解釈したのはマスメディアです。どうして横並びでそんな報道になってしまったのか。せめて、弁護団が「謝罪になっていない」として談話の修正を求めていることを報じなければなりません。

 




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