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「賊軍」戦死者の扱いを伝える清水「壮士墓」~自衛隊員の靖国集団参拝に懸念 ※追記 防衛相の参拝が招く深刻な事態

 8月15日は終戦の日です。この日の象徴としてマスメディアでも例年報道される場所の一つに、東京・九段の靖国神社があります。
 源流は1869年に創建された東京招魂社です。幕末の倒幕派の志士、戊辰戦争での新政府軍の戦死者を祀りました。比較的よく知られていることだと思いますが、「賊軍」である旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外です。明治維新に功があった西郷隆盛も、西南戦争の賊軍であり祀られていません。新政府軍の戦死者は栄誉を受けたのに対し、賊軍の戦死者には賊軍としての差別的な扱いがありました。
 一つの例として、静岡市清水区に「壮士墓(そうしはか)」という史跡があります。5年前に訪ねたことがあります。
 江戸幕府が米国に派遣したことで知られる「咸臨丸」という艦船があります。戊辰戦争では幕府軍艦隊に属して、江戸から奥羽越列藩同盟の支援に向かいましたが、暴風雨に遭い伊豆半島の下田に漂着。次いで清水港に入りました。修理が遅れたために新政府軍艦隊に追いつかれ、乗組員の多くは戦死または捕虜となりました(以上、ウイキペディア「戊辰戦争」による)。
 現地の案内板の説明によると、新政府軍は、切り殺して海に投げ込んだ幕府軍側乗組員の遺体について「触れる者は同じ逆賊とみなす」として収容を許しませんでした。遺体が腐乱するのを見かねた地元の博徒の親分、「清水の次郎長」(山本長五郎)が、処罰を覚悟で収容し、埋葬したとのことです。その墓が今も大切に保存されています。次郎長の行いに感激した旧幕臣の山岡鉄舟が「壮士墓」を揮毫して次郎長に与えたとのことです。

【写真3枚】清水の「壮士墓」(2019年4月撮影)

 約150年の時間を経た今日、歴史に謙虚に向き合うなら、戊辰戦争の戦死者は新政府軍であれ賊軍であれ、日本が近代国家の道を歩む過程で非業の死を遂げたという意味では何ら変わりがないと感じます。賊軍の死者に対する新政府軍の苛烈な仕打ちに対して、死ねばみな同じ、とばかりに死者を弔った人たちがいたこと、軍国主義の時代も墓が守られ続けてきたことを、壮士墓を訪ねて知りました。

【写真】菩提寺の梅蔭寺にある清水の次郎長の銅像(2019年4月撮影)

 第2次世界大戦が日本の敗戦で終わって79年がたちました。来年、2025年は昭和100年に当たります。昭和の最初の20年間、日本は戦争に明け暮れたといってもいい時期でした。戦後は曲がりなりにも直接、戦争をせずにきました。しかし、安倍晋三政権以後の10年ほどの間に、自衛隊と米軍の一体化を目指す動きが強まり、世論を二分しながら、集団的自衛権の行使の一部解禁や特定秘密保護法制の創設などが進められました。岸田文雄政権の軍拡で軍事費も大幅に増え、かつての「GNP比1%」の歯止めは名実ともになくなっています。自衛隊は装備、運用面ともに他国の軍隊と並ぶ軍事組織に変容しつつあります。憲法改正を待たずとも、自衛隊が日本の領土、領海、領空外で他国の軍を相手に直接の戦闘に入る、つまり日本が事実上、戦争をすることが可能な状況になりつつあることを危惧します。
 もう一つ、気になるのは、こうした動きと軌を一にするように、自衛隊の中に旧軍との精神的な連続性があることを示すような事例が相次いで表面化していることです。象徴的なのは幹部自衛官らによる靖国神社への集団参拝です。さすがに公用車での参拝は処分対象になりましたが、制服姿での参拝は不問でした。自衛官服装規則によって、常時制服着用が原則とされていることが理由のようです。
 敗戦まで、日本の陸海軍は天皇が統帥しました。靖国神社は陸海軍が共同で管理する軍国主義の象徴的な施設であり、戦死者は「英霊」として神格化されました。現在の靖国神社は、A級戦犯14人を「昭和の殉難者」として合祀しています。付属施設の遊就館の展示でも、日中戦争を「支那事変」、太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼んでいるように、敗戦以前の歴史観、価値観が色濃く反映されています。首相や閣僚、国会議員らの参拝が、政教分離の観点からしばしば社会的論議を呼ぶように、今日では靖国神社の存在自体が政治色を帯びるようになっているとも感じます。

※参考過去記事

news-worker.hatenablog.com

 自衛官であっても、思想・良心の自由や信教の自由は憲法によって保障されています。勤務時間外に、私服姿で一人静かに訪ねるのなら、個人の自由の範囲内かもしれません。しかし、はた目にも自衛官と分かる制服姿での集団参拝は、組織の中に旧軍回帰のような志向、旧軍への思慕の念が広がりかねない危うさを感じます。精神面でのことなので、明確に可視化や数値化ができるわけではありません。それだけに注意も必要だと感じます。

【写真】靖国神社(2021年8月撮影)
 戦後の80年の同じ時間を敗戦の1945年からさかのぼると、1865年の幕末になります。列強4カ国の連合艦隊が長州を攻撃し、薩長戦争があり、幕府は第2次長州征伐へと、日本は混乱に陥っていました。近代日本の始まりである1868年の明治維新は、同時に戊辰戦争という大規模な内戦を伴っていました。1877年の西南戦争まで内戦、内乱が続き、その後外征戦争へと進みます。その中で、国家に命を捧げた戦死者は英雄であり、「軍神」になりました。
 いまの民主主義の社会で、自衛隊は旧軍とは一線を画し、文民統制のもとに置かれているはずです。その中で戦前の軍国主義への思慕のようなものがあるのだとしたら、戦死者の神格化がどういうものだったのか、現代の社会で広く知られることにも意味があるように思います。例えば清水の「壮士墓」は、「英霊」の神格化の本質を、「賊軍」「逆賊」として差別された側から今も照射していると感じます。
 「昭和100年」をどのように報じるにしても、一つのテーマとしてマスメディアは英霊の神格化を取り上げていいと思います。神格化には当時の新聞報道も大きくかかわりました。新聞が自らの歴史を振り返ることにもなります。

 6年前に西南戦争の激戦地、熊本県の田原坂を訪ねる機会がありました。現地には政府軍、薩摩軍それぞれの戦死者名を記した慰霊碑がありました。双方をわけ隔てしない、そうした感覚は今日、極めて自然に感じました。

news-worker.hatenablog.com

 

【追記】2024年8月15日22時50分
 8月15日、岸田文雄内閣の閣僚3人が、靖国神社に参拝しました。木原稔防衛相、高市早苗経済安全保障担当相、新藤義孝経済再生担当相です。
 ※共同通信「防衛相ら3閣僚が靖国参拝 終戦の日、中韓反発も」=2024年8月15日
 https://www.47news.jp/11343417.html

 終戦の日に閣僚の参拝が確認されたのは5年連続。現職防衛相の参拝確認は2021年8月の岸信夫氏以来となった。靖国神社には極東国際軍事裁判(東京裁判)のA級戦犯が合祀されており、中国、韓国の反発が予想される。
(中略)
 林芳正官房長官は記者会見で、閣僚の参拝に関し「いずれも私人の立場だと理解している。どの国であれ、国のために命をささげた方々に尊崇の念を表するのは当然だ」と語った。中韓両国と関係強化の方針は変わりないとした。

 私人での参拝というなら、平日の白昼、堂々と公務を離れたということになります。「私人として」とは、例えば公務員なら休暇を取って、傍目には公務員と分からない形態や服装で、ということでなければならないはずです。閣僚ともあろう立場で「私人」を理由に、「公人」でははばかられる行為を正当化するには無理があります。
 3人の中でも、木原防衛相の参拝は特に問題が大きいと言わざるを得ません。
 自衛隊員の制服姿での集団参拝では、上官の誘いで参加する自衛官もいる可能性があります。本心では疑念があっても、階級社会の自衛隊では誘いを断りにくいはずです。そこに加えての防衛相の参拝が、その風潮を強めることを危惧します。休暇を取っての自主的な参拝のはずが、事実上、上官の命令による部隊参拝の性格を帯びることになりかねません。防衛相として、そうしたことにまで考えを巡らせていたのか。極めて軽率な行為だと感じます。
 日本の外交、安全保障政策の上からも、韓国の反発も軽視できないはずです。韓国が反発するから参拝がいけない、ということではなく、反発が予想されるのにわざわざ参拝して、安全保障の上で緊密な連携が必要なはずの韓国との関係に悪影響を及ぼすことが、閣僚の判断として適切なのか、ということです。右派政治家として支持層にアピールしたいのだろうと思いますが、そうした内向きの事情を優先させるのもまた極めて軽率だと思います。
 折しも岸田首相は8月14日、次の自民党総裁選へは立候補しないことを表明。岸田内閣は求心力を失いました。加えて防衛相がこれでは、不祥事が続発している防衛省・自衛隊の綱紀粛正など絶望的です。深刻な事態だと思います。

 




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