「国家主義的右派政党」としての参政党の目新しさはどこにあるのだろうか。その内実はこの後、考えていきたいが、その目新しさとは、戦後民主主義の理念を知らない、学ぼうとしない、あるいはそれに飽いていることによって、目新しく感じられているのではないだろうか。つまり参政党は、歴史の継承がなされていないことによって興隆した勢力であるように私は感じている。
(中略)
※本記事の全文(約11000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2025年9月号に掲載されています
#『文藝春秋』9月号には、石戸諭「参政党と日本人ファーストのカラクリ」というルポルタージュも載っています。
やっとちゃんとした批判が読める、そう思うのと同時に、参政党支持者はこういうものを読まないし読んでも伝わらないのだろうなという諦念もある。でも、ノルベルト・フライ『ヒトラー独裁下のジャーナリストたち』(朝日選書)は「しかし、第三帝国のジャーナリズムの歴史が教えているのは、冷笑主義は決してジャーナリズムに役立ちはしなかった、ということである」という一文で締めくくられている。
参政党の語り口は、80年代以降のマスコミ文化の庶子、もしくは彼らが踏みつけた屍から生え出たきのこ。
批判がどこまで届くのか、また勢力ある政治団体となったので、言ってることがどうこうより彼らが現実のなかで行使できる力を量らなければならなくなる。
退職したシニア世代は、現役でなくなった強味を活かして、だめなものはだめと言う、もしくは投票行動で意志表示していきましょう。
#気になったので、入手いたしました。これもみんなに読んでもらいたいな、おもしろいですよ。
それと『世界』2025年9月号の、橋本直子「「外国人デマ」に向き合う」も参考になります。ここでは、参政党の「日本人ファースト」というスローガンがあんなに受けてしまったのは、外国人住民が増え共生施策が必要となっているのに政府が後手に回っていたこと、インバウンドで外国人観光客が増加したことからくるとまどいと不安や不満をうまくすくいあげたところに焦点を当てています。
これまで、政治的な発言をしたことがなかった人たちが、とにかく声を上げて自分の思いを表明した。前向きに見るなら、参政党躍進は、次へ進むきっかけになるのかもしれません。