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中井久夫『「昭和」を送る』みすず書房

 

中井久夫のエッセイ集。「「昭和」を送る」は昭和天皇逝去直後に書き上げたもの、あとの38篇は1997年から2011年にかけて書かれたもの。臨床経験、臨床引退後の日々、阪神淡路大震災の経験や政権交代などに関する時評など、話題は多岐にわたり、幅広い知識と深い洞察力から語られている。私的には「往診先のペット」というのが印象深い。描かれた情景が目に浮かんでくるようだ。

 

 さて、そのなかから、「新聞を読む」という一篇の冒頭を引用しておきます。新聞を読む際の参考になるでしょう。

新聞を読む(2011年)

 最近、新聞を読まないで、テレビで済ませる人が増えたときく。もし、そうであれば、考え直していただきたい。
 テレビはイメージに訴える。映像から映像へと渡ってゆく。映像にならないものは出ない。感性に訴える強い力は持つが、論理的なつながりはない。解説には論理があるが、それは映像を納得させるためだ。見る者は納得するかスイッチを切るかだ。
 新聞は読み返すこともできる。反論もできる。
 しかし、新聞にはほんとうのことを書いていないと、人はよく言う。
 それも一理はある。しかし、読み方次第でもある。
 私が「なるほど」と納得させられることはベタ記事の中に埋れている。あるいは株式欄などの片隅の記事も多い。しばしば、そこにしっかりした論理で深いことが書いてある。私は、そこから新聞を読みはじめる。記者署名の囲み記事にも、あっそうかという感銘を得ることが多い。これに対して一面に大見出しで載っている記事にはテレビで見て済むものも多い。「読んで読んで」という感じの記事には重要なものと、みせかけのものとがある。
 思い切った記事が載ると、それを打ち消すような記事が必ず前の面に載っている。「左」的な記事に対して「右」的な記事で釣り合いをとっているのであろうか。それがみえみえだと思われるのは、ある社である。米国の対日年次要望書は、投書か依頼記事かが不明瞭な形で載った。
 重要な記事で全然フォローがないのは、日本が原爆を製造してもよいかと米国に二度お伺いをたてたという記事で、ある社には大きく、別の社には小さく、いずれも一面に載ったが、その後、私の知るかぎり、誰もとりあげない。この記事は、原爆反対大会を控えての米国筋のリークとしか考えられないが、重大な問題ではないだろうか。
(後略)
(引用元:中井久夫『「昭和」を送る』 p.301-302)

このあと、さらにくわしく新聞についての考察がつづきます。くわしくは本で読んでみてくださいね。著者自身が阪神淡路大震災のときは取材される側になったので、マスメディアでの情報の出方など、立体的に観察されていますし、大新聞と地方紙のちがいも具体的に書かれています。

 「テレビと新聞」というエッセイもあり、そこではテレビの「映像の論理」について分析されています。これは映画ファンにも勉強になりますよ。

 インターネットでも、最近は動画が注目をあつめるようになっていますよね。テキストと動画のちがい、など、考える際にヒントになります。

 

 

中井久夫入門としてはNHKテキスト『100分de名著 中井久夫スペシャル』がお勧め。

 

 




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