いまはネット配信で映画も旧作がいろいろ観られるようになっていますが、その際に辞書として使える本。かつて雑誌『スクリーン』で<ぼくの採点表>という連載をしていた著者、トパーズプレスがそれを本にまとめましたが、そこからこの新書が生まれたとのこと。
ジャンルを問わず、どんな映画も公平な目で見て映画として評価する・できる双葉十三郎は稀有な存在だが、本書ではその評価の仕方についても述べられている。
「難解な芸術映画とお気楽な娯楽映画の評価をどうしておなじ星で表されるのですか」とよく聞かれる。できるのである。かいつまんで言うと、映画とは、監督や関係者が観客に何かを訴えよう、見せよう、として作るものである。その、何か、が神と人の問題であろうと、刑事と犯人の死闘であろうとおなじことだ。
その作ろうとする意図と筋道(つまり作品の性格)にそって、どれだけ完成度が高いかを見ればいいのである。もちろん監督の思想やもくろみがどれほど深く、高くてもそれだけではだめで、広い意味での技術、技法の完成度も高くなければならない。難解な、または話題の、またはカルト化した映画でも、どれほど完成度高く作られているかを見ればいいのだから、おのずと評価は決まってくる。はったりやまやかしは見ぬかなければいけないが。
これは批評として見る場合も、観客としてただ見る場合も変わらない。第一こうして見たほうが楽しめる。
(引用元:双葉十三郎『外国映画ぼくの500本』文春新書 p.347)
その後、しかし完成度の高さと、観る人にとって面白いか楽しいかはまた別の話になるし、この本の評にも自分の好みや趣味が織り込まれているので、その辺も合わせて読んでくれれば、と。くわしくは本で読んでみてください。
映画にまつわる話を主軸に、1910年東京生まれの著者の半生も語られている。少年時代の大事件が関東大震災、25歳の時二・二六事件、戦争が始まったときは31歳。わたしたち下の世代にとっては貴重な体験談も聞ける本に仕上がっています。
むかしの映画を観るときに辞書として使える本として、小林信彦『ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200』(文春文庫)もあります。
「極私的クロニクル」には、17歳のときの映画ノートや、リアルタイムで観たプレスリーブームについて書かれていたり。プレスリーがデビューしたときはもう社会人になっていた小林信彦は、少年時代はアメリカンポップスに夢中で、しかしそういう自分からするとゲテモノ臭のあるプレスリーがなぜ今の若いアメリカ人にあそこまで受けるのか、下の世代を観察する見方で書いていますね。そして、自分の目から見たプレスリーの魅力についても批評的に述べている。おもしろいです。ぜひご一読を。