月初にしては気持ち早めに退勤を切った。今日は絶対に洋服を見て帰りたい、と家を出た時から決めていたのだ。でも「絶対に」という気持ちは簡単に裏切ることができる。洋服を見て、あわよくば購入してしまう私を夢見つつ、実際には閉店する時間まで仕事をしてしまい肩を落として帰る自分の姿も視界に入っていた。
でも、今日は一日の流れが前者に傾いていた。つまり、洋服屋がやっている時間に最寄駅に着くように、退勤を切ることができたのだった。乗り換えの電車も私がホームに着いたと同時に到着したし、そういうマジカルな力が働いていたとしか思えない。
お店に着いてしばらく経つと、いつも接客をしてくださる方があらわれた。お久しぶりです、と言われて「あっ」と声が出た。私のサイズを把握しているらしく「サイズありますので、試着も是非」と言ってくださったが、私は会社帰りに全力でここまで来たので全身びちゃびちゃ人間なのだ。こんなうつくしい洋服を試すことなんてできない。「また週末来ようと思います、ちょっと汗だくで」と苦笑いすると「冷たいお水ありますよ」と言われる。本当にいつも、こんなに何も買わない人間に申し訳ない。でもそれも「あっすぐ帰るんで大丈夫です」と断って、店内をすこし見て回った。閉店前に入ってきて服をさっと見て帰る、変な客だった。
この足で近くの古本屋も行こうかしら、と思って、それはやめた。もしかしたら今日か明日に注文した本が届くかもしれないし、古本屋に行くのはちょっと浮かれすぎている。明日頑張る気力をここで使い果たしてしまうのは勿体無い。こういうのは、週末の楽しみに取っておこう。そう思って駅までの道を歩いたが、それでも足取りが軽い。心が弾んでいるのがわかった。
平日に寄り道をすると嬉しい、というのは勤め人になってからずっと思っていることだ。
私はアトレもルミネも大好きだ。なんでもいい。駅ビルという存在に、朝早くからやっているカフェと本屋、欲を言えば雑貨屋があったら嬉しい。そこに立ち寄るのがとにかく好きなのだ。それは会社と家を往復する日々の中で、自分が自分の時間を使っていると自覚的になれる場所がある嬉しさだと思う。
開店前のコーヒー屋に並び、朝イチで時間を潰すことも同じだ。自分で自分をうまく使えているという自覚が楽しい。それが実際には使えていなかったとしても、だ。
大昔、冷えとりの本を眺めていた時には「半身浴を2時間」みたいな記述があって驚いたけど、あれは開店前のコーヒー屋に並ぶことと同じだ。私もやったことがあるけど、あれは本当に「整う」とかそういうことじゃなくて、日々の中に空白の2時間を作り出せることが面白いのだ。
日々の余白って例えお店の滞在時間が10分でもいいんだ。その時間を作り出すための移動時間を含めても30分ぐらいだと思うけど、私がこの時間を意識的に使えた、という充実感さえあれば。その余白を作り出すのが大変なんだけども。そして、できた余白を使いすぎないことも。