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ずっと見たかったものを見に行った(「朝日のような夕日をつれて」)

 昔よく行っていたヴィレッジヴァンガードには演劇のコーナーがあり、戯曲が山ほど置かれていた。その中にあったのが鴻上尚史の戯曲で、私はそれになぜかどハマりしていた。たぶん装丁がよかったのだと思う。ブックオフなんかも回って、ほぼ全部持っていた。
 当時YMCKなんかのピコビコした音楽をよく聴いていて、その流れでYMOの名前を知ったりしていたのだけど、立ち読みした鴻上尚史の戯曲のト書きにこんなことが書いてあるのである。

物語は、はっきりと始まる。
リズムのきいた音楽(YMO、パブリック・プレッシャーより、エンド・オブ・エイジア)。

 一度だけ、衛星放送か何かで1987年版の「朝日」を見たことがある。テレビの中でも当然YMOが流れる。でもいつかはこれを生で見てみたい、そう思って生きてきた。それなのに、なぜか2014年版は行かなかったのだ。当時の私にはそれよりも大事な何かがあったのだと思う。

 そして今年の3月、いきなり再演が発表された。2014年版は見れなかったけど、鴻上尚史が演出する、この朝日は必ず見に行こう。そう思ってチケットの先行に申し込むことにした。
 しかし最速先行は外れてしまったのだった。
 本当は恋人も誘って見に行こうと思っていたのだけど、もうなりふり構っていられない。私は、一人でも、朝日を目撃しなければ。それは何かの意地だった。

 チケットぴあの先行には第10希望まで申し込んで、どうにか第7希望でとれた。8月16日(金)の19時の回。頑張って仕事を終わらせて、紀伊國屋ホールに行けるはずだ。そう思っていた。少なくとも、チケットを取った時点では。

 当日は台風7号の接近で朝から私の住む地域にも警報がバンバン発令されており、新幹線も止まっていた。私は幸いにも紀伊國屋ホールがある新宿までは普通の電車に乗れれば行けるけど、そもそも電車は動いているのだろうか。地震も気になる。しかし公式が「今日は予定通り行う」と12時にお知らせをだしたのだから、行かねばならない。
 私のチケットはあるのだから。

ずっと見たかったものが目の前にある

 どうにか仕事を無理やり切り上げて紀伊國屋ホールに到着すると、私と同じような人が何人もいた。ソワソワしながらも、立ち読みして時間を潰しているような人々。18時半の開場に合わせて私も開場待機列に並ぶ。これから私は何を目撃するのだろう。それで、何を思うのだろう。
 開場すると、なんと、目の前に鴻上尚史その人がいた。赤いスニーカーを履いている。えっ。鴻上尚史だ、と心の中で何度も「ファンなんです」「ずっと好きで」「昔『トランス』も『僕たちの好きだった革命』も見ました」というような言葉を組み立てては、結局言葉にならなくて、話しかけることはしなかった。緊張して、話しかけることができなかった。
 そもそも、何を話すのだろう。鴻上尚史の時間を私ごときのために使わせるのはおこがましいのではないか。そう思って、トイレを二度済ませて、自席に向かうことにした。

「ごあいさつ」も久しぶりに手に入れた。パンフも買いました。

 それからは「朝日のような夕日をつれて」が展開された。
 小声で始まる群唱。ずっと聴きたかった「リズムのきいた音楽」。中盤のおふざけのシーン。ずっとずっと「暇つぶし」のシーン。ラストシーン。競り上がる舞台後方。
 人生はこういう風に、自分がずっと見たかったものを見ていく、という実績を解除し続けることなのだろうなと思う。

 帰り道にすぐ「公的抑圧」を再生した。「The End Of Asia」を流す。さっきまで見ていた演劇の続きみたいな帰り道。いや、実際にそうなんだけど…。何を見ても、私の人生とは別に繋がってないんだから、と冷めた目で見ている。今もそうだけど、見終えた直後の余韻の中では、自分の人生と今見てきた素晴らしいものが、明確に繋がっていると思える。そういう手触りを忘れないように、こうやってどこかに書き留めておくんだと思う。




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