以下の内容はhttps://necomimii.hatenablog.com/entry/2024/07/29/080721より取得しました。


本当って本当にあったのかな、みたいな

いろんな感情の置き所がなくてさ、自分の中で未解決というタグを貼った感情とか出来事があって、それがじくじくと治りきらない傷みたいにして何度も痛むんだよな。なんか、たぶん治りきってなくて、かさぶたが出来ては剥がし、出来ては剥がし、みたいな状態で根治してないのが原因だと思うんだけどさ。
色々難しくて、それを言語化せずに置いていたほうがいい、みたいなこともある。

カウンセリングに行っているとそうも言っていられない。
最近どうでしたか、と始まった話を展開するために、最近起きたことをフルスピードで思い出しながら、そういえばこういうふうに感じて「嫌だった」「嬉しかった」「驚いた」「つらかった」その他諸々の感情のラベリングをつけて、「本当は、」となにかを吐き出そうとしている。
その瞬間まで思い出せなかった「本当」があるのか、それとも元々存在しなかった「本当」を作っているのか、ちょっと自分でわからなくなる。

カウンセリングに行っている、と昔チームが同じだった人に話した時にギョッとされたのに、内心ドキッとしたんだ。実は。
心療内科の通院について「風邪薬をもらいに行くようなもの」と言ってくれた人がいたけど、それがどんなに嬉しかっただろう。
みんなが大好きな「自分で自分の機嫌をとる」の、最上級のやつを私は実践していると思うんだけど、それがどうしてギョッとされてしまうのかがわからなくて。いや本当はわかるんだけど、大仰だって。でもさ、カウンセリングに行くという行為自体は、帰り道にデパートやドラッグストアに寄って自分の出せる範囲の予算でマニキュアを買って帰る。とか、シートマスクを買って帰る。と大差ない行為だと思うんだけど、どうなんだろう?
みんな「何かを自分に買い与える」だけが「自分のご機嫌をとる」だと思っていたりする?その最大級が「推し活」だとか、そういうのだったりするのかな?

自分の機嫌を自分でとる、みたいな話を見ると「私は頑張っているけど君はどうなんだ」という気持ちになっちゃうから、よくないと思って目を伏せるようにしている。
なにか割り切れないことが起こった時も「冷蔵庫にプリンを買ってあるから平気」で踏みとどまることができるのか、推しの輝きがあるから大丈夫だと言い聞かせるのか、そういうことじゃないと思っていて、なんだろう、仕事やその他すべてが私の内面に入ってこようとするのに、どうして私は内面を見せてはいけないのだろうみたいな、納得していない感じがずっと付き纏ってくる。

「萎縮してて本来の持ち味が出せないんですかね」とカウンセリングで言われる。本来の持ち味ってなんだろうね、と思う。ない「本当」をずっと作ろうとしているのかもしれない。
「本当は何がやりたいの」と、大昔出たことがある不愉快な飲み会の場で聞かれたことがある。隣にいた子はすらすら答えられていたけど、私は何も言えなかったんだよな。こういう不愉快なことを後生大事に持っているのがすでによくないんだけど、その時だって、存在しない「本当」を頑張って作ったんじゃなかっただろうか。

みんな私の、どういう本当が知りたくてそういうことを言うんだろう。「本当は」何が本当だったんだろう。

なんかブログの書き方を忘れてきてて、でもブログってそういう、なんか、とりあえずどこかに流れていきそうな言葉を留めておいていいところかなって思ってて、だから、最近Notionにつけている日記じゃなくてここに書いてみる。日記のほうはまたたまったら本に出来たらいいねって思ってる。

最近の私は「本当に」文章を書くことが仕事になればいいと思ってる。
そうやって書いてみると、陳腐だねって思うけど、本当にそう思ってる。本当に。




以上の内容はhttps://necomimii.hatenablog.com/entry/2024/07/29/080721より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14