
敗戦後は、横文字を使いたくなる?
敗戦間もない頃の雑誌を眺めていると、「横文字」を嬉しそうに使っているページによく出くわします。戦時中は「鬼畜米英」で、使えなかった反動かもしれません。
先日、敗戦翌年の『婦人画報』を見ていたら、巻頭から「URAGA PORT」というタイトルが目に飛び込んできました。引揚港となった浦賀(神奈川県)を取材した記事ですが、なぜ横文字?
「浦賀港をたずねて」みたいなタイトルでは、ダメだったのでしょうか?

▽しかも「URAGA PORT」を拡大してみると、フォントが軍仕様。なんだか雑誌側が、占領軍の文化に魅了されているような印象を受けます。記事も妙に、さわやかさを演出しているし*1。
「1946年の浦賀。URAGA PORTのペンキ塗りの建札が、潮風に新しい匂いを漂わせている」「マリーンの快速上陸用船艇が白波を蹴立てて沖から帰ってきた」

▽「URAGA PORT」(浦賀港)は、こういうフォントですね→⬜︎。Military stencil…とか検索すると大量に出てきます。

▽ちなみにこれは、「URAGA PORT」と同じ号に掲載されていた洋裁の記事。カタカナだらけでびっくり。
その他、「デモクラシーの国アメリカの、寛容なまでの人道主義」といった調子で、やたらアメリカを賛美する記事*2もありました。

戦時中の《横文字》排斥
さて冒頭で紹介した「URAGA PORT」(昭和21年5月『婦人画報』)ですが、わずか1年前は戦時中。「看板から米英色を抹殺しよう」という時代だったのです。画像は昭和18年2月3日付『写真週報』第257号から。
これは決してニューヨークロンドンの街頭ではない。日本の街頭だ。しかも我々は、いま米英と戦っている。それにどうだろう、わが日本の都会にこの横文字看板が氾濫しているとは…かかる米英媚態の看板は断然やめようではないか。

……戦争前まで、横文字大好き・舶来大好きだった日本人。
戦時中は、がんばって憧れを封印していけれども、敗戦後は、再び《横文字大好き》に逆戻りしてしまったらしい。「好き」を封印していただけに、戦後の反動も大きそうです。
『暮しの手帖』と横文字
そういえば私は、知人から創刊時の「暮しの手帖」(昭和23年〜)を沢山ゆずってもらったのだけれど、なかなか読む気が起きないんですよ。
読んでも5分でそっと閉じてしまう。申し訳ないけれど。
読めない理由の1つが、誌面に散りばめられた《横文字大好き》感なのです。「暮しの手帖」の編集長・花森安治が、戦時中に大政翼賛会で米英に対する「敵愾心」をあおる宣伝に関わっていたこと考えると、余計にモヤモヤしてしまって…。
▽例:『暮しの手帖』創刊号(昭和23)より。戦時中は使いにくかった横文字を、せっせと使用しています。現代の雑誌では珍しくもない横文字使いですが、これが敗戦からわずか3年後の雑誌であること、花森安治の前歴を考えると「モダンですね、すてきですね」と、手放しではほめにくい。

▽例2:『暮しの手帖』第8号(昭和25)より、男性の夏の装い。背景になぜか「Co.Ltd.」の文字が。室内スタジオでの撮影っぽいので、わざわざ壁に「Co.Ltd.」と書いてみたのかも。【ここ(=焼け跡の残る敗戦国)ではない、どこか】を演出しているのでしょうか。
▽戦時中の花森安治については、こちらの過去ログもごらんください。
以上、敗戦後の横文字アコガレについて紹介しました。
冒頭で引用した雑誌『婦人画報』は、昭和館(九段下)の図書室で閲覧申請すれば、敗戦前後のバックナンバーを手に取ることができます。戦中・戦後の切り替え、つまり【米英撃滅💢】→【憧れの国アメリカ】を体感できるので、おすすめです。