
小さな村で「国威擁護運動」が?
日々見かける〈扇動〉の2文字。
今回は昭和の人気作家・獅子文六が、扇動を描いたユーモア小説を紹介しましょう。昭和10年(1935)の短編『久里岬土産』*1からは、ネットがない時代の〈扇動〉がうかがえます。
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舞台は伊豆の久里岬(架空の地名)。
久里岬では、お寺のインテリ住職が「唐人お吉」とハリスを使った村おこしに成功していました。ちょうど「東京湾汽船」(現在の東海汽船)が就航したこともあって、さびしい村に観光客が押し寄せたのです。
【参考画像】なぜか私が持っていた「東京湾汽船」のパンフレット*2。とても楽しそう。

小さな村が観光名所になった。
村が富んだ。
寺も富んだ。
すると都会から「街の紳士」(※獅子文六作品では不良をこう表現する)がやってきて、富んだ寺を「ユスる」ように。
「街の紳士」はギャング狩りで東京を追われ、たばこ銭にも不自由している身。そこで彼はお寺にあった「ハリス謝恩碑」に目をつけ、これは「国辱碑文」だと言いはるのです。
(その石碑には《鎖国していた日本に、アメリカが「文明の種子」をまいてくれた。感謝します》的な文*3が刻まれている)
もちろんインテリ住職は、そんなユスリを相手にしません。
すると「街の紳士」は烈火の如く怒って、村民を「猛烈にアジり」、村全体を巻き込んで「国威擁護運動」を起こす。
さらに、村の小学校で「国辱碑文撤廃問題対決演説会」という「イヤに長い表題の会」を開催しようとする。
情勢を一挙に激化させたのは、東京追放の街の紳士 武林くんの策動によるのだ。
街の紳士の「策動」に困った住職は、都会から取材に来ていた小説家に、味方になってくれ!と頼みます。しかし「街の紳士」の暴力におびえた小説家は、住職も仕事も捨てて、大急ぎで逃げ出すのでした。おわり。
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けっこう後味が悪いユーモア小説です。
人々を扇動して騒ぎを大きくする「街の紳士」って、既視感がすごい。ネットがなくても、“仕事”が早い人はいたのでしょうね。
『久里岬土産』の扇動は、なんとなく牧歌的に見えるけれど、この作品の2年後に日中戦争がはじまり、10年後に原爆が落ちることを考えると、牧歌的とも言っていられません。
「時勢の急流」と石碑
『久里岬土産』には「時勢」という言葉が何回も出てきます。
今回、『久里岬土産』(昭和10)読み返してみて、寺の住職がユスリを拒絶した理由にヒヤっとしました。
時勢を知らぬ住職は頑としてこれに応ぜず
これは逆に考えると、住職がもし「時勢」を知っていたら、「国辱碑文」だと騒ぎたてる「街の紳士」にお金を渡したかもしれない…ということ?
ユスリの元になった「ハリス謝恩碑」の建った時期が、わずか10年前だという設定*4なのも、わりと怖い。たった10年前は「よほど時勢が異っていた」ためにセーフだった「ハリス謝恩碑」。それがユスリのネタに化けてしまうとは。つまり、このような「時勢の急流」が、『久里岬土産』のキモなのです。
▽ざっくりですが、短編『久里岬土産』が書かれた時期を表にしてみました。

▽「時勢の急流」で思い出しましたが、これは先日たまたま、聖路加国際病院で見かけた定礎石。「神の栄光と人類の奉仕のため」と刻まれており、戦時中は「憲兵隊の命令によって」御影石で覆ったのだとか。釘穴はその時の痕跡です。この石は昭和5年(1930)に設置されたもの。その時点では「神の栄光…」がセーフだったのに、時勢の変化ですぐアウトに。

▽定礎石の脇にあった説明文

道化としての「街の紳士」
最後に、扇動が得意な「街の紳士」へ話を戻しましょう。
戦前・戦中にかけて、獅子文六のユーモア小説には、この種の男性がけっこう登場します。まぬけなギャングや、切れ者の悪徳弁護士などが、まとめて「街の紳士」と名付けられている。「街の紳士」は時局に便乗したつもりの道化キャラ。お金持ちをユスる時もこんな調子です。
で、これは「街の紳士」の名刺。「東亜爆裂連盟書記」と、わけのわからない肩書きが!「太原黒 弁護士事務所」も笑うポイント。(昭和9年『金色青春譜』)

当時の読者は、このような風刺に大笑いしていたはず。少なくとも戦争がドロ沼化するまでは。
まとめ
以上、ネットがない時代の〈扇動〉を描いた獅子文六『久里岬土産』を紹介しました。
現在も、扇動がうまい「街の紳士」の子孫はますます活躍中。さらにネットでパワーアップしているのがつらい。
ちなみに『久里岬土産』(昭和10/1935)の〈村おこし〉設定は、「東海汽船」の公式サイトにある年表:「大島と下田の観光開発により観光客が増加。ピーク時の1935年には27万2千人もの観光客が乗船した」と一致します。この時期は、まだ楽しげな〈戦前の昭和〉のイメージがありますが、昭和12年にはもう日中戦争がはじまるし、昭和13年になると「東京湾の女王」と呼ばれていた船が「海軍の特設病院船」として徴用されるように。あああ。
▽「東海汽船130年の歩み」は、このような時代の急変をシームレスに見ることができます。短編『久里岬土産』が気になった方は、ぜひ東海汽船のサイトものぞいてみてください。(下の方にスクロールすると年表が出てきます)
▽「ご時勢」の急変をテーマにした冊子を作っています。
*3:「我帝国ハ未開ノ仙島トシテ惰眠ヲ貪リシ時、温情アル米国ハ無双ノ人格者タウンゼント・ハリス氏ヲ派遣シテ文明ノ種子ヲ我国ニ培カヒ遂ニ欧米先進国ト伍セシメタリ 噫、ソノ至恩、ソノ至情」
*4:この石碑はモデルがあるようです。『久里岬土産』では、インテリ住職が村おこしにあたって「壬生沢(みぶさわ)子爵」に働きかけていますが、おそらく「壬生沢子爵」は渋沢栄一のこと。渋沢栄一が下田のハリス記念碑建立に関わったことを下敷きにしたと思われます