
※サムネイル画像は「学徒出陣」鈴木満(昭和18)*1
「いい感じ」に仕上がっている小津映画
以前、映画ライターのてらさわホーク氏がYouTubeで〈小津安二郎は、ちょっとあぶないと思ってるんですよ〉と語っていたのが印象的でした。
ぼく小津安二郎って、けっこう、ちょっとあぶないと思ってるんですよ。あの人、戦争行ってるじゃないですか。いっさいそういう影を、表向きは、表面上、感じさせないでしょ。だいたい、こう、なんか、いい感じに仕上がるじゃないですか。「何があった?え?」っていうところがね。
実は、私も小津映画の「いい感じ」が不思議だったので、これを聞いて、おお!となりました。私が特に「いい感じ」に仕上がっている…と思う映画が、今回紹介する『彼岸花』(昭和33)です。
息子が見えない映画『彼岸花』
ご存知のとおり、映画『彼岸花』(昭和33)は娘の結婚にあたって、すったもんだする話。美しい「娘」があとからあとから登場します。
で、小津映画といえば《おじさんたちの飲み会》ですよね。『彼岸花』でも、おじさんたちが盛んに飲み食いしていますが、彼らの話題は“キミの娘はどうした?”とか“キミには娘が大勢いるねエ”みたいな調子で、娘のことばかり。
3、4人の会合ならともかく、同窓会でおじさんが大集合している時でも、「息子」の話題は一切出てこないのです。不思議なほどに。

「え?娘の結婚がテーマでしょう?息子のエピソードはややこしくなるから出さないだけでは?」と思われるかもしれませんが、小説の『彼岸花』(里見弴)*2では、冒頭から息子の死が描かれているんですよ。笠智衆が演じた元軍人の息子は、戦争中の「学徒動員」で死んでいる設定なのです。
終戦の1年ほど前に、学徒動員で川崎の軍需工場に通うことになっても「お国の御用だ、しっかりやんなさい」と、いつにない厳粛な面持で言い聞かせたし、防空壕内に十数人の同級生と折り重なって、わずか18年の生涯を鎖(とざ)したと知った時でも、少なくとも人前では、涙一滴みせはしなかった。
学徒動員で死んだ18歳の息子。
涙をみせない父親。
小説『彼岸花』を読んだ後に映画を見返すと、楽しげな《おじさんたちの飲み会》が急にヒンヤリと感じられました。つまりこの人たちは、死んだ息子(たち)の話題に「触れないように…触れないように…」と細心の注意を払いつつ、表面上は朗らかに酒をくみかわしているのか、と。
でも公開当時の観客は、死んだ若者をリアルに補完できる人たちばかり。息子のエピソードを省いても映画が成立したのでしょう。あるいは娘の結婚相手を演じる俳優・佐田啓二の実年齢(敗戦時に19歳くらい)から、すべてを察していたのかもしれません。
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『彼岸花』(昭和33)の公開は、敗戦からわずか13年しかたっていません。公開時の観客と、21世紀の私たちでは、映画の理解度が大きく異なる可能性があります。比較するのもアレですが、昭和の小ネタ連発のドラマ『木更津キャッツアイ』[2002]を、もし令和生まれの人が見たらどれだけ理解できるのか…というはなしですよ。
【参考】昭和19年「昭和飛行機東京製作所の動員学徒工員たち」顔がコドモ… https://photo-archive.jp/database/detail.php?id=00008-01444-0011

昭和の健康読本と、学徒出陣
余談ですが、昭和のカジュアルな健康読本では【戦争たとえ】をしばしば見かけます。たとえば講談社ブルーバックスの『からだの手帖』等は、軽妙洒脱な文章にいきなり戦時中が顔を出すのでビックリ。皮膚感覚は「哨兵所」、免疫は「堡塁」といった調子なのですから。(※新装版では、違う比喩に差し替えられている)
当然この本には、学徒出陣も比喩として使われています。
「細菌が侵入すると、警備要員が非常召集され、同時に警備要員の増員が行われる。増員が間に合わないとかつての日本のように、未完成の兵隊まで動員される。」(『からだの手帖』昭和40)
「ちょうど戦時中の学徒出陣のように、卒業を繰り上げて戦列に加える」(『からだの科学』昭和43)
現在の私たちにとって「学徒出陣」や「学徒動員」は、歴史上の出来事にすぎません。しかし昭和40年代のブルーバックス読者には当事者が珍しくなかった。「かつての日本のように、未完成の兵隊まで動員される」という比喩は、当時の読者にものすごく刺さったと思います。
▽昭和40年発行の『からだの手帖』は、【戦争たとえ】とSFなイラスト(真鍋博)のギャップがすごい。著者は医師で1922年(大正11)生まれ。

泥の中の「蓮」を描く小津監督
以上、小津安二郎『彼岸花』を紹介しました。小津監督は、美しい「蓮(ハス)」を描くけれども、「泥」は描かない主義だったとか。以下は敗戦間もない時期の発言です。
泥中の蓮…この泥も現実だ。そして蓮もやはり現実なんです。そして泥は汚いけれど蓮は美しい。だけどこの蓮もやはり根は泥中に在る…私のこの場合、泥土と蓮の根を書いて蓮を表す方法もあると思います。しかし、逆にいって蓮を描いて、泥土と根を知らせる方法もあると思うんです。戦後の世相は、そりゃ不浄だ、ゴタゴタしている。汚い。こんなものは私は嫌いです。(朝日芸能新聞、1949年11月8日)*3
「蓮を描いて、泥土と根を知らせる方法」──公開当時の観客はそれで十分だったのでしょう。でも戦後80年たつと「泥って、なんですか?」となってしまう。
私は、小津の映画から美しい「蓮」を感じることはできるけれど、リアルな「泥」を想像することはできません。でも、想像出来ないなりに「そうか、泥があったのか…」と、意識はしておきたいと思います。
【参考】昭和18年の映画『出征前十二時間』。キャッチコピーは「学窓より戦陣へ!」。そしてこの映画のわずか15年後に公開されたのが『彼岸花』(昭和33)です。
