
戦中のグラフ誌と、おしゃれマップ
戦時中の対外宣伝グラフ誌(『NIPPON』、『FRONT 』など)には、びっくりするほどお洒落な地図があります。

あまりにお洒落なので、「本当に、80年以上前の地図ですか?」と思ってしまうほど。今日は、そんな地図(満洲・朝鮮など)を紹介しましょう。
“血なまぐささ”をキレイに漂白した地図ばかりです。
▽「朝鮮工業地図」。アイコンがいちいち可愛い。海にはクジラもいます。(『NIPPON』1939年7月)

▽「中国の現状」。絵:河野鷹思(『SHANGHAI』1938年11月)。一見カラフルだけれど、実は不穏な地図。

▽「4つの視点から見た満洲国」。4種類の切り口が、それぞれキレイ(『NIPPON』満洲国特別号1939年10月)


▽『FRONT 』の「満州国建設号」(1943)から。牧歌的な地図

▽「満州国建設号」の地図を拡大しました。凡例がまるで絵本。

▽満洲の家畜分布。配色がオシャレ(『MANCHOUKUO』1940年4月)

オシャレな成分を抜いた地図
▽しかし、地図からオシャレを抜くとこんな感じ。本音の地図?(講談社の大衆誌から)
「満洲の農耕地は何人の人口を容れ得るか」「日本人総出で開墾に従事しても差支ない訳である」1933年5月(昭和8)講談社「キング」

【参考】満洲開拓民入植図。敗戦後の悲劇はご存知の通りです。

おしゃれな地図の最期
以上、対外宣伝グラフ誌のオシャレな地図を紹介しました。
「美しさは正義。こんなに気のきいたグラフィックが、間違っているはずがない」と思いたいところですが、そうはいきません。
戦争に負けるやいなや、グラフ誌の『FRONT』や『NIPPON』は処分されたのです。以下、当時グラフ誌に関わっていた方たちの著作から敗戦時の様子を引用します。
◾️『戦争のグラフィズム: 回想のFRONT』多川精一
敗戦が確定して『FRONT』などの焼却は急がねばならないので、出てきている全員は汗だらけになって、地下室のボイラーに「陸軍号」や「海軍号」を運ぶ。(略)
そのうち外から帰った社員が飛び込んできて、「おいおい大変だぞ、焼け跡は軍艦や飛行機だらけだ」と言う始末。 送風を強めすぎたので、半焼けのまま煙突から飛び出し、九段下一帯にばらまいてしまったらしい(『戦争のグラフィズム: 回想のFRONT』多川精一 1988、平凡社276ページ)
◾️『銀座写真文化史』(師岡宏次)から、『NIPPON』などを作っていた会社の敗戦直後です。
昭和20年の終戦とともに、国際報道のような軍の片棒をになって宣伝戦を戦ってきた会社は、進駐してきた外国軍隊がどう扱うのかを心配して、会社の責任者たちは大あわてをした。
そして名取洋之助さんの弟の譲之助さんの 維持困難の意見もあって、残っていると戦犯になりそうなものを全部処分し、写真のネガも川に捨てて、会社は解散して消えた。
それほど大物もいなかったのか、この会社からは戦争犯罪人は出なかった。(『銀座写真文化史』師岡宏次 1980、朝日ソノラマ 163ページ)
ボイラーで焼かれたり、川に投げ込まれたり。あっけない最期ですね。
『戦争のグラフィズム: 回想のFRONT』も『銀座写真文化史』も、当事者の本なのですごく生々しい。戦争中、とびきりセンスの良い人たちが「国策宣伝」に活路を見出す様子がうかがえます。そりゃ、おしゃれマップも生まれるよなあ……と腑に落ちる。機会があったらぜひ読んでみてください。