
昨年、「キャラクターデザインの先駆者 土方重巳の世界」に行きました。昭和の可愛いグッズが大量に展示されていて、高度経済成長の迫力を感じましたね。

サトちゃんの作者と、溶鉱炉のポスター
ところがその後「サトちゃん」の作者・土方重巳を、意外なところで見かけました。『戦争と宣伝技術者』(1978年/ダヴィッド社)という本に、なんと「大溶鉱炉建設」ポスターの製作者として名前があったのです。
ソ連領に近い清津港に、 日本製鉄は大溶鉱炉建設を昭和16年後半から強行するために、工員を鼓舞する一大ポスター・キャンペーンを展開した。最後の完成期の2ヶ月間に、4枚のポスターを1組として、4期にわたってアタックした。
▽右下に土方重巳。「鉄だ勝利だ 年内完成!」「突貫工事だ!やりぬくぞ」「鉄で勝とう!」

映画宣伝のキャリアと、溶鉱炉
- サトちゃん
- 戦時中の溶鉱炉ポスター
この2つはどう考えても正反対!接点が無さそうに思えます。
しかし、(資生堂の美女イラストで知られる)山名文夫の『体験的デザイン史』(1976/ダヴィッド社)にも、ふつうに「溶鉱炉」と「土方重巳」の組み合わせが出てくるんですよ。土方重巳はもともと映画のポスターを作っていたので、溶鉱炉ポスターのクオリティがすごかったらしい。
1つの例を挙げると、日本製鉄から頼まれた 溶鉱炉建設促進のためのポスターというのがあった。これは昭和17年中に溶鉱炉を作り上げないと、鉄の生産が予定通りに行かないというきびしい条件があり、労務者たちに「その国家的意義を知らせ、士気を鼓舞する」目的のもので、この場合は、時間的急迫をアピールする必要があり、そのための方法として 各種のポスターを10日ないし、20日おきに発行し、つまり「矢つぎ早や」に訴えて、緊迫感を盛り上げていこうとしたのである。(略)
このようなダイナミックな制作には、映画宣伝にキャリアのある栗田次郎、土方重巳、板橋義夫の存在は貴重であった。この人たちのイラストの確かさはいうまでもないが、レタリングも素晴らしかった。これも映画のタイトルで苦労しているからであろう。その書体の切れ味は、小気味が良いといった洗練があった。(山名文夫『体験的デザイン史』307頁)
昭和の“可愛い”が、「大溶鉱炉の突貫工事」と地続きだったとは!
昭和は「戦中」「戦後」とスパッと区切られているわけではなく、ピタゴラスイッチのようにつながっているのですね。
▽山名文夫と国策宣伝については、こちらをごらんください。
「バスに乗りおくれまい」
せっかくなので『土方重巳 造形の世界』(1978/造形社)も買ってみました。実直な回想がそのまま綴られていて、1978年の本ならではの生々しさを感じます。戦時中の国策宣伝にまつわる文章がこちら。
「報道技術研究会」(※「国家宣伝の高度化と総合化」を目指していたデザイナー・コピーライターなどの制作集団)の設立に参加したのは、丙種産業と格付けられて、国民徴用令というやつで、いつ軍需工場に徴用されるかわからない映画会社に不安と劣等感と焦りを持つようになっていたことと、文化映画のポスターを描いているうちに、スチール写真からではなく、ナマな働く人たちを描きたいと、しきりに思うようになったことからだと思う。
事実「報研」(※「報道技術研究会」のこと)にいる間に、溶鉱炉やそこで働く労働者をスケッチに行ったり、鉱山に入ってスケッチをしたりした。
しかし、今になって、なんと理由をつけようとも、いわゆる「バスに乗りおくれまい」という時局便乗の気もあった事は否定できない。(『土方重巳 造形の世界』17頁)
「溶鉱炉やそこで働く労働者をスケッチに行ったり」……「溶鉱炉」は、ここにも出てくるんですね。
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戦時中、国策宣伝に協力した人たちの手記を読むと〈自分は無欲なボンヤリ者だった。だからこそ、ボンヤリと戦争に協力してしまった〉的な主張を見かけます。しかし、土方重巳はボンヤリ者を演じていません。「『バスに乗りおくれまい』という時局便乗の気もあった」とはっきり書いているので、逆に好感がもてるのです。
▽『土方重巳 造形の世界』で、軍用兎のポスター*1が土方重巳の作と知りました。

以上、「サトウのサトちゃん」と「溶鉱炉」の意外な関係でした。
今回参考にした『土方重巳 造形の世界』(1978)は、可愛いイラストが満載!しかもご本人による丁寧な解説がついているので、戦前・戦中・戦後の流れを感じることができます。おすすめです。

▽土方重巳と同様に、戦中・戦後と活躍したデザイナーとして大橋正がいます。こちらの投稿もぜひあわせてご覧ください。