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小音楽堂は見た【日比谷公園】海軍葬から「パパと呼ばないで」まで

日比谷公園の「小音楽堂」を定点観測

 昭和のテレビドラマを配信で見ていると、今は存在しない建物が当たりまえのようにうつっていて、びっくりすることがありませんか?

最近、私が気になっているのは日比谷公園の「小音楽堂」*1昭和3年に建てられた、真っ白い音楽堂です。(1代目の音楽堂は、関東大震災で倒壊。現在は3代目)

▽たとえば、これは人気ドラマ『パパと呼ばないで』(1972-3/昭和47-8年)の第15回。この回の脚本は向田邦子。音楽堂が白く輝いていますね。右から杉田かおる石立鉄男

▽これは「雑居時代」(1973-4/昭和48-9年)23話から。右が大原麗子、左は竹下景子。美しい人達をより美しくみせていた小音楽堂。

 日比谷公園で海軍葬

 この白い「小音楽堂」は、昭和3年から昭和57年(1928-1982)まで*2存在していました。つまり、昭和の【戦前→戦中→戦後】を、じっと見つめてきた…ということになりますよね。

▽絵葉書に描かれた小音楽堂(引用元:都立中央図書館

 ためしに『パパと呼ばないで』から、30年ほどさかのぼってみましょう。『パパと呼ばないで』の30年前は昭和17年(1942)。 なんと日米開戦の翌年です。

昭和17年4月の日比谷公園では海軍葬が行われていました。そう、『パパと呼ばないで』の30年前、日比谷公園にはまったく別の世界が広がっていたのです。

▽小音楽堂は、海軍葬を見ていた。(ほかのページは 国立古文書館のデータアーカイブで読めます)

情報局「写真週報 217号」昭和17年4月22日

(情報局「写真週報 217号」昭和17年4月22日)

「軍神九柱の合同海軍葬」 4月8日 東京日比谷公園

昭和16年12月8日未明、ハワイ真珠湾を強襲し、米太平洋艦隊主力を覆滅して湾内深く沈み、再び還らない純忠無比の軍神九柱の合同海軍葬は、月こそ変われその命日にあたる4月8日、広瀬中佐の海軍葬以来 絶えて久しい森厳の盛儀をもって日比谷公園葬場で執り行われた

このように、昭和のテレビドラマはどんなに楽しそうに見えたとしても、戦争からの距離が近いのです。これをいつもアタマの片隅においておきたいと思います。(今年=2024年に当てはめてみてください。30年前は1994年、「古畑任三郎」の放送がはじまった年!)

▽【左】「パパと呼ばないで」と小音楽堂 【右】「軍神九柱の合同海軍葬」と小音楽堂

戦後のモーターショー

 そして、敗戦*3

ちなみに「軍神九柱の海軍葬」からわずか12年後の昭和29年(1954)に第1回「自動車ショウ」日比谷公園で行われています。昭和の激動ぶりがすごい。

▽小音楽堂は、自動車ショウも見ていた。(左奥に小音楽堂がうつっています)

Webモーターマガジンより引用

 この第1回「自動車ショウ」、ずいぶん華やかな印象ですが、やはりそこは敗戦国。東京モーターショーのサイトによれば、この年、出品車両267台のうち乗用車の展示は17台で、主役は建設車両、トラック、バス、三輪車、オートバイだったとか。

▽これはflickrで偶然見つけた第1回「自動車ショウ」(TOKYO MOTOR SHOW  1954)のカラー写真。撮影はアメリカ人か→Japan 1954 | Flickr

Tokyo 1954

▽そして、上の写真と同じ人物が撮影した日比谷公園小音楽堂!「自動車ショウ」と同時期と思われます。

Tokyo 1954

▽これも同じ人による撮影。小音楽堂の中でファッションショー(あるいはミスコン)をしている?小音楽堂のアーチが、サマになっています。

Tokyo 1954

絵になる背景「小音楽堂」

 時代は前後しますが、これは戦時中の『婦人画報』で見つけた小音楽堂です。「軍神九柱の合同海軍葬」と同じ年(昭和17)の誌面。この時期のファッションは、戦争中ゆえリメイク中心で地味になりがちでした。その地味さを補ってくれるオシャレな背景が、小音楽堂だったのかもしれません。詳しくはこちらをご覧ください。おリボンと大政翼賛会 - 佐藤いぬこのブログ

婦人画報昭和17年6月

▽……と、こんな感じで日比谷公園「小音楽堂」の画像を集めていたところ、ありがたいことに南青山の老舗アンティークトイ店「ビリケン商会*4の三原ミミ子さまから可愛い写真を見せていただきました!小音楽堂を中心にした構図といい、ミミ子さま(右)のベレー帽の傾き方といい、とてもステキです。(許可をいただいて掲載しています)


 以上、日比谷公園の小音楽堂が見つめてきた昭和の光景でした。

今回は昭和を中心に紹介しましたが、私が愛読している『都市と緑』(1973 ・東京都公園協会)という本には、もっともっと昔、明治・大正の公園エピソードが詰まっています。日比谷の野音[やおん]は軍用馬の集散所だった…など。筆者は、明治から昭和にかけて緑化を推進した井下清東京市の公園課長)。庶民と公園が出会った時代の熱い想いが綴られています。おすすめです。

私のブログには、戦中・戦後の定点観測シリーズがあります。あわせてごらんください。

▽有楽町・日劇の場合

narasige.hatenablog.com

▽銀座・松屋の場合

narasige.hatenablog.com

▽日比谷・宝塚劇場の場合

narasige.hatenablog.com

 

*1:現在(2024年8月)、日比谷公園のサイトに、小音楽堂は「日比谷公園の再生整備に伴い、令和6年9月1日以降ご利用を休止とさせていただきます」と出ていました

*2:日比谷公園内にある資料室のアカウントからhttps://x.com/college10/status/1135733999651790848/photo/3

*3:『MPのジープから見た占領下の東京』(1994)によれば、敗戦後、日比谷公園霞ヶ関寄りに進駐軍専用の「日比谷ドライブイン」があったそうです。

*4:私・佐藤いぬこが作った獅子文六についてのZINE「認識不足時代」を置いていただいてます




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