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ツルツルしたデパートの戦中戦後【松屋銀座】

 銀座のApple Storeは、とてもツルツルしていますよね。Apple Store*1の向かいにあるデパートが松屋銀座Apple Storeに負けないほどツルツルで、まるでみつ豆の寒天のよう。(※サムネイル画像は2022/10/19撮影)

しかし、そんな松屋にも《ツルツルしていない時代》があったのです。今日はそれを紹介しましょう。

戦時中の松屋銀座

 意外なようですが、日中戦争の頃の松屋銀座はツルツルしていませんでした。シャネルの広告の代わりにあったのは、「聖戦大勝」「 漢口陥落」などのにぎやかな垂れ幕です。(『痛恨の昭和』石川光陽より)

「漢口陥落祝賀の飾り」昭和13年(1938)

漢口陥落、武漢三鎮といって、まだ国外で戦争していたので、景気の良い話ばかりが耳に入ってくる頃でした。旗行列や、提灯行列が市内を練り歩き、花電車や、電飾の市電が走って賑やかでした。この調子で行けば、裏長屋にいたものが、表通りに出られるのではないかもしれないといったほどの勢いでした。銀座通りは写真のように飾り立ててお祭り気分で、私は日本も強くものなったものだと感心しておりました。

斎藤美奈子さんがいうところの「戦争初期はイケイケ気分」(『戦火のレシピ』岩波現代文庫)が満ちている写真です。

『痛恨の昭和』石川光陽 岩波書店

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敗戦後、日本人が入れない「松屋 PX」に

そして敗戦。三越は空襲で黒コゲに。一方、松屋銀座は接収されてPX(売店)になりました。

『銀座と戦争』(平和博物館を創る会・編)に加筆

▽PXになった松屋。この写真は異様に美しく撮ってあるので、一瞬「あれ?敗戦って、たいしたことなかったのかな?」と勘違いしてしまいそう。御用心、御用心![Matsuya Ginza branch of the Tokyo PX, 1952]

Matsuya Ginza branch of the Tokyo PX,  1952

写真家・師岡宏次の『銀座写真文化史』から、PXになった松屋について引用します。

焼失を免れた和光のビルや、松屋デパートの焼けたビルは進駐軍に接収され、急速に資材を集めて改装し、PXになった。PXというのは日本にきている進駐軍のために、必要な物資を売るところである。ここは厳重なチェックがあって、日本人は入れない。また、ここで進駐軍が買った物資を、日本人がたとえもらっても、もちろん買っても、とにかく持っていることで罪になった。

 しかし「日本人は入れない」はずの松屋にもヒミツの抜け道があったらしい。三島由紀夫の『豊饒の海(三)暁の寺』に「松屋PX」が出てきますが、米兵を「情人」に持つ女性は堂々とPXに出入りしているという設定です。

松屋PXの中には、もちろん本多は入れない(略)。慶子は、紫いろのスーツの胸を張って進み出、顔も隠れるほどの大きな紙袋を両手に抱えたアメリカ兵を従えていた。 情人のジャックかと思われたが、そうではなかった。(略) それは1つの見ものであった。PXの前の群衆は、似顔絵描きをそっちのけにして、口をぽかんと開けてこれを眺めた。

▽引きで「松屋PX」見るとこんな感じ。1952年(昭和27)頃です。右側のすすけた建物は「三越」、画面手前には進駐軍用の標識が。ただよう敗戦国感。Tokyo Ginza, 1952 | Photographer: Captain John Randolph Coup… | Flickr

松屋の側面。「白いワンピース=清楚」のイメージをくつがえす女性が、靴をみがかせています[1951 Tokoyo, Japan]※flickrより。引用元はリンク切れ

上の写真を拡大してみると、日本人が入れない「P.X.レストラン」の看板が見えます。

松屋銀座の角で交通整理[1951 Tokoyo, Japan]※flickrより。引用元はリンク切れ

接収解除後の松屋銀座

 進駐軍の接収解除後「PX」から戻った松屋は、公式サイトによれば1953年(昭和28)に新装開店しています*2

▽ちょうどその時期を外国人がカラー撮影したのがコチラ。敗戦から8年ほどで、すでにツルツル、ピカピカ。もはや戦中・敗戦の面影はありません。屋上の旗に【松屋のマーク(鶴と松)】が見えますね。[Department Store, Tokyo Japan, 1952-55]

Department Store, Tokyo

【参考】この時期、鮮明なカラー写真が存在する理由。

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▽そして1970年(昭和45)の松屋(右奥)。パッと見た感じ、今の銀座とほとんど変わらない。焼け野原からわずか25年でこの復興ぶり![Ginza, Tokyo – 1970]

Ginza, Tokyo – 1970

▽では最後にもう1度、日中戦争の頃(1938年・昭和13)の松屋銀座を貼っておきましょう。「聖戦大勝」「 漢口陥落」。漢口は武漢です。

『痛恨の昭和』石川光陽 岩波書店


 以上、松屋銀座の変遷でした。ご存じの方も多いと思いますが、松屋には浅草店があります。浅草店もけっこうツルツルだったけれど、現在はあえて昔の外観に戻してレトロを売りにしている。

銀座の松屋だって、皮の下には「過去」が残っているのかもしれません。しかし銀座店は、今後もツルツルのままでいくような気がします。

松屋銀座に限らず、目立つ場所にある建物は時代を反映しがちでした。有楽町の日劇(現在のマリオン)の変遷もぜひごらんください。

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*1:現在は銀座8丁目に移転

*2:戦後の全館新装を手がけたのは、松田平田設計。公式サイトより「❻ 松屋銀座本店/1953年、1964年 大正時代から続く、日本を代表する百貨店。戦後を経た全館新装の設計を担当。銀座の一等地という商空間のメッカでの買いものは、庶民には一大イベントだったが、その「ハレの空間」をモダンデザインで華やかに演出した。東京オリンピックの際に行われた大改修も担当。当時の外装の骨格は、現在も使用されている」




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