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【連合国軍隊ニ限ル】銀座のダンスホール

 敗戦直後、日本人客が入れないダンスホール「オアシスオブギンザ(Oasis of Ginza)」が誕生しました。場所は銀座のど真ん中。今の「GINZA SIX」(元・銀座松坂屋)の地下3階です。《お洒落な銀座のヒストリー》にはまず出てこない施設ですが、関連画像をいくつか紹介します。

銀座のど真ん中「オアシス オブ ギンザ(Oasis of Ginza)」

 これはアメリカの雑誌『LIFE 』1945年12月3日号。この年の8月に敗戦で、12月にはもう「オアシス オブ ギンザ(Oasis of Ginza)」が記事になっている!

A JAP-SPONSORED DANCE  IS  GIVEN  AT " OASIS OF GINZA" HALL

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『LIFE』 1945年12月3日

▽一方、これは上の写真と同じ号(「LIFE」 1945年12月3日号)に出ていた東京。「オアシスオブギンザ」とのギャップがすごい。息をしているのか心配になるレベルの寝姿です。

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『LIFE』1945年12月3日

特殊慰安施設協会の「オアシス オブ ギンザ」

 「オアシス オブ ギンザ( Oasis of Ginza)」とはいったいどのような施設なのでしょうか。高見順『敗戦日記』(中公文庫)より昭和20年11月部分を引用してみます。

11月14日 松坂屋の横にOasis of Ginzaと書いた派手な大看板が出ている。下に R.A.A.とある。Recreation and Amusement Associationの略である。松坂屋の横の地下室に特殊慰安施設協会のキャバレーがあるのだ。

「のぞいて見たいが、入れないんでね」というと、伊東君が「地下二階までは行けるんですよ」

地下二階で「浮世絵展覧会」をやっている。その下の三階がキャバレーで、アメリカ兵と一緒に降りて行くと、三階への降り口に「連合国軍隊ニ限ル」と貼り紙があった。(略)

下階から音楽が響いてくる。栄養失調の身体を汚い国民服に包んだ日本人の群れが、空腹をかかえてうろうろしている。楽しそうな音楽も一向に気分を引き立てないようである。

昭和20年11月14日といえば、敗戦からわずか3ヶ月。栄養失調の日本人にとって下階からひびくサウンドは、よほどの音楽好きでもキツそうです。

高見順『敗戦日記』そのままの写真を見つけました(昭和20年11月/菊池俊吉撮影)。『敗戦日記』の

松坂屋の横にOasis of Ginzaと書いた派手な大看板が出ている。下に R.A.A.とある

は、ズバリこの写真でしょう。

『銀座と戦争』(平和博物館を創る会・編)に加筆

▽拡大画像。R.A.A(特殊慰安施設協会=Recreation and Amusement Association)の文字が。

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▽引きで見るとこんな感じ。右の方には『敗戦日記』にでてくる「浮世絵展」と、その上に松坂屋のマーク。(昭和20年11月/菊池俊吉撮影)

『銀座と戦争』(平和博物館を創る会・編)に加筆

「オアシス オブ ギンザ」のオープンを素早く告知

 そして、これは「オアシス オブ ギンザ(Oasis of Ginza)」がもうすぐできます!という告知看板。撮影は、戦前のモダン都市の写真で知られる師岡宏次です。焼け野原にサッと「OPENING SOON」の看板を立てる段取りの良さよ。

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「想い出の東京」 師岡宏次写真集より

▽看板拡大。【MASTUZAKAYA  DEPT. 】(松坂屋百貨店)の文字が見える。

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「想い出の東京」 師岡宏次写真集より

▽「オアシス オブ ギンザ」告知看板写真のキャプション。「500人の日本人の踊り子」って…。

ダンスホール開場」 銀座松坂屋の地下室が焼け残った。そこは進駐軍専用のダンスホールになり、焼け野原に看板が立った。

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「想い出の東京」 師岡宏次写真集

▽これは、告知看板に名前が出ている「松坂屋百貨店」の社史(昭和35年発行)。この時期の銀座店について全くふれていないのが、逆に印象的です。戦後、マッカーサーの家族に「コネクション」をつけるためにすばやく動いたエピソード等は詳しく書かれているだけに…

銀座が焼け野原なのに「Oasis Of Ginza」はオープンしていた

 敗戦直後「オアシス オブ ギンザ」がいち早くオープンした写真を見ると、「おお!敗戦からたった3ヶ月なのに、銀座の復興は順調だなあ」と思いますよね、ふつうは。

 ところが銀座はまだメチャクチャなのでした。たとえばこれは高見順『敗戦日記』と同時期(昭和20年11月)に撮影された銀座4丁目交差点。中央に和光、右に見えるのは黒コゲの銀座三越です。「オアシスオブギンザ」の開店がいかに素早いかがわかります。

『銀座と戦争』(平和博物館を創る会・編)に加筆

【参考】焼けた歌舞伎座明治座は、再開するまでに5年もかかったんですよ。戦争が終わってもすぐ復興!とはいきません。

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素早い“防波堤”の準備

 なぜ、銀座が壊滅状態なのに「オアシス オブ ギンザ」は素早くオープンしたのでしょうか?その理由が、小沢昭一のインタビュー集『色の道 商売往来』からうかがえます。この本では小沢昭一がRAA(特殊慰安施設協会)の創立メンバーから、各地に用意された“施設”について直接聞き出しているのです。

「 政府自体も大陸で身に覚えがありましょう。(略) 自分がやっていたことを、必ず向こうにもやられるだろうと想像した。」

…なるほどね…

▽ちなみにこれは、敗戦翌年の正月に出た『アサヒグラフ』の「初笑い新版いろはかるた」。「オアシスオブギンザ(Oasis of Ginza)」の看板を見つめる女性たちの写真に、「背に腹はかえられぬ」冷笑系?この状況をどう「初笑い」しろと?

アサヒグラフ』(昭和21・1・5 朝日新聞社)「初笑い新版いろはかるた」

 以上、“お洒落な銀座のヒストリー”にはまず出てこない施設「オアシスオブギンザ(Oasis of Ginza)」を紹介しました。同様にあまり知られていない銀座の施設として「東京温泉」があります。こちらもぜひあわせてご覧ください。

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