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母の入院 1 怒涛の10月

10/12(日) 日曜日の夕方、出先から帰ってあれこれしてて、ふとスマホに着信があることに気づいて。みてみたら兄からで、昼過ぎに母を救急搬送したとの連絡。搬送先の病院名も書いてくれてる。今から行った方がいいのか、どんな状況なのか、兄に電話をいれても、そのときは応答なく、部屋で右往左往してたら、すぐに兄から折り返しの電話がはいって。「今病院をでたところや」と歩きながら話をしてくれる。容態はひとまず落ち着いているということなので、翌日に病院へ行くことに。病院に行っても、会えるのは、面会時間が午後の3時間のみらしく、今から行っても会えないと言われた。

父がなくなったあと、母は一人暮らし。ただ、たまたま甥っ子(成人)がこの夏から実家に逗留中で、甥っ子が土曜に母の調子が悪そうだなぁと思ったものの様子を見てて、日曜になって重篤になってる、と、甥っ子→兄嫁(仕事で遠方にいる)→兄(実家から20分)と連絡がまわって、兄がかけつけて救急車をよんだらしい。

10/13(月祝) 兄の話では、しばらく入院となりそうなので、私は私で、ネットの病院のサイトを調べて「入院に必要な一式」情報を確認。朝一番で、わたしが、自分の家の近くの勝手知ったるお店をまわって必要なあれこれを買いそろえて電車に乗って、お昼に実家によって、着替えや必要なものをとりまとめて、兄と甥っ子と病院へ。昨日(12日)家の前に救急車が入ったので、ご近所の人たちが、兄と私の姿を見て、出てきて様子を聞いてくれます。まだ夏日が続いていて、母が搬送されたあと、母が丹精こめてる菊鉢や庭に、ご近所の方たちがお水をあげてくれたらしく。「ありがとうございます、私もまだ顔を見てないのだけれど、お騒がせしてすみません、落ち着いてはいるので、しばらく入院になりそうです」と伝えて、荷物をまとめて出発。
母は救急病棟から普通病棟へ移動になってました。当直の医師から容態の説明。母は10年ほど前のガン治療のあとから、両足がリンパ浮腫。くれぐれも気を付けるようにといわれていた蜂窩織炎を発症していました。兄が素早く判断して救急搬送してくれたので、早い段階で、抗菌剤の投与とか適切な処置をしてもらえてました。面会した母は、食事もできておらず熱もあって弱ってるけど、「あれもってきて、これこうして」と指図。母らしい。ふと見ると、お化粧したまま。もしかしたら金曜夜から月曜のお昼まで、ずーっと? 看護師さんから、「救急処置のために紙おむつを使ったので、救急室に1枚返してください、あと数日は必要になると思うので、その分も用意してください、前開きのを」と言われて、売店に出向いたので、化粧落としもないか探したけれど見当たらず。仕方なく、持参した乳液とティッシュ、からだふき、でお化粧を落としました。今思えば、タオルをお湯でぬらして拭いてあげればよかった。朦朧としているけれど、意識もあって、会話もできて、処置もしてもらってて。胸をなでおろしました。

逗留してる甥っ子は、うちの家族の中で、たぶん一番勉強ができるんだけれど、一人暮らしもしてたはずなのに、家事とかまったくしなくて、気がきくほうでもなく、これがゆとり世代かと感心するぐらい。実家に1か月以上逗留してるのに、何も知らなくて、
私「おばあちゃんがしばらく入院やから、ゴミ捨て、してな?」
甥「どこに捨てるん?」
私「わたしもよく知らんけど、たぶんあのあたりと思うから、一緒に見に行こうか」
と近所につれだして、ついでに、2件隣の、今は、私の幼馴染が一人で住んでる家と、隣の家に、二人で一緒に行って、母がしばらく入院になること、甥っ子がしばらく一人で逗留するのでゴミ出しとかすること、などなど顔見せしてお願いをしてきました。庭の水やりも甥っ子に毎日敢行を指示。言われて理解したことはするけれど、それ以上のことは、しないのか、できないのか・・・。

いやいや、できないことに目がいきがちだけれど、できること、してくれたこと、なにより、そこに居てくれたことに、感謝。
ほんま、いてくれて、ありがとう。




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